エピローグ
 
「う〜〜ん……暇だな……」
 港に停泊したウンディーネの甲板に、例によってリクライニングチェアを引っ張り出したレオは、盛大なアクビと伸びをして呟いた。
「昨日帰港したばかりでしょうに。それほど暇なら、たまには勉強かシミュレーションでもしてみたらどうです?」
 珍しくレオの隣に同じセットを置いて読書をしていたピースが、本の向こうから言ってくる。
 よく晴れ渡った午後の昼下がり、学問都市に帰ってきた雲海の乙女号は、次の仕事が決まるまで開店休業状態だ。
「いや、せっかくの空いた時間だしさ。なんかするのも勿体ないような気が」
「我が儘ですね。……そういえば、貴方に訊こうと思ってたんですが」
「なに?」
「いえ、ミンスター中尉との戦闘ですが。撃墜しようと思えば、貴方ならできたのでは。わざわざ危険な真似をしなくても良かったのではないですか?」
「なんだ、そんなことか」
 ボリボリと面倒くさそうに頭をかいて、レオは答えた。
「いや、あの姉ちゃん、な〜〜んか誰かに対する八つ当たりでオレに向かってきてたみたいだからさ。下手に撃墜したら、オレが恨まれそうな気がしたし。お前も、怪我とかされたら寝覚め悪かったんじゃねぇ?」
 レオの指摘に、ピースは少し目を丸くした。
「君にそういう気が使えるとは意外でしたね……」
 かなり本気が入ったコメントに、レオは口を尖らせる。
「オレだってなにも考えないでやってるわけじゃねえよ。また遭うことがあったら、お前が相手してくれよ。面倒くさいから」
「心がけておきましょう」
 ピースが笑いながら答えると、ほんの少し間が空く。
 雲海を渡る風が、心地よかった。
「なあ」
「なんです?」
「フィーさん、もう戻ってこねぇのかな?」
「……なんでそう思うんです?」
「だってさ、今回の件って、フィーさんが長いことかけて探してたモノっぽかっただろ。だから、ひょっとしたら目的を果たして、このまま船降りちまうんじゃないかって思ってさ……。なんか朝飯ン時の船長の話じゃ、乗員が一人増えるみたいじゃん。フィーさんの代わりなのかなって」
「そうだとしても、それがフィーさんの選択なら、我々が口を出すべきではないでしょうね」
「なんかそういうの、イヤだな。オレはこの船のみんな、家族だと思ってるからさ」
「さらっと恥ずかしいことを言いますね。なら尚更口を出すべきではないと思いますよ」
「なんでだよ」
「家族として、同じ家族の選択を尊重すべきだからですよ。もしも、フィーさんが船を降りることを選択したとしても、それで一度家族になったものが、そうでなくなるわけでもありませんしね」
 戯けた顔で肩を竦めるピース。
「お前だって恥ずかしいこと言ってるじゃねえか」
「きっとレオのが感染(うつ)ったのでしょう。バカは感染するそうですから」
「言ってろよ」
 鼻を鳴らしたレオが、港の方に目をやった瞬間勢いよくチェアから立ち上がった。
「ピース、行くぞ!」
 突然走り出したレオに、ほんの少し怪訝な顔をしたピースだったが、レオが見た方を見て、こちらも慌てて甲板を後にした。    
 
「お帰りなさい!」
 桟橋を歩いてくる途中のフィーの胸に、セシリーが飛び込んだ。
「はい、ただいまセシリー」
 危なげなく小柄な身体を受け止めて、フィーは微笑んだ。マルチディスプレイはかけていないが、いつものように金髪を小さくまとめ、ブラウスにタイトスカート姿だった。
「セシリーちゃんは甘えんぼさんだねぇ。桟橋で暴れると危ないよ?」
 その光景を眺めて微笑ましげ言ったのは、先日学園に戻ったはずのトリンだった。
「あっれ? トリンねーちゃんどうしたの?」
「すぐそこで遇いまして、一緒に来たんですよ」
 セシリーと手をつないでウンディーネまでやってきたフィーがレオに説明する。
 トリンは曖昧な笑顔を浮かべて頭を掻いた。
「えーーっとね、とりあえず、これからよろしくね」
「はい?」
「ひょっとして、今朝聞いた新しい乗組員とは、トリンさんのことですか」
「うん。昨日戻ったら、ちょうどミソノ教授が戻ってきててね。『なんか面白い体験した顔してるね。話しなさい』って言われてね。黙ってられなくなっちゃって……」
 一応、今回の航海であったことは知らぬ存ぜぬで通すことに決まっていたのだが。
「で、こういうものを渡されたの」
 そういって、ツナギの胸ポケットから、そこらのチラシの裏に殴り書きされた、辞令書を取り出す。マリヤ・ミソノと乱暴にサインされて拇印が押してあった。
「昨日の夜にえらい剣幕で電話が来てな」
 盛大に苦笑いを浮かべたラキッズが、ドムギルを連れてウンディーネから出てきた。
「うちの可愛い教え子(トリス)を危ないことに巻き込みやがって! 責任取ってしばらく面倒見ろ! という事だったな」
 さほど高い確率ではないが、今回の事に同席したことで、トリンが連邦軍諜報部あたりのちょっかいを受ける可能性は確かにあった。
 だが、学園の中にいればさすがの軍も手出しはできない。おそらくミソノ教授は、これを機会に、トリンの見聞を広めてやろうと思ったのだろう。
「ミソノさんも、相変わらずお元気そうで何よりだ」
「もうしわけありませんでした、お恥ずかしい」
 笑顔のラキッズに、赤面するトリンだった。
「船長」
 柔らかい表情で、フィーはラキッズに声をかけた。
「ただいま帰りました。乗船の許可をお願いします」
「許可する。ご苦労だった」
 ラキッズも正面からフィーを見つめ、優しい目付きで頷いた。
 短いやりとりだったが、そこには言葉以上のやりとりがあった。
「これでトリンさんにまた勉強教えてもらえるね!」
 セシリーが嬉しそうに、手を叩く。
「うん。教授にも、将来有望なのがいたら、洗脳して土産にもってこいって言われてるしね」
「また物騒な事を言ってますね……」
「トリンねーちゃんの先生に、あってみたいような、絶対イヤなような」
「さ、今日の夕方は、今回の仕事の打ち上げと新しい乗組員の歓迎会だ。少し豪勢なところで夕飯にしようか」
「やった!」
「あたし辛いのがいいな」
「この前の店は肉料理美味しかったのですが」
「オレは美味い酒があればそれでいい」
 それぞれに勝手な事を言いながら、ウンディーネへと戻っていく。
「戻ってきたばかりで申し訳ないが、店の予約を頼めるか?」
「はい」
 ラキッズの頼みに笑顔で頷くフィー。
 そっとその側に近づきながら、小さな声で言う。
「ラキッズ……ガイアは、誰の手にも届かない、見つけられない場所に隠してきました」
「……そうか」
「完全に処分してしまおうかとも思ったのですが……。いつか、あれの力が必要になることがあるかもしれません」
「そうだな……」
「ラキッズ」
 真剣な目で、ラキッズを見つめる。
「本当にありがとう。お陰で彼を弔うことができました。感謝しても、しきれないくらい」
「いや……オレがやりたくてやったことだ」
「ラキッズ……」
 吸い寄せられるように、お互いの視線が絡まった。
 濃密な沈黙と、雲海を渡る風が二人を撫でる。
「ねーー! お父さーーん! フィーー! お茶入れるよーー、早くーー!」
 突然割り込んできたセシリーの声に、その繊細な空気は流されていった。
「今行きます!」
 答えたフィーの視線がラキッズの視線とぶつかり、どちらともなく微笑む。
 ウンディーネの入り口ではレオに小突かれたセシリーが、反撃の蹴りを見舞っているところだった。
 
 雲海は今日も晴れ渡り。
 銀色の乙女は、遙か水平線を望んでいた。
 
 
 
 
 
 
                                       終
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