プロローグ
 
 光も、闇すら存在しない。
 そこは虚空だった。中心であり、果てだった。
「……コンディション、八十パーセントがレッド。残り二十パーセントの内、十五パーセントも三千秒以内にダウンします」
「……仕掛けはどうなった?」
「現在、走査システムは九十九パーセントが動作不良。残りの機能では現状把握に必要なデータ収集不可能。ですが、システムダウン寸前までのデータによる推測では九十九・九八パーセントの確率で、フィールド形成には成功したと思われます」
「そうか…… 」
 そう呟いた声には深い安堵が溢れていた。
 長い長い時を戦い続け、擦り切れ、疲れ果てていたが、いまだ衰えない精気を感じさせるその声は、低い男のものだ。
「後は、ソルとポセイディアが上手くやってくれるのを祈るばかりだな……」
「ミッション成功を左右する最大の要素は、私たちが担当したフィールド形成です。それはほぼ成功したと言っていいでしょう。ミッションそのものも、成功の公算が高いと思われます」
 男の声に応えるのは、若い女の声。聞いた瞬間には冷厳に響くが、それは強い責任感によるもので、その実パートナーである男に対する全幅の信頼が込められているのは、誰にでも判った。
「そうか……そうだな。あいつらなら、きっとやり遂げてくれるだろう。俺の役目もこれで終わりだ。……皆のこれからを見届けられないことだけが、心残りだが……」
「…………」
 沈黙が落ちる。
 システムのほとんどが機能停止に追い込まれている今、操縦席と官制席は音声でのやりとりのみだけだが、女には男が今どんな表情をしているのか、手に取るように解った。
 男の方は生物的に普通の人間だったが、女は普通の人間ではない。
 今、男と女が乗り込んでいる大型機動兵器の制御と、パイロットをサポートする為だけに作られた人造生命体(ビメイダー)。
 作られたといっても、生物ベースの強化生命体である。機械的なものよりも、生命体による制御システムの方が、メンテナスフリーにできる要素が多かった。最前線での使用を前提とした兵器としては、極限の緻密さよりも信頼性を優先されたのは当然で、全三体建造された機動兵器のオペレーターは、三体ともこの方式を採用している。
 個体差からくる多少の性能差はあるものの、基本的な性能として、不老・人間を遙かに超える知覚と情報処理能力がある。
 実際的な戦闘能力は人間に比べて高いといえないが、明らかに人間社会における生物的倫理に触れる存在だ。だが、そんな存在を生み出さなくてはいけない理由があった。
 生物種としての人類が出会った、明らかな外敵。それはただ単純に「敵」(エネミー)と呼ばれた。  政治的駆け引きの余地などなく、降伏はすなわち人類の滅亡と同義であり、その戦いは長きに渡ることになる。
 人類にとって幸いと言えるかどうかは不明だが、戦いが長期化した理由は、人類と「敵」の間に、圧倒的といえるほどの戦闘力の差がなかったからだ。
 それは、一瞬にして滅ぼされなかったかわりに、真綿で首を絞めあうような消耗戦を強いられる結果になった。
 少しでも、ほんの髪の毛一筋分でも敵を上回る為の必死の努力は、人類の、そしておそらくは「敵」の技術を飛躍的に高めていった。
 そうして泥沼化していった戦いの果て、徐々に戦局が不利になりつつあった人類は、持てる力の粋を集めて三体の巨大機動兵器を建造。最盛期に比べて絶望的に数を減らしていた生き残りの人々を集め船団を組み、母星を捨てて宇宙に逃れた。
 だが、「敵」はそれを追い、戦線は宇宙へと広がっていく。
 細かい戦闘を繰り返し、その際に得た観測情報から、「敵」の残存勢力がすべて人類船団を追撃していることが判った。
 その時点で、彼我の戦力には大きな開きがあったが、船団指導部は人類の生き残りをかけて総力戦を決意した。
 星の海を舞台に、想像を絶する戦闘が繰り広げられた。
 結果として、人類はその最後の戦いに勝利したものの、船団は戦闘により疲弊し、船団を構成する多くの船が傷つき、その機能の大半を失った。
 先の見えない航行を続けられる船は片手の指の数に満たず、傷ついた船から生き残った人々を移乗させるのは、艦内環境の維持を考えれば不可能だった。
 船団指導部は協議の末、航行に支障のない船はそのまま出航。その後残った者たちの為に、生存可能な空間を創り出すミッションが提案された。
 エネルギー的にも技術的も困難を極めるものだったが、幸いにも最強の戦力であり、人類科学の粋である三体の機動兵器は健在であった。
 それぞれの特性、出力、機能の観点から検討を繰り返し、もっとも成功率の高い方法が選択されたが、それでも成功率は僅かに二割。
 それに加え、成否にかかわらず機動兵器パイロットの生還率は、ほぼゼロ。
 それでもパイロットたちは首を縦に振り、残された者たちの選択肢は他になかった。
 ミッションは実行に移された。
 そして今、己の役目を終えようとしている機動兵器「ガイア」の管制席で、女の胸には満足があった。
 戦う為だけに、兵器を御する為だけに生まれた自分が、最後に多くの命を救う為に……いや、それ以上に、パートナーである男の願いの為に働けたことが嬉しかった。
 一目見た瞬間、この男の為に働きたいと思った。
 まだ、女がはっきりとした外見すら持っていなかった頃の話だ。
 パイロットに選ばれた男とミーティングを繰り返す内に、男が深い哀しみを胸に秘めていることに気がつき、それを少しでも慰めようと女の外見を手に入れた。
 それがいわゆる恋愛感情なのかは不明だ。気持ちが先にあり、それに併せて外見を手に入れた。おそらくは、一般にいわれる男女の感情ではないのだろうと思う。
 だがそれらのことも、終わってみれば長くもあり、短くもある時間の中のことだった。
「……意味がないと思って確認しなかったが、俺たちはこれからどうなるんだ」
 不意の質問に、女は追憶から引き戻される。
「はい、回廊の閉鎖と同時に機体ごと虚数空間に落ち込みます。その際に機体が破壊されることはありませんが、それと前後して主要機能がほぼ全て停止状態になりますので、そこからの脱出はほぼ不可能になります」
「ほぼというのは?」
「試算によると、現時点より±二千基準年時点の歪曲空間内に機体が放り出されると思われますが、機能が低下した状態では時間凍結も、凍結睡眠もできません。おそらく、放り出されるまでの機体内経過時間は、少なくとも数百年単位になります。生存は、不可能でしょうね」
「ということは、俺たちはここでミイラか」
「回廊の閉鎖を確認したら、『ガイア』の役目も終わりです。それを見届けてしまえば、こちらでキルスイッチを入れても問題ないでしょう」
 パイロットが精神汚染、または錯乱・発狂などに陥った際に備えて、管制側(オペレーター)からパイロットを安楽死させられる機能が用意されている。餓死や発狂死よりは多少なりともマシな死に方だろうか。
「お前はどうするんだ?」
「そちらとは違って、こちらには自決の方法がいくつか用意されてますから」
「そうか……」
 しばらくの沈黙の後、男は重ねて尋ねてきた。
「回廊は通れないのか?」
 女は少し首をかしげた。生存の可能性を探っているのだろうかと思ったが、男の声からは生き延びようという熱意が感じられない。そもそも、決死の覚悟でミッションに挑んだのだ。今更、どうあがいても意味がないのは男もよくわかっているはずだ。臆病風に吹かれるような人物でもないのは女がよくわかっている。
 男の意図が読めないまま、女は男の問いに答える。
「回廊を開くまでが一番大量のエネルギーを消費しますが、一度開いてしまえば、歪曲空間の形成終了とともに回廊は勝手に閉じます。ガイアが多少予定外の行動をしても、ミッションには影響がないと思われます。ですが、残念ながら回廊自体はかなり狭いのです。ガイアではとても通り抜けられません」
「それは、ガイアでなければ通り抜けられるということか?」
 問い詰めるような口調ではなかったが、女は刃物を喉元に突きつけられたように感じた。
 思わず口ごもるが、それは答えているのと変わらない沈黙をもたらす。
「……『ニケ』なら通れるんだな?」
 確信を込めた男の言葉が、女の胸に突き刺さる。もちろん、その声に責めるような響きは微塵もなかったが。
「私は……!」
 男の声色に、胸中に膨れあがる不安を押さえつけながら、女は悲鳴のような声を上げる。男と出会い姿形を得たときから、存在するのも消えるのも男とともに、それが女の唯一の望みだ。
 口に出したことはない。だが、男はそれを解っていてくれるはずだと思っていた。
「…………すまん」
 返ってきたのは、罪人の声だった。
 一瞬の間の後、管制席のモニターがすべてレッドアウトした。けたたましい警告音が鳴り響き、音声ガイダンスが流れる。
「『ニケ』射出シーケンスに入ります。オペレーターは、衝撃に備えて下さい」
「なんでっ……?!」
 絶望に女の喉が詰まる。
 管制席にキルスイッチがあるように、操縦席にも非常時に際して簡易遊撃機を兼ねた管制席を切り離す機能があった。
 訓練のみで代えの利くパイロットよりも、失われれば再建に時間も手間もかかるオペレーターの安全と経験値を優先した結果の機能だ。
 通常の人間にはありえない水色の長い髪を振り乱し、半狂乱でシートから立ち上がった女は、正面のモニターに縋りつく。
 その方向、何枚もの装甲の向こうに、男はいる。
「…………お前にしか、頼めない……」
 それは懺悔の言葉だ。
「俺が、俺たちが命をかけた結果が、守り抜いた人たちがどうなるのか、見届けて欲しいんだ……」
 それは、女が聞いたこともないほど、弱々しい声。
 そこに込められた感情の、あまりの濃度に女は言葉を失う。
「許してくれとは……言えないな……。恨んでくれていい。だから、お願いだ……」
「……『ニケ』射出シーケンス、実行します。カウント・3・2・1……」
 音声ガイドが無情に流れる。
「……頼む……」
 接続が切れる寸前、微かに届いた言葉は、願いであり祈りであり、想いそのもの。
 衝撃。
 断絶。
 切り離された機体は、虚空にあいた穴へと落ちていく。
「……………っ!!!」
 女が呼んだ男の名は虚空に吸い込まれ、どこへも届くことはなかった。
 
       act.1 学問都市
 
            1
 
 いわゆるベタ凪と言われる状態だ。
 遙か中心で輝く太陽は、雲にも浮島にも遮られずに、甲板へさんさんと降り注いでいる。
 区分としては中型船に相当するその船は、船体がやや丸みを帯びている為に、同級の雲上船に比べると甲板がやや狭い。
 見渡す限りの白色の海には、他の船や島の姿はない。白色にも関わらず光を反射しない海に今は波もなく、まるで内海のように穏やかだ。
「ぬぅああぁぁ〜〜っと……」
 甲板の端にリクライニングチェアを引っ張り出し、釣り糸を垂らしつつ寝転がっている少年が、猫のように思い切り伸びをした。
 その顔には日差し避けの麦わら帽子が乗っかっており、その表情は見えないが、あまり真面目に釣りをしているわけではないようだ。
 ノースリーブのシャツから伸びた小麦色の手が、麦わら帽子を頭の上に乗せかえる。
 現れた容貌は、十代半ばから後半くらいの、あごの細い、緑色の瞳が魅力的な顔立ち。だが、今は眠気を押さえているせいか、ややふやけた表情だ。
 黒髪の細いお下げが一本、肩口で跳ねている。
「いい天気だな」
 風が弱いせいで少し暑い。麦わら帽子を押さえて、少年は空を見上げた。
 不意に軽い金属音が聞こえたと思うと、甲板の床の一部がパカンと音を立てて跳ね上がった。
「また下手の横好きですか」
 そこから顔を出したのは、少年とは対照的な癖毛の金髪を綺麗に撫でつけた眼鏡の青年だ。二十代半ばで色白、エッジの効いた容貌を、眼鏡奥のアイスブルーの瞳が引き立てている。
「下手とか言うんじゃねぇよ」
「そういうことは、一度でも獲物を食卓に提供してから言って下さい。昼食の時間ですよ」
「はいよ」
 少し冷たいとも言える青年の口調にも、大して頓着したところがないのをみると、仲が悪いのではなく、単にいつものことなのだろう。
 ひょいと竿を振って糸をあげ手際よく巻き取り、竿をテキパキと手慣れた早さで片付けて、リクライニングチェアも折りたたみ、あっという間に青年が顔を出していた穴から艦内に消えてしまった。
 誰もいなくなった甲板。
 薄いメタルブルーの全長五十メートルの船体。細い船尾。左右舳先寄りに流線型の推進装置を二つ備え、二等辺三角形のシルエットの底辺に当たる舳先には、鎧を着込んだような姿の、身長にすれは十メートル位になるだろう、女性のフィギアヘッド。  
 燻された銀色の姿は、陽光を反射して鈍く輝く。
 雲海の船乗りに知らぬ者のない、もっとも名の知られた船を象徴する姿。
 雲海の乙女号(ウンディーネ)。
 海は今日も晴れている。
 
 五メートル四方の部屋の真ん中には樹脂製のテーブルが床に固定されていて、その上には、物資不足が常の船内生活だというのに、種類が多くしっかりとした料理が並んでいる。ついでに言えば、アルコールの類は一切ない。
 卓を囲み、それぞれに食前の感謝を捧げてから食事を開始したのは、総勢六名。
「さて、全員食べながらでいいから聞いてくれ」
 薄茶色の冷たい茶で唇を湿らせて注意を促したのは、上座の船長ラキッズ・ロウ。
 もみあげから繋がり、顔の半分を覆う髭のせいでやや老けて見えるが、目元をみれば見かけより若いのがわかる。やや乱れた線の古傷が、右の額からあご近くまで走っている。
 ラキッズの言葉に手を止めたのは三人。残りの二人、色黒の少年と色白の少女も、手は動いたままだが、視線はしっかりとラキッズを見ている。
「一月ほど前に話した遺跡の件は覚えているか?」
「連邦軍のネットワークに上がっていた情報ですね」
 金髪の青年ピースが眼鏡の位置を直しながら確認する。
「そうだ。フィーからの報告で、情報レベルが上がっているものが一件あるそうだ」
 一同の視線がラキッズの左正面、見事なブロンドを結い上げた女に集まる。
 歳は二十代前半。眼鏡型の多機能・多目的ディスプレイをかけたフィーは、芸術家の手による彫像のように整った容貌に、柔らかい微笑を浮かべて頷いた。
「詳しく調べたところ、機密レベルが一気に三レベルも上がっていました」
「ふむ、当たりかの」
 こんがりと焦げたような褐色の顔に、白いものの混じり始めた髭を生やした初老の男、メカニックのドムギルが顎を撫でる。
「場所は太白海西の大岩礁地帯だっけ。百年前くらいまで、船の墓場とか言われてた辺りだろ?」
「おや、珍しい。ちゃんと覚えていたのですね。ついでにいえば、いまだに新種の生物が大量に発見される海域で『メルティング・ポット』と学者には言われていますね」
「あ、それこの前のネットスクールで聞いたわ」
 ピースの皮肉に、じろりと一瞥をくれるお下げの少年レオクレス・トミナンガと同じ勢いで食事をしていた少女が、ふと手を止めて言った。
「おや? その辺りはハイスクールレベルの初等でやるところだと思いましたが」
「この間、昇級試験にパスしてスキップしたの!」
 嬉しそうに、発展途上の薄い胸を張る少女はセシリー・ロウ。名前の通りラッキズの一人娘で、当年とって十二歳。緩やかなウェーブのかかったプラチナブロンドを、頭の両脇でまとめて垂らしている。やや子供っぽい髪型だが、快活そうなセシリーにはよく似合っている。
「すごいですね。本来なら、ハイスクールに通っていなくてはいけない歳だというのに、暇さえあれば釣り糸を垂らして居眠りしてる誰かさんと大違いです」
「スクールで習えることなんて、たかが知れてるんだよ」
「そういうことを言えるのは、多少でもまともにスクールで学んだ人間だけだと思いますよ」
「話を戻すが」
 放っておくと話が進まないと判断して、ラキッズが威厳はあっても強引さがない声で空気を変える。
「今現在の警備レベルはD5。周辺海域に踏み込んだ所属不明の船舶に対して、警告なしで武力行使を許可するだけの高さだ。まあ、トレジャー・ネットに情報提供がされてない状態だからな。現場レベルであまり強引なことはしてこないと思うが……」
 雲海航行者組合が運営管理するトレジャーネットは、雲海の情報を広く収集管理し、整理・公開を行っている最大の情報発信源である。
 三大国を初めとする国の公的機関から個人まで、広く情報提供・取得がなされており、ものによっては情報の確度に大きな差はあるものの、概ね信頼性は高い。
 また、情報提供されることによって、その情報が生む利潤の優先性は、雲海最大の商業団体である組合により保証され、有償ではあるが組合からのバックアップも受けられる。
 このネットワークに情報を上げるメリットは総じて高いが、例外ももちろんある。
 「遺跡」と呼ばれる、一連の施設跡。この「世界」に移民してきた第一世代の人間たちが築いたものと言われているが、そこで見つかるものは、技術・情報あるいは何らかのアイテムにいたるまで、現在の技術レベルを遙かに超えるものが多々存在する。
 それらは例えば、利用の仕方によっては、国家レベルで他国に対する軍事的アドバンテージに繋がりうる。
 ゆえに、すべての情報がすべからくトレジャーネットに上がるという保証はない。特にバックアップを必要としない大集団であれば尚更だ。
「ま、そういうことなら、こっちがちょっかいかけても問題ないってことだよな」
 レオが尖った犬歯を剥き出して笑う。
 組合は情報レベルでの抜け駆けを、暗黙の了解ではあるが大変に嫌う。
 また、三大国であったとしても、世界の商業・流通に大きな影響力を持つ組合とは事を構えたくない。逆もまたしかりである。
 結果妥協点として「現場レベルでの小競り合いに関しては、余程の事がない限りお互いに目をつむる」という、これもまた世界規模の暗黙の了解がある。
 大戦が終息して十年と少し。世界情勢は未だ混沌を残し、組合も発足から僅か十年。盤石であるとも言えない。
 簡単に言えば、グレーゾーンはある程度自由にやってよし、ということである。もちろん何があっても自己責任ではあるが。
 つまり、軍が遺跡の情報を秘匿する限り、こちらがその遺跡を狙っても文句は出ない。
「ただ、直接乗り込むには、警備の戦力や周辺海域の情報が少なすぎますね。多少なりとも情報収集をした方が良いかと思います」
「そこでだ」
 フィーの言葉を継いで、ラキッズがもう一度テーブルを見回す。
「仕事を一つ受けた」
「仕事?」
「ああ。依頼主は環太白海学問都市大学研究部。依頼内容は、メルティングポットでの生態調査、及びサンプルの収集」
「なるほど」
 それだけで、全員が納得する。
 レベル5の無差別攻撃対象は、目的不明の船舶である。学術調査であれば専用の船舶認識コードを使用できる。学問都市の学術調査ともなれば、これを間違って攻撃した場合、かなり広い範囲で世論の反発を招くことになるし、揉み消しも困難。
 となれば、少なくともいきなり攻撃されることは避けられるし、むしろ向こうから接触を避けてくれるだろう。こそこそと事を行いたいのは向こうである。
 いわゆる硬い筋からの依頼には信用や実績は必須であるが、ウンディーネは何度か学問都市からの依頼をこなしているので、問題はない。
「本日一四:00(ヒトヨンマルマル)より、学問都市に向けて出航。ローテーションはB。以上だ」
「「アイアイ・キャプテン」」
 個性の強そうな面々ではあるが、ラキッズの宣言に一糸の乱れもなく応じる。
 航海が始まるのだ。
 
 環太白海学問都市。
 世界中で最も歴史の古い二大学府の一つ。
 太白海の西、大岩礁地帯から北東に1000キロ。環状列島の中で最も大きい外周140キロの島に存在する、総合学府。
 組合と同じく、世界的な立場としては中立を標榜している団体だが、組合と違い一千年の歴史を持ち、栄枯盛衰を繰り返す国家群と比べても、その歴史の古さは群を抜いている。
 だが、中立を標榜しながら、先の大戦では軍事転用可能な技術の数々を各国に流出させており、それに対する責任を追及する一派と、中立的立場を守る為に必要な処置だったとする擁護派の間に起こった学内論争は未だ継続中である。
 主に恩恵を受けた大国は、それらに対しては傍観を貫いているし、学園側も戦後は組合との関係を深めている為、多少国力のある国でも迂闊に手は出せなくなっている。
 少なくとも、今のところは世界の中でも平和で、人の入出に関してはかなり自由な場所の一つと言える。
「こちら『雲海の乙女』。貴港への入港を許可願います」
『はいよ、船舶コード確認。入港を許可します。ようこそ、学問都市へ!』
 フィーが開いた入港申請の通信画面に出てきたのは、オペレーターをするには随分と年齢と貫禄が入った髭の男だった。
「あら? なぜ港湾責任者さんがオペレーターなどしてるのですか?」
『いや、五階の喫煙所で一服してたら、見覚えのある別嬪(べつぴん)さんの姿が見えたんでな。もう一人の別嬪さんに挨拶しとこうと思って、走って降りてきたよ』
「お世辞として受け取っておきますわ。まだまだお元気ですね」
『お世辞なんて言わんよ。一度だけでもディナーに付き合ってくれれば、お世辞などでは無いことをいくらでも証明できると言うのに!』
「前向きに検討させていただきますわ」
『うむ、よろしく頼む。ラキッズの奴にも、暇ができたらたまには酒の付き合い位してくれ、と伝えておいてくれ』
 くすりと笑って、フィーは頷いた。
「ええ、伝えておきます。それでは」
 見るからに優雅な仕草でコンパネを走査すると、通信画面がブラックアウトして、様々な数値の類が表示された画面に切り替わる。
「奴も元気そうだな」
 ラキッズが軍にいた頃、補給部隊の実働責任者だった男の顔を思い出し、笑いを含む。
「あの方が不死身の巨鯨(アンデツドホエール)ですか。こんなところにも大戦の英雄がいるのですね」
 大戦終了後の軍に在籍していた経験のあるピースは、感慨深げに呟いた。
 大戦時に、地獄の底だろうと物資を届けると噂された男の異名だ。撃墜スコアこそ公式には無いものの、敵国人でもその名前を知っている凄腕の一人。
 その言葉が耳に届いたか、ラキッズが物言いたげな視線を向ける。
 すぐにそれに気づいたピースは、口元を押さえてラキッズに頭を下げ、それを見たラキッズもすぐに視線を前に戻した。
「艦内放送。一0:00(ヒトマルマルマル)入港、以後は自由行動。以上」
 艦内放送のスイッチを入れて、ラキッズは短く通達する。
 今ブリッジにいるのは、ラキッズとフィー、それにサブオペレーター席にピース。
 その他のメンツは上陸の為に準備をしているはずだ。
「約束の時間は?」
「午後三時から、学園第二学棟の倉庫です」
 打てば響くとばかりに、間髪入れずフィーが答える。
「事務手続きが終わったら、奴と酒は無理でも昼食くらい食う時間はあるか」
「メールを入れておきますか?」
「頼む」
 銀色の肌に陽光を反射させながら、雲海の乙女号は学園都市に入港した。
 
「はい、チェックしました。搬出をお願いします」
 業者の差し出したチェックボードを一目で確認してフィーが船印を押すと、可変型タラップがウンディーネの横腹に取り付く。
 世界でも有数の物量を誇る港湾業者の手際は、正確で素早い。大小のコンテナが次々と運び出されている様子を見ていたフィーの側に、取引相手との商談を済ませたラキッズが近づいてきた。
「提出されてるスケジュールは?」
「レオとセシリーは買い物の為に外出。帰船は一七:00予定。ドムギルさんは、推進器と船載機の整備・及び交換部品の搬入とチェックの為に船内で待機。ピースは戦闘シミュレーションとドムギルさんのアシストの為、同じく船内待機です」
「今日は夕食は皆で外にするかな。明日でもいいか。グラハムからの返事は?」
「さきほど返信がありました。昼休みになったら、管制塔入り口に来てくれとのことです」
 無駄も淀みもないやりとりだが、冷徹さはなく、長年の信頼に基づいた慣れが感じられた。
「まだ時間があるな。もう少し商談をしてからでかけよう。準備をしておいてくれ」
「はい」  
 
          2
 
「ねえねえレオ。あたしあれ食べてみたい」
「……」
「あれでもいいな」
「…………」
「だめ? だったらあれでも……」
「だぁぁーーっ! いい加減にしろーーー!」
 もうお昼時に近いせいか、やや人通りの減ってきた通りの真ん中で、セシリーにぐいぐいと腕を引っ張られていたレオがキレ気味に叫んだ。
「オレにタカるんじゃねぇっ!」
「なによー、けちー」
 見た目でいえば、やや幼すぎるかもしれないが、端から見れば可愛らしいカップルのように見えなくもない。
「お前なー、船長から小遣いくらいもらってるだろ」
「そりゃあもらってるけど。今日の買い物がどれだけかかるか判らないから、あんまり使いたくないのよ」
「知るか。買い物終わってから、残りで買い食いすりゃいいじゃねえか」
「あんたこそ、お給料貰ってるんでしょ? どうせ大して使い道ないんだから、少しくらいおごってくれてもいいじゃない」
「どういう根拠でモノ言ってんだ、お前は。使い道くらいあるわい」
「なにに使うのよ。まさか、オンナ?」
「違……うわい」
「なによ、今の間は。本当にオンナに貢いでんの?」
「違うっつーの。そんな言葉ばっかり覚えてると船長が泣くぞ」
「あーー、誤魔化そうとしてるわね。言いなさいよ」
「……ちょっと黙れ」
 言い募ろうとしたセシリーの口を押さえ、まだ幼さの残る眼に鋭い光を宿して、ざっっと周りを見回すレオ。
 セシリーも、ウンディーネのクルーとして少なからず経験を積んでいる。文句も言わずに、自らも聞き耳を立てる。
 市場の物音にかき消されそうではあったが、言い争う、というか切迫した若い男の声が微かに聞こえてきた。
 セシリーがそれを聞いたと同時に、すい、とレオが声の聞こえてきた路地へと歩き出す。先ほどまでセシリーと連れだって歩いていた時とは明らかに違う足取りだ。
「あ〜〜。また厄介ごとに首突っ込む気なんだ……」
 あきれたように呟きはしたが、さほどイヤそうでもなく、セシリーもその背に続いた。
「金は無いって言ってるだろ!」
 二つほど角を曲がったどん詰まりで、男女の二人連れが同じく二人組の男に追い詰められていた。
 デートの途中でからまれでもしたか? とレオは思ったが、男の方はともかく、連れの女の方はデートにしては野暮ったすぎる服装だ。丈夫そうな上着にパンツルック、加えて洒落っ気のない眼鏡。これはマルチディスプレイ兼用のようだが、いつも見ているフィーのものに比べて二世代は前のタイプだ。髪は長いが、色気も素っ気もなく一本のお下げにされている。
 男の方は、多少は洒落っ気がある格好だが、眼鏡こそかけてないものの、細身のその体格は明らかに運動が得意そうではない。
 多分見た目で、悪い連中にカモと思われたのだろう。
 しばらく現場手前の角に隠れて様子を伺っていたレオは、しばらく会話に耳を傾けていたが、特に複雑な事情でもなく、単なるカツアゲだと判断する。
「どう?」
「ちょっとおとなしくしてろよ」
 追いついてきて、同じく身を隠しながら小声で聞いてくるセシリーの頭を軽く叩き、レオはするりと角から進み出た。
「おい」
 音もなく近づいたレオが至近距離からかけた声に、二人の男が驚いて振り向く。
 手前の男の鼻面に、遠心力を効かせた裏拳を打ち込んで仰け反らせる。
 振り向き欠けのもう一人の男の膝裏に横蹴りを打ち込み、バランスを崩して仰向けになりかけた男の襟を掴んで引き倒しながら膝でのしかかった時には、どこから取り出したのか、小振りのナイフが男の首に押しつけられていた。
 あらかじめそう決めていたかのように鮮やかな手並みだった。
「ここら辺は、ドン・カルローネの縄張り(シマ)だったはずだけどな。よそもんが勝手なことしてると、怖いニイちゃん達が飛んでくるぜ?」
「な……なんだってんだ、てめぇ……!」
 最初に裏拳を喰らった男が、顔面を押さえた手の隙間から涙と鼻血を溢しながら、あまりさまになっていない恫喝をしてくる。
「ま、待て、こいつ『魔女』の乗組員(クルー)だ!」
 レオに組み敷かれた男が慌てた声を出すと、もう一人の男の顔色がさっと変わる。
「黒いチビ……黒猫かよ?!」
「誰がチビだ!」
 侮辱的な単語に反応してレオが吠えると、立ったままの男はさっさと仲間を置いて逃げ出してしまった。
 意外に思い切りのいい逃げっぷりに、舌打ちを一つして、レオは押さえ込んでいた男を解放した。
 自由になった男も、こけつまろびつ振り返らずに逃げ去った。
「足くらい引っかけてやれば良かったかな?」
 男達と入れ替わりにセシリーがやってきた。
「レオってば有名人なんだ」
「馬鹿言え。有名なのは船長で、オレはオマケみたいなもんだ。それはそうと、あんたら大丈夫だったか?」
 急な展開に驚いて硬直しながら事の推移を見ていた男女二人組に、レオは声をかけた。
「あ、はい。すいません、ありがとうございました」
 男の方がいち早く我に返って、柔らかいクセのある、色が薄い金髪の頭を下げた。
 それを見た眼鏡の女も、慌てて頭を下げる。濃い茶色のお下げが、その拍子に大きく揺れた。
「被害がなかったんなら良かったよ。ちょっとした義理があったから手出しさせて貰っただけだから、あんまり気にしないようにな。じゃ」
「あの、なにかお礼を」
「いいえ、大したことしたわけじゃありませんから、気にしないで下さいね。あいつもそう言ってますし」
 言いたいことを言って、さっさと背を向けたレオを呼び止めようとした男に、セシリーがよそ行きの態度でニッコリと笑顔を見せ、自分も小走りにレオを追いかけた。
「ねえ、義理って何の話よ?」
 追いついてきたセシリーが、レオの顔を覗き込みながら尋ねる。
「昔、世話になった人が、学問都市(このへん)の元締めみたいなことやってるからさ。別にそれがなかったからって、放っておくわけにもいかないだろが」
「そりゃそうね。さあ、一仕事してお腹減ったでしょ。なんか食べようよ。もちろんあんたのおごりで!」
「結局そこに戻るのかよ……」
 仲が良いのか悪いのか、判然としないやりとりをしながら立ち去る二人の背中を呆然と見送ったところで、男の方がはっと我に返った。
「ト、トリス、大丈夫だったかい?」
「え、あ、はい。私は大丈夫です、先輩」
「折角の買い物だったのに、大変なめに会わせてしまったね、ゴメン」
「いえ、気にしないで下さい。本当に」
「もう明日には出港だから、お互いフィールドワークが終わったら埋め合わせするよ。この辺は治安が良くて、さっきみたいな事は滅多にないんだけどね……」
「あの、先輩。とりあえず通りに戻りましょう……ちょっと、ここにいるのも怖いので……」
「そ、そうか、気づかなくて申し訳ない。じゃあ、今日はさっさと買い物を済ませて帰ることにしようか」
 うんうんと頷く少女と連れだって、二人も路地から出ていった。
 
「ふむ」
 ドムギルが軍手をはめた手で短い顎髭を撫でつつ、梱包を開きながら丁寧に中身を確認していく。
 基本的に船や船載機の消耗パーツばかりだが、大きい物が多く、簡単なチェックだけでも結構大変な作業だが、ドムギルは顔色一つ変えずにどんどん進めていく。
 信用できる業者から納入されているものなので、不良品が混ざる可能性はかなり低く、実際使う際にチェックをするだけでも充分なのだろうが、ドムギルは納入直後のチェックを欠かすことはない。
 船を生き物とするなら内臓に当たる位置の格納庫は、さすがに運搬船と比べればやや手狭だが、それでも船載機二機を余裕で格納できるスペースはある。
 船載機の発射台を兼ねたレールにハンガー二台とその他整備機械。必要最小限をそろえてはいるが、一人で管理できる設備にも見えない。
だが、格納庫内にはドムギル以外いないし、他に作業者が出入りしている気配もない。
 重機の類も充実しているので、一人の作業でも船載機を扱うのは可能だろうが、どう考えても作業効率がいいとは思えなかった。
「お待たせしました」
 ドムギルが作業している格納庫に、ピースがボード型の端末を持って入ってきた。
「いや。ちょっと待ってろ、もう少しで検品が終わる」
「手伝いましょうか?」
「いらん」
 素っ気なく言い捨てて、視線をピースに向けもせず、ドムギルは黙々と作業を続ける。
 別にピースが嫌われているわけではなく、いつものことだ。特に気にした様子もなく、ピースは自分の乗機に歩み寄る。
 羽と尻尾を折り畳み、エイに似た形の巡航形態で格納されているのは、HSA‐0107、通称「ポルカ・ドット」と呼ばれる機体だ。
 その前には、ポルカ・ドットとは対照に縦長の流線形が基本て的シルエットのの機体が格納されている。こちらはレオの乗機で、MMAF‐03、通称「トリファ」。
 両機とも、全長は格納状態で最長五メートルから六メートルほど。展開しても十メートはないだろう。標準的な船載機だ。
 ややのっぺりとしたラインの上面ではなく、ややごちゃっと感じの下面からパネルを操作すると二重のコクピットハッチが展開する。
 アームに支えられて降りてきた座席に座ろうとしたところで、ドムギルから声がかかる。
「先にストラグラーに変えとけ。お前のはソフトと変形機構のチェックから始めるんでな」
「了解しました」
 頷いて、座席に座ったピースは、吸い込まれるように機体内に消える。ハッチがしまりロックの音が聞こえる。
 続いて座席が固定されると同時に、ピースを取り囲むように配置されているコンパネに灯がともった。
 画面に流れる確認メッセージを流し読みしてから、ピースは左のコンパネの下から突き出しているレバーを、一度水平にしてからグッと手前に引く。
 低く力強いモーター音が響き、ぐっと下向きの加重が掛かる。
 ほんの数秒でそれは終わり、エイに似たポルカ・ドットは、細部のバランスは違うものの、およそ身長八メートルの人型に変形した。
「……左腰のモーターの反応が遅れてるな。モーターそのものは交換したばかりだから、やはりソフトとの兼ね合いか」
 振り向かずに検品を進めながら、音だけでドムギルはそう断定した。
 外部マイクでその呟きを拾ったピースは、苦笑いして首を振った。 
 確かに搭乗中、変形に際してほんの僅か、違和感を感じていたのは確かだが、それは毎日触れて、乗っているからこそ判るレベルの違和感だ。
 それを、直接乗ることがほとんどない整備士が音だけで原因を特定するなど、目の前で何度もやって見せられても信じがたかった。
 変形が完全に終わったところで片膝の駐機姿勢をとらせ、ピースはハッチを開いて一度ポルカ・ドットから降りる。
「さすが『神の手』ですね。いつも驚かされます」
 検品を終えて、チェックリストをめくりながら近づいてきたドムギルに、ピースは尊敬の眼差しを向ける。
 その視線に嫌みや皮肉など微塵も込められてはいなかったが、ドムギルはジロリとピースの顔を睨んだ。
「お前さんみたいな大戦を経験してない世代の軍人は、なにかと英雄だなんだと喜ぶがな……。前にも言ったが、あの戦争に英雄なんてものは居なかった。オレもただの技術屋の一人だっただけだ。オレもラキッズも、そんな二つ名で呼ばれて喜ぶ神経は持ち合わせてねぇんだよ」
 怒りの口調ではないが、厳しい言葉にピースが恐縮したように頭を下げた。
「申し訳ありません。何度も言われているのですが、軍学校ではお二人を始めとする方々はヒーローのようなものでしたので。気をつけてはいるのですが……」
「お前さん、この船に乗ってどれだけ経った?」
「今月で半年になるでしょうか」
「そんなもんか。まあ、その内慣れるだろうよ」
 それで、その話題は終わりとばかりに、トラッシュケース型の端末を取り出し、巻き取り式ケーブルの片端をピースに渡す。
 ピースは渡されたケーブルを持って操縦席に戻った。
「しかし、あれだな。お前さん、軍学校出身のせいか、船載機の扱いが綺麗だな」
 接続されたケーブルから手元の端末に流れ込んでくるデータを、目で追いながらドムギルが思い出したように言った。
「そうでしょうか?」
 開いたままのハッチから顔だけ出したピースに、ドムギルは頷く。
「ああ。艦載機や船載機は大分数をいじってきたが、洗練されてるって意味なら結構なもんだ。純粋な消耗品以外のパーツ交換は滅多にないからな、金がかからん」
「褒め言葉と受け取っても?」
「ありがたい、という意味ではそうだな。特に小僧のと一緒に見てると尚更そう感じるな。あいつは感覚で乗ってやがるから、取り回しが乱暴なんだ」
「シミュレーションもあまりしませんし、運用論や技術論には、さらに興味がないようですね」
「昔はああいうタイプが多かったがな。よし、ソフトの摺り合わせだけで大丈夫だな。最適化に少し時間がかかる。動作チェックまで茶でも飲んでこい」
「ドムギルさんの分も持ってきましょう」
「おう、悪いな」
 
          2
 
「すまない、待たせたかな?」
「いや、さほどでもない。最近は忙しいのか?」
「ボチボチだな。少し前の武器密輸の件で、少し後始末が残ってるくらいだ。これが書類仕事がほとんどでな、往生してる。こういう時は心底お前が羨ましいよ」
 待ち合わせの店に現れた髭の男、グラハム・コバルトが親しげにラキッズに声をかけて、先にラキッズ達が着いていたテーブルに座る。
 やや高級店に属する店内、少し奥の個室スペースだ。
「お前の方はどうだ。一応入港申請書には眼を通したが、他に用事があるんじゃないか?」
「いつも通りだ。……なにか情報が?」
「まあ、な」
 含みのある笑みを浮かべて、ふとラキッズから眼を外し、ラキッズと一緒にテーブルに着いているフィーに顔を向けた。
「野暮な話は後にしようか。フィーさん、この店は肉料理が美味いんだ。航海が長いと、魚介類に偏りがちだからな。今日は私が持つので、好きな物を頼むといい」
「ありがとうございます。ですが、メニューをよく知りませんので、注文はお任せしたいのですが」
「よしきた」
 そんなちょっとしたお願いでも嬉しいのか、グラハムは満面の笑みで店員を呼ぶ。
 やってきた女給に一通り注文を済ませてから、改めてラキッズに顔を向ける。
「第二学部第一研究室の、バンガス博士は知ってるな? 以前からグローム連邦軍部との繋がりがある人物だが、最近少し動きがおかしい」
「おかしいというのは?」
「一ヶ月前くらい前から、研究室の動きがだ。元々象牙の塔じみた研究室だが、最近は妙な出入りが多い」
「外部の人間か」
「いや、ほとんどは研究員ばかりなんだがな。一応書類上はフィールドワークってことにはなってるが、あそこは基本的に持ち込まれた物品の解析や研究が中心のはずだ。それが、このところ外出が不自然に増えてる。もちろんチャーター船も業者に頼んでる事になってはいるが、これがまた胡散臭い」
「話の流れからすると、連邦軍」
「裏は取れてない。だが、そこがペーパーカンパニーなのは、ほぼ間違いないな。簡単に裏が取れるだろう。いや、お前のところなら裏にいる連中の晩飯まで判るか。残念ながら、オレの権限で動かせる中にSSS級の情報処理能力者なんていないからな」
 ひょいと肩をすくめて、顔だけフィーに向ける。
「フィーさん、前にも言ったが、うちで働くつもりはないかね? そこらの社長なんかより上の給料が出せると思うんだが」
「お気持ちだけ有り難く受け取らせて戴きますわ。移籍はともかく、わたしができることは、いつでも船長に仰って下さい。協力させて戴きますので」
 ほんわりとした笑顔ではっきりと断るフィーに苦笑いを浮かべるグラハム。
「ま、お前が学問都市(ここ)にきたということは、それ絡みかと思ってな。一応耳に入れておくよ」
「ありがとう、グラハム。軍が絡んでいることは知っていたが、バンガス博士の研究室が協力していることが判ったのは収穫だ。余程に重要な発見があったらしいな」
「遺跡兵器か……」
 苦虫を噛み潰した表情で、グラハムは腕を組んだ。
「戦争が終わって十年。ようやく平和な世の中が期待できる環境になりつつある。ここで国家間のパワーバランスが崩れるのは、あまり嬉しくないな」
「その為の組合、その為の雲海の乙女(ウンディーネ)≠セ」
「頼むぞ」
 力強いラキッズの言葉に、グラハムも至極真面目な顔で頷く。
 そこでちょうど良く飲み物と料理が運ばれて来た。なにも昼食にここまで、というくらいの量の多さだった。
「さあ、オレも昼休みに抜け出してきてるんでな。酒は飲めないが、たっぷり食っていけ。テイクアウトの注文もしてあるから、他の連中への土産にするといい」
 そう言ったグラハムの表情は明るく、久し振りにあった知己への友情に溢れていた。「この一件を終えたら、今度は私の奢りで晩飯を食いに行こうか。船のみんなも一緒に」
「じゃあ、その時にはオレの家族も呼ぼう。楽しみにしてるぞ。それじゃあ、酒でないのが残念だが、ウンディーネのこれからの航海の無事を祈って」
「乾杯」
 
 グラハムとの会食から数時間後、ラキッズとフィーは受注した仕事の依頼主と会う為に、学園第二棟倉庫に来ていた。
 事務員に案内されて、面識のある学部の責任者と顔をあわせたのは良いが、調査に随行するはずの助教授が顔を現さない。内線で確認を取ったところ、外出届けが出されていて、午前中から園内にいないとのことだった。
 人の良さそうな責任者は、ラキッズ達に頭を下げると慌ただしく出て行ってしまった。
 褒められた事ではもちろんないが、遅刻など仕事上のトラブルとしては可愛い物である。ラキッズは特に気を悪くした様子もなく、広い倉庫の中を見回した。
 今回は第一学部雲海生物科からの依頼である。他の学部学科に比べてフィールドワークの占めるウェイトが大きく、特に大きな仕事がないときには、よく受ける仕事だ。
 メルティングポット周辺は、生態系も豊かだが遺跡も多い。だがそれに加え海賊の出没も多く、そういう意味でも危険な海域で、ウンディーネのような実力の高い船が協力してくれるのは、学園としては有り難いのだった。
 フィールドワークということで、何度か学者・学生を乗せたことがあるものの、今回は連邦軍とのいざこざが予想される。
 なんとか、採集を任せて貰って、随伴を断る事はできないものかとラキッズは考えた。
 倉庫の中には、学術サンプルを入れる為であろう、大小のコンテナが並んでいる。その多さから見て、現地での調査よりもサンプルの採集の方に重きを置いているのだろう。
 多少強引な真似をしても、いくらでも揉み消せはするが、できればあまりそういう手は使いたくない。
 一応、妙に思われない程度に交渉して、駄目ならしょうがないか、程度に考える事にする。あまりこだわって、物事を面倒にしてもいけないからだ。
 依頼主の荷物らしい物以外にも、学府らしく用途も判らないような機材がごろごろとあちこちにある。
 フィーは先ほどから携帯端末で契約内容の確認と、その他の事務仕事を行っている。
 話し相手にするのも悪いかと思ったラキッズが機材の類を眺めていると、先ほど出て行った責任者が戻ってきた。
「お待たせして申し訳ない。ほら、入りなさい」
「は、はい!」
 汗を拭き拭き促す責任者に、慌てた様子で答えた声は、若い女の声だった。
「あの、すいません! お待たせしました! えっとあの、ちょっと出先でトラブルが次々と起こりまして……! なんだか最近そんなのばっかりでっ! いえでも最近だけかっていうとそんなことなくて……っ!」
 開けっ放しになっている入り口のシャッターの陰から姿を見せたのは、どうみても二十歳には届いてないだろう、少女と言ってもいい年頃の人物だ。
 わたわたと言い訳なのかよくわからない言葉を吐き出し続けていたが。
「トリン!」
 見かねた責任者に一喝されて、背筋を伸ばした。
「あ、その。どうもすいませんでした!!」
 勢いよく頭を下げた反動で、太いお下げが尻尾のように大きく揺れた。
 その幼さを多分に残した顔には、不釣り合いに大きな旧型のマルチディスプレイ兼用眼鏡。小柄な身体からは、素朴さや純情さが滲み出ていた。
「そう恐縮せずともいいよ。トラブルというのは、起こる物だからね」
 その慌てぶりと童顔に影響されてか、自然とラキッズの声も柔らかくなる。
「雲海の乙女号の船長、ラキッズ・ロウだ。彼女は、副船長兼会計責任者のフィー。今回はよろしく頼む」
「よろしくお願いしますね」
 柔らかく微笑むフィーに頬を赤らめつつ、差し出されたラキッズの大きな手を握り替えしながら、トリンはかくかくと頷いた。
「は、はい、よろしくです! わたしはトリンシア・ポートウェル。学園第一学部雲海生物科第一研究室所属の、一応助教授です」
「ほう、その若さで助教授とは。かなりの才女なのだね」
「いえ、そんな……! 肩書きがあると便利だからって、先生がくれただけのもので、わたし自身が、有能なわけじゃないんです!」
 いかにも大物然とした雰囲気のラキッズに嫌みなく褒められ、恐縮のあまりにますますトリンは真っ赤になる。
「トリン、仕事の話はどうした?」
 軽く咳払いをして促す責任者に、頃合いを見ていたフィーが口を開く。
「事前に提出して戴いたタイムスケジュールはこちらでも確認しました。記入されていない事で、なにかありますでしょうか?」
「あ、はい。特にはないと思います。一応、今まで受けていただいた前例からしても、問題はないんじゃないかと」
「今回同伴する人員というのは、ポートウェルさんかな?」
「はい、そうです」
「ふむ」
 少し思案して切り出す。
「一つ提案なのだが、サンプルの採取は我々に一任していただくわけにはいかないだろうか?」
「え? えーー……っと、それは」
 いきなりの提案に、きょとんとした顔で反駁しようとするトリンに、ラキッズは言葉を重ねる。
「依頼の為に行く海域は、かなり危険なところだ。環境が厳しいのはもちろん、海賊の出没も多い。私たちには今までの実績もノウハウもある。無理に同行せずとも、私たちだけでも納得してもらえる仕事ができると思うが」
「それは……ダメです」
 外見の気弱さとは裏腹に、きっぱりとトリンは答える。一瞬で学者の顔になっていた。
「生物を知るということは、その形態や標本を調べることだけではありません。その生物が生きる環境、生態、なにより生きている姿そのものに触れることこそが重要だと、わたしは思っています。その為に必要ならば、危険であっても、わたしは構いません」
 さっきまでのオドオドした態度はどこにいったのか、ラキッズの目をしっかりと見据えて、瞳に力を込める。
 強い熱意と信念に裏打ちされた言葉と態度に、ラキッズはしばし無言でその視線を受け止めていたが、結局あっさりと降参した。
「どうやら失礼なことを言ってしまったようだ、許して欲しい。それでは、仕事の話をさせてもらいたいのだが、大丈夫だろうか?」
「え、あ、はい。って、ああっ!」
 ラキッズに、謝罪と共に促されて、トリンはようやく自分が手ぶらであることに気がついた。
「すいません、端末を研究室に置きっぱなしにしてきました! すぐ取ってきますんで!」
 言うが早いか、トリンは走って倉庫から出て行った。
 溜息をついて、額を掻きながら話を聞いていた責任者が苦笑いする。
「まあ、あの通りではあるが、学者としては優秀な娘だ。多少の無茶は、こっちも眼をつぶるから、よろしく勉強させてやって欲しい」
 まるで自分の娘を預けるような態度の責任者に、ラキッズが口元を緩めて頷いて見せると、フィーが側に近づいてきた。
「よろしかったのですか?」
「仕方ないな。ああいう眼をした人間と押し問答するのは時間の無駄だよ」
「船長が苦手なタイプですものね」
「権謀術数を弄してくる相手の方がやりやすいのは確かだな」
 肩をすくめるラキッズに、クスリとフィーが笑う。
「実際危険な海域なのは確かだ。実際に危険な目に遭えば態度も変わるかもしれんしな」
「様子を見るということで」
「そういうことだ」
 がつっ!
 骨が骨を打つ、乾いた音が船室に響いた。
 拳で手加減無く殴られた男が、苦鳴を漏らして床に転がる。同じ音が響き、もう一人の男も同じように転がった。
「貴様ら、一体何を考えている!」
 皺一つなく整えられた軍服の襟には少尉の襟章。引き締まった体躯の上には、厳しい訓練によって培われた精悍な青年の顔が乗っており、その表情は怒りに燃えていた。
「今回の任務の重要性が貴様らには理解できんのか!」
 グローム連邦軍特殊部隊「ピアシング」所属を示す軍帽が吹っ飛ぶのではないかと思うほどの剣幕で、さらに怒鳴る。
 殴られて転がった二人は、青年のものとよく似た軍服ではあるが、細部がかなり違う。どうやら、青年と違って一般兵のようだった。
「なにを大声で騒いでいる。哨戒艇のエコー探査に引っかかるぞ」
 冗談なのか本気なのかよく判らない発言と共に、青年と同じ軍服の女が船室に入ってきた。 襟章からすると、中尉。身長はやや女性としては高めで化粧気が薄いものの、美人の部類に入る顔は軍人らしく引き締まっており、やや太い眉毛のお陰もあって、高い身長と合わせて一瞬美形の男のように見える。
「申し訳ありません。ミンスター中尉」
 鉄骨でも入っているのではないのかと疑いたくなる直立不動で、少尉は敬礼する。
「街に出ていた兵が怪我をして帰ってきたというので、話を聞いておりました」
「それで?」
「は。どうやら住人とトラブルを起こし、あげくに『魔女』のクルーと接触してしまったという事です」
「魔女の」
 すっとミンスターの眼が細くなった。
「誰だ」
「どうやら黒猫のようですが」
「そうか」
 ほんの少しだけミンスターの顔に複雑な色が浮かんだが、すぐにそれは消えてしまう。
「我々の事を嗅ぎ付けて来たのでしょうか? こいつらの話では、軍の人間だと気づかれた様子はなかったようですが」
「決めつけるのは早計だが、まず間違いはないだろうな。少し調べる必要があるか。……お前達」
 さらなる上官が現れたお陰で蒼白になった兵士達が、向けられた言葉に直立不動で返事をする。
「もういいから、いくがいい。今後は気をつけろ」
 あっさりとした解放の言葉に、厳罰を覚悟していた二人は、拍子抜けした顔を見合わせた。
「どうした。持ち場に戻れ」
 特に口調が優しいわけではないが、これで話は終わるのだと安堵した二人は、敬礼して部屋を出て行こうとする。
「これだけは覚えておくといい」
 急ぎ足の二人とすれ違いざまに、ミンスターが思い出したように付け足した。
「我々ピアシングは現場の兵に対し、己の裁量で軍法会議なしに懲罰を加えることが許されている。……それが例え極刑であってもだ」
 威圧的でなく、淡々とした言い方だったが、その氷のような一瞥に二人は震え上がった。慌てて異口同音に了解を返し、部屋を逃げ出していった。
「よろしかったので?」
「構わんよ。むしろ、魔女が近くまで来ていると判ったのは収穫だ。我々も少し、直接情報収集に出た方がいいかもしれないな」
「我々が、直接ですか?」
「一般兵に任せていればいいか? 先ほどここであったことを、もう忘れたようだ」
「は、申し訳ありません。差し出口でありました」
「構わん、私もいくことにしよう。明日さっそく出る。時間は追って連絡する」
 注意深く親しい人間なら、ミンスターの態度がやや性急なものであったことに気がついたかも知れないが、残念ながらここにいる少尉はミンスターを尊敬してはいるが、そこまで親しいわけではなかった。
「了解しました」
 今度は一片の迷いなく敬礼で答え、少尉も部屋を出て行った。
「…………」
 一人残された部屋で、ミンスターはそっと溜息をついた。
 
 
「レオ、お客様ですよ」
 依頼の確認を終えた翌日、学園の倉庫で荷物の搬入作業を手伝っていたレオに、フィーが声をかけた。
「オレ? 誰だ?」
 怪訝な顔をしつつレオがやってくると、フィーの背後から濃紺のスーツを綺麗に着こなし、口髭を生やした背の高い男が姿を見せた。
「あぁ! ムラセ!」
 その男を見た瞬間、レオは目を輝かせて駆け寄った。
「久し振りだな、レオ坊」
 渋味の利いた声で答えたムラセは、犬のように飛びついてきたレオを受け止めた。
 背は高く肩幅は広いがやや細身の体躯は、小柄とはいえ、勢いよく飛びついてきたレオの身体受け止めて小揺るぎもしなかった。
 スーツ姿の着こなしは完璧だったが、ビジネスマンではありえない雰囲気は、軍人のようなある種の専門職を彷彿とさせる。
 ムラセは擦りつけられるレオのボサボサ頭をくしゃくしゃと掻き回し、優しく笑った。
「元気にしてたか?」
「もちろん! ムラセも元気そうで良かった。てか、ムラセ偉いのに、一人でこんなところ来て大丈夫なのか?」
「ああ、オヤジがお前を呼べって言うんでな。知らない奴が迎えに行くより、顔見知りが来た方がいいだろ。俺なら学園内(ここ)で顔が利くし、お前の顔を見たかったしな」
「カルローネが?」
「そういうわけで、申し訳ありませんが、ちょいとこいつをお借りしても?」
「結構ですよ。船長にはわたしから伝えておきますので」
「ありがとうございます」
 顔見知りゆえの気安い雰囲気で答えるフィーに、長身を折り曲げるように頭を下げるムラセ。
 そこで話が一区切り着いたと思ったのか、倉庫内で積み込む荷物のチェックをしていたトリンが声をかけてきた。
「あの、すいません」
「?」
 なんだと首を傾げるレオへ、控えめにトリンが言う。
「もしかして、街の方に行かれますか? でしたら、買い物をしたいので、ご一緒させてもらえないかと思って」
「荷物のチェックは?」
「もうほとんど終わりました。昨日のうちに先輩達にも手伝って貰って荷造りをしましたし、今日は再チェックですから」
 レオは、イヤではなさそうだが少し微妙な表情を作って、傍らのムラセを見上げる。
「構わないでしょう。お嬢さんも無関係な話ではありませんので、ついでに一緒に来ていただきましょうか」
「え?」
 どういうことだろう、と思ったトリンだが、フィーもレオもなにも言わないので、特に問題はないのだろうと高をくくって、問い質しはしなかった。
「すぐに出ますが、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
 ツナギにスニーカーというラフな格好のトリンだが、いつもの普段着と特に変わらないので、そのまま外出しても平気だ。
「では、失礼します」
 不思議な礼儀正しさでフィーに頭を下げたムラセは、二人を連れて歩き出した。
 
 やや時代遅れではあるが、その構造の頑丈さと手軽さで、いまだ愛好家も多い蒸気自動車に乗り、三人が向かったのは、いわゆる山の手と呼ばれる高級住宅街だ。
「わたし、この辺に来たの初めてです……」
 なんでここまで? と疑問を持ちたくなるほど大きな屋敷が並ぶ通りを走る車の後部座席から、物珍しそうにきょろきょろと視線を巡らすトリン。
 その様子が微笑ましかったのか、運転するムラセがバックミラー越しに口元を緩める。
「学園関係者にも資産家は多いですが、学術系の連中は、ほとんど学園の敷地内に家を持ってますしね。経営に関わる人間は何人か住んでいるようですが、学者のお嬢さんとは縁が薄いでしょう」
「カルローネは、最近こっちにいること多いのか?」
「いや、今日はたまたまだ。最近妙な連中の出入りも増えてるんでな。逆に街の方に居ることの方が、ここのところは多いな」
「妙な連中?」
「その辺は、オヤジに直接聞くといい」
 助手席のレオに答えつつウィンカーを出し、黒服にサングラスを掛けた屈強そうな男達が立つ門の前に車を止める。
「お疲れ様です。すぐに開けますんで」
 小走りにやってきた男がムラセに頭を下げているうちに、別の男が門に備え付けの内線でどこかに連絡をしている。
「どしたの?」
 バックミラー越しに、トリンが小さくなってることに気がついたレオが声をかけると、トリンがどこか青ざめた顔で上目遣いに言った。
「なんだか、もの凄く場違いな気がしてきたんですけど……」
「えーー? 大丈夫だよ、普通の金持ちとかとは違うから」
「それはそれで、激しく不安なんですが……」
「大丈夫です、客人に無礼を働くような馬鹿は、ここには一人もいませんから」
「はあ」
 レオとムラセの保証もどこかズレた感じがして、不安が拭えないトリンだった。
 そうこうするうちに車は静かに敷地内の駐車場に止まる。学園都市でよくある玄関まで横付けできる建築構造ではないので、そこから木に囲まれた石畳の道をしばし歩く。
 やがて見えてきたのは、学問都市では珍しい、東方風平屋作りの屋敷だった。複数階の建物と比べると威圧感は無いが、家屋そのものから発せられる威厳じみた重厚な雰囲気があった。
 なんだか、やたらとあちこちに剣呑な感じの黒服がうろついていて、トリンの緊張は否が応にも高まっていく。
「オヤジ、連れてきました」
「おう、入れ」
 入り組んだ廊下を進み、中庭の見える部屋の入り口まで来たところでムラセが外から声をかけると、中から太く威圧的な声が返ってきた。
「失礼します」
 膝をついたムラセが東方独特の引き戸を開けて、両手をついて中の人物に頭を下げる。
「ご苦労」
 頷いて、鋭い眼光をレオ達に向けたのは、虎のような雰囲気を持った、中肉中背の壮年の男だった。
 体躯ではなく、その人間そのものに染みついた雰囲気は、尋常のものではなかった。
 トリンには部屋の空気まで鉄になったかのように感じられた。
「カルローネ!」
 その男が視界に入った途端、レオが駆け寄った。
 それを見た男は少し表情を緩め、東方風のゆったりした衣装の裾を払って立ち上がり、飛びついてきたレオを受け止める。
「おう、レオ。元気そうだな。少し背が伸びやがったか」
「少しだけだけどね。カルローネは少し縮んだ?」
「馬鹿野郎。まだそんな歳じゃねぇよ」
 明らかにカタギではあり得ない見た目の男に、金縛りにあったようになっていたトリンは、レオのまったく空気を読まない行動に呆然とする。
 その隣では、ムラセがレオと男のやりとりに苦笑いしていた。
「で、そっちのお嬢さんは誰だ」
 優しい口調だったが、自分のことを言われていると判った途端、飛び上がるようにトリンは背筋を伸ばす。
「例の件で、絡まれていた学生のお一人です」
「なるほどな。お嬢さん、俺達の不始末で面倒掛けちまったらしいな。申し訳ねえ」
 ムラセに頷き返し、男はレオをひとまず横にのけて、総白髪ではあるが、ふさふさの頭をトリンに向かって下げる。
「は、はい……って、あの、一体何のお話でしょうか?」
 反射的に返事をしてから、トリンはオドオドと問い返した。
 首を傾げるトリンに、ムラセが助け船を出す。
「昨日、メーラント通りでチンピラに絡まれたでしょう?」
「え? ええ、そうですけど、何で知ってるんですか? それに不始末って?」
「ああ、すまねえな。いきなり言われてもわかんねぇよな。わしらは、この都市でちょっとした害虫退治をしてる害虫さ」
「オヤジ」
 困った顔で口を挟むムラセに口を開けて笑い、押さえているのではあるだろうが、充分に力の強い眼をトリンに向ける。
「害虫は害虫同士、カタギの衆に迷惑をかけねぇようにはしてるんだが、たまに命知らずが馬鹿をやりやがる。なかなか広い街なんで、たまに手のとどかねぇ時もあってな。そんなわけだ。悪かったな、嬢ちゃん」
 そこでようやく、トリンは目の前の男が、どんな世界の住人なのかが判った。トリンには、噂や本でしか知らない世界の住人。
 蒼白になりながら、肩から取れてしまいそうな勢いで両手を振った。
「ややややっ! あ、あのあの、気にしないで下さいっ! えっと、レオ君にも助けてもらったし、もう別に!」
 ちなみに、ウンディーネクルーとトリンの顔合わせ時に、お互い顔見知りだったのに驚いた一幕があった。
「そうだ。その連中、ちゃんと教育(しつけ)したの?」
「その話だ。おめえをわざわざ呼んだのはな」
 きゅっと片眉を上げて、カルローネはレオを振り返る。
「まあ、立ち話もなんだ、座ってくれ」
 貴重な分厚い木材でできた大きな低いテーブルをすすめ、自らもどっかりとあぐらをかく。レオとトリンもそれにならうと、ムラセが一礼して席を外す。
「その二人組とやらだが、ちっと説教してやらなきゃならねぇってんで、足取りを追わせたらしいがな。どうも、途中で足取りが消えたらしいな」
「消えた?」
「綺麗さっぱりな。この街じゃ特に珍しいことでもねぇが」
 学園都市は世界最大規模の都市であり、同時に最も人の出入りが激しい都市である。
 入管の厳密さでも世界最高レベルではあるが、人の出入りが多ければ、その分目の届かない範囲も多くなる。
 商業的にも世界の諜報機関にとっても重要な都市の一つであり、その類の人員は多く出入りしている。
 入管局もそれはある程度把握しているものの、目立った暗躍が無い限りは黙認状態だ。
 治安的に多少の不安はあるものの、だからこそカルローネ達のような集団が必要になる。少しくらいのいざこざなら、その組織力であっという間に解決できるからだ。
 だからといって、カルローネ達が強硬なばかりかというとそうでもなく、基本的には緩やかな監視体制を敷き、場合によってはそういった連中の面倒を見ることもあった。
「やることがチンピラの割に、足跡の消し方が綺麗すぎる。となれば、後ろに大きなのがいるんだろうな」
「どこの人間かなんて、もう判ってんだろ?」
「なんでぇ、面白くねえな。ちっとは勿体ぶらせろや」
 カルローネはつまらなそうに口を尖らせたが、すぐに表情を真面目なものに変える。
「グローム連邦の軍人だな。一応昨日のうちに、繋がりのある連中にそれとなく当たってみたが、まず間違いねぇな。それと、これはさっき耳に入った話なんだが……。どうも連邦の特殊部隊がちょろついてるってな」
「特殊部隊……ピアシング?」
「だな。うちの元連邦軍兵士って野郎が、そいつら何人かの顔を知っててな。そいつ自身が見かけたってんだよ」
「やっぱ、オレら対策?」
「ピアシングは基本的に荒事専門の艦載機乗りの部隊だからな。本来、ここいらをうろちょろするような連中じゃねぇし。お前ら関係じゃねえか?」
 ピアシングは、先の大戦において電撃作戦を得意とした強襲部隊が母体である。
 戦後さらに精鋭を募り、現在は世界に名だたる部隊の一つになっているが、ひとまず表面上は平和的均衡が保たれている世界情勢の中では、戦果として残る記録は少ない。
 だが、連邦内の治安維持活動や、海賊討伐作戦などにおける活躍から、その実力を疑問視する者はいない。
「まあ、連邦がなにやらやってるらしいってのは、しばらく前から耳に入ってたが。おかげで、各国(あちこち)の盗み聞き屋がざわついててな。取りあえず、こうしてお前の耳に入れたからには、当の連邦以外は手を引くだろうよ」
「なんで?」
「今のところ、ウンディーネと喧嘩してまでって元気のあるとこはねえってこった。漁夫の利を狙ってるとこはあるかもしれねえが、まあ無視してかまわねぇだろうさ」
「根性無えなぁ」
 無責任に笑うレオだったが、ふと天井を仰いで、ぼそっと呟いた。
「そっか、ピアシングか」
 ちらりとカルローネは呟きに反応したが、何か心当たりでもあるのか黙っていた。
 そこでひとまず話は一段落つき、丁度ムラセが茶と茶請けを持って戻ってきた。
「そういや、お前にも面倒かけた。土産の一つもくれてやらなきゃならねぇな」
 緑色の茶を一口啜って、茶請けのお菓子を一口に頬張ったレオに、カルローネが水を向けた。
 もむもむと口の中の物をかみ砕き、飲み込んだレオは、開口一番不満そうに言った。
「なんだよ、水臭ぇな。オレも『家族』じゃねえか。一家の為になんかするのに、礼なんかいらねーよ」
「バカヤロウ。てめぇは家族じゃねえ。俺にしてみりゃ、野良猫拾ってしばらく世話したぐらいにしか思ってねぇんだよ」
「ひでぇ!」
 言葉だけ聞いていると殺伐とした感じだが、両者の間には気安さだけがあって、なんの含みも感じられない。
 その不思議な雰囲気と、場違いな自分に少し肩身の狭さのようなものを感じながら、トリンが控えめに茶を啜る。
 それを察してくれたのか、ムラセが二人の会話を邪魔しない程度に小声で話しかけてきた。
「オヤジは坊をカタギにしたいんですよ」
「仲は良さそうに見えるんですけど」
「仲は良いですよ。だからこそ、坊をこっちの世界に引き込みたくないんですよ」
 ムラセ自身もカルローニと同意見なのか、薄く笑う。
 しばらく歓談を続けたところで、ムラセがカルローネを促した。
「オヤジ、そろそろ……」
「おう」
 頷いて立ち上がり、歳と見た目に似合わない明るい笑顔でレオを見る。
「これでも、色々と忙しい身でな。街に戻らなきゃいけねえ。ムラセに送らせるから、土産を持ってくの忘れねぇようにな。お嬢さんも、申し訳ねぇがこれで失礼するよ」
 また急に言葉を向けられて、コクコクとトリンは頷いた。
「じゃあな、レオ。用事が無い時には、俺のところにはちかよらねぇようにな」
「はいはい」
 お互い優しい表情で挨拶を交わす二人。
 トリンはやはり首を傾げていた。
 
「あのー、レオ君。ちょっと訊いてもいいですか?」
 帰りの車の中で、トリンがバックミラーの中のレオへ口を開いた。
「ん?」
「カルローネさんとはどういう関係なんです? 親戚とかでは無さそうですけど」
 肌の色も顔立ちも、共通する部分がほとんど無く、その割に深い信頼関係を感じる間柄に、興味をそそられたのだろう。トリンはあがり性の気があるようだが、好奇心は強いらしい。
「ああ、オレって元々孤児でね。色々あってこの街に来たときに、やっぱり色々あってカルローネに拾って貰ったんだよ」
「拾って……?」
「そ。その後、しばらくカルローネの側で小間使いみたいな事してたんだけど、二年前だったかな。カルローネからウンディーネに乗れって言われて。そんで今に至ると」
 なんだか重めの事実をさらっと口にされたような気がするが、ふと自分が学園に来る時の事を思い出し、質問を重ねた。
「レオ君がカルローネさんの事を慕ってるのは、見てて凄く判るんですけど。寂しくは無かったですか?」
「だって、カルローネがそうしろって言ったんだもん」
 なにを当たり前な、という口調で言われて、トリンは言葉に詰まった。
「ほっとかれれば死ぬしかなかったオレを拾って貰った時から、オレの命はカルローネの物だからさ。やれって言われればやるし、死ねって言われれば死ぬよ。あ、だからと言って、ウンディーネで働くのがイヤなわけじゃないよ。船長は、カルローネと同じくらい尊敬できる人だし、その下で働けるのは幸せだよ」
 ミラーの中のレオの笑顔には一点の曇りも無かった。
「……羨ましいですね」
 しばしの沈黙の後、ぽつりとトリンが呟く。
 ムラセは今の二人のやりとりに何を思ったのか、正面を向いて運転をする横顔からは、何も読み取れなかった。
 
          4
 
「失礼します」
 教授室の厚い樹脂製の扉をノックしてから、青年は部屋の中に入った。
「おお、来たカネ」
 部屋の中で、その体躯と不釣り合いに大きな机から顔を上げたのは、額から頭頂部にかけて見事に禿げ上がり、残った白髪が爆発したようにぼさぼさの、小柄な白衣の老人だった。
 老人は、特徴的な鷲鼻に乗った丸いレンズの眼鏡を、無造作に指で押し上げる。
「で、話は聞いているカネ?」
「はあ、いえ、専門的な知識を持っている人間が必要らしいから、お前が行けとだけ言われまして。内容は博士から直接聞け、とのことでしたが……」
「なんだ、面倒ダネ。専門家というのは自分の興味のあること以外には、ズボラも極まると思うのだが、君はどう思ウネ?」
「はあ……」
「まあ、そんなことはどうでもイイ」
 老人は根本的に人の話を聞かない人間なのか、本当に心底どうでもよさそうな態度で椅子から降りると、座っている時よりも頭の位置が低くなった。
「明日の午後に出発ダヨ。遅れないようニナ」
「は?」
「二度同じ事は言わなイヨ。準備したマエ」
「はあ」
 これ以上この博士に話を聞いても無駄だと思った青年は、顔を知っている助教授に話を聞いた方が早いなと判断して、早々に退出しようと頭を下げつつ、どうやら自分は貧乏くじを引いたのだなと心の中で呟いた。
「君は運がイイ」
 その心の呟きが聞こえたわけではないだろうが、棚のファイルをあさりながら、短?の博士は悪魔のような笑いを浮かべた。
「このドクター・バンガスの大いなる功績に、貢献する事ができるのだかラネ」
 いい知れない不吉さに悪寒を感じながら、青年は慌てて退出する。
 その不吉さを封印するように厚い扉を閉めた青年は、前大戦を結果的に終息へと導いた悪魔の兵器を、解析・使用可能にしたシンクタンクの筆頭がバンガス博士だった事を、今更ながらに思い出した。
 その是非はともかく、自分の引いたくじは本物の貧乏くじだったのだなと溜息をついて、重い足取りで青年は歩き出した。
 
「それでは、航海の無事を祈って」
「「乾杯!」」
 出港を明日に控え、ウンディーネクルーとトリンは、初日にラキッズ達が招待されていた店の個室で夕食を摂っていた。
「船長〜〜、酒はーー?」
「少なくとも公共の場では遠慮してくれ」
「ちぇ〜〜。オレの生まれた国じゃ、十五で成人なんだけどなぁ」
「あんた、人種は共和国だろうけど、本当にどこで生まれたかなんて、わかんないんでしょ?」
 つまらなそうにコップのジュースを飲み干し、豊富に並んだ料理の皿から自分の小皿に取り分けるレオに、呆れた様子でセシリーが突っ込む。
「この前は、実は皇国出身だ、とか言ってましたね」
「いい加減ねぇ」
 二杯目を隣のドムギルに注ぐピースとセシリーに続けて言われるが、レオは聞こえない振りでモリモリと料理を食べ始める。
 トリンは、船乗りというイメージから来る荒っぽさとは全く無縁のクルー達に、安心と共に親近感も覚えつつ、元々あまり酒席などに参加しないこともあって、少し心が浮き立つようだった。
「そういやさぁ」
 ふと食事の手を止めて、隣のトリンに目を向けるレオ。
 慣れないアルコールのせいもあって、なんとなく一人でニコニコしていたトリンは慌てて返事をする。
「はい?」
「この前、一緒にいた男って彼氏?」
「はい!?」
 いきなり思っても見なかった話題を、そういうのに一番疎そうな相手から振られて、目を丸くする。
「え? なに、そういう話なの?」
 耳敏く聞きつけたセシリーが、獲物を見つけたピラニアのような速度で、酒瓶片手に椅子ごと移動してくる。
「え、いや、そんなんじゃなくてですねぇ」
「いやいやいやいや、まずはホラ、お口の滑りを良くする魔法のクスリをね〜〜♪」
 問答無用でトリンのジョッキに酒を注ぎ込むセシリー。同年代の人間が周りにいないのもあるだろうが、恋愛関係の話題に飢えているようだ。
 それに加え、普段大人に囲まれているせいか、飲酒経験なしとは思えない手並みだ。
 レオの方はというと、話を振っただけで満足したのか、セシリーに場所を譲って、料理の消費に戻っていた。
 そんなわけで、数十分後には押しの弱いところのあるトリンは、ものの見事に酔っぱらっていた。
「で、どうなの、その人とは?」
「え〜〜、別にぃ、特別な関係では無くてですねぇ〜〜。近くの地方の出身で、同じくミソノ教授の推薦で学園に入ったから、その縁で色々面倒をみてくれてるだけなんですよぅ。先輩はトリスって愛称で呼んでくれますけど〜〜」
 もはや、セシリーに注がれるまでもなく、手酌でくぴくぴとトリンは飲み続けている。
 意外にアルコールには強いようである。
「ミソノ教授っていうのは、女の人?」
「そうですぅ。第一学部の筆頭教授なんですけど、一年のほとんどを学外で過ごしてますね〜〜。フィールドワークであちこち回ってるんですけど、学園上層部でも連絡を取るのは困難みたいですねぇ。ちなみに、わたしの出身地近くに来た時にお手伝いした縁で、わたしは学問都市(ここ)に呼ばれたんですねぇ。なんだかんだ言って、学園内部では権力争いとかありますから〜〜、筆頭教授とはいっても、ほとんど学内にいない教授の推薦で学園に入った私たちみたいなのは、結構いじめられるんですよねぇ」
「ふーーん。学者さんって、もっと気楽な職業かと思ってた」
「そんなことないですよぅ。どんな仕事だって、大変なところはありますよ〜〜」  
 そろそろ呂律が怪しくなり始めている。潰れるまで秒読みだろう。
「あれは大丈夫かな?」
「大丈夫でしょう。今日はこのまま船に泊まっていただく予定でしたし、客室の掃除も終わってます」
 元の話題からは離れてしまったが、それなりに楽しそうなやりとりを眺めつつ、ラキッズが漏らした呟きに、フィーが答える。
「少し失礼します。用足しを」
 ドムギルと船載機の調整について意見を交わしていたピースが席を立つ。
 丁度通りがかった給仕に手洗いの場所を訊き、ピースは個室を後にした。
「実はさぁ」
 ピースの姿が完全に見えなくなったのを確認してから、レオが口を開いた。
「昨日カルローニから、ピアシングが動いてるって話を聞いたんだけど……」
 すでにほとんどテーブルに突っ伏しているトリン以外の視線が、一斉にレオに向いた。
「確かか?」
「カルローニところの元軍人が見たって言ってるそうだから、信用できると思うよ」
「ピアシングって、ピースの……」
 眉根を寄せて呟くセシリーがラキッズに目を向ける。
 その視線を受けて頷いたラキッズが頷き返し、レオに向かって口を開く。
「だから、今まで黙っていたのだろう?」
「まーね。動揺して、後ろから撃たれたりしたら、たまんないからさ。一応パートナーだし」
 誤魔化すように肩を竦めるレオの態度には、照れ隠しが見えていた。
「ピースには、後で私から伝えておく」
 レオの態度に口元を少し緩めて、ラキッズはグラスを傾けた。
 
「ウンディーネは蛻(もぬけ)の殻だったようですが。不用心な事ですね」
 食事の手を休めて、若い少尉は目の前に座った上官に話しかけた。
 肉料理を売りにしている店は、安くは無いが高級店というほど堅苦しくもなく、ほどよい騒音が溢れ、二人の座っている奥まった席なら、多少不穏な話をしていても気にする者はいない。
 ウンディーネの動向を探る為、ミンスターと少尉は一般市民の服装で、今日一日あまりを調査行動に費やしていた。
 少尉は紺色のスーツ、ミンスターも萌葱色のスーツ姿。
 なんということのない格好だが、ミンスターの普段が普段の為、スカートに薄い化粧だけでも充分に女性を意識してしまい、どこかぎこちなくなってしまう少尉だった。
「あの船はいつもそうなようだな」
 服装に見合わない、鉄のような口調でミンスターも手を止める。
「情報部の話では、あの船のセキュリティは皇国銀行よりも遙かにレベルが上だそうだぞ。以前に進入を試みた某国の特殊工作部隊が、まったく歯が立たなかったどころか、使用端末に悪質なコンピューターウィルスを仕込まれ、支部のシステムが一週間ほど麻痺したという話を耳にしたことがある」
「……船そのものではなく、人間の方をどうにかする方法もあると思いますが」
「ウンディーネ船長のラキッズ・ロウは、組合の設立に重要な役割を果たしたという噂がある。その真偽はともかく、ラキッズ・ロウに手を出せば、まず十中八九組合を敵に回すことになる。それに加え、ウンディーネクルーにも、妙な人脈を持った人物が何人かいる。クルー同士の結束も堅いことを考えると、クルーの誰かに直接手を出した場合、どれだけの戦力、ないし権力を敵に回すことになるか情報部でも把握し切れていない」
「それほどですか……。でも、自分には必要以上にウンディーネが恐れられているように感じられるのですが」
「それは、軍部批判か?」
「い、いえ! そんなことは!」
 慌てる少尉に、クスリともせずに食事を再開しつつミンスターは続ける。
「どこから手に入れた物かは知らないが、あの船は遺跡技術の塊だ。艦載機こそ通常のものだが、船自体は、例え手に入れたとしても、その技術解析に十年単位で時間が必要になるだろうという見解が技術部からも出ている。それに人員搭乗型の遺跡兵器では、個人差で起動できたりできなかったり、という事例もある」
「それは自分も聞いたことがあります。艦載機の元になったステロタイプと呼ばれる機動兵器は、いまだ動かせる人間がいないとか」
「要は、リスクに見合ったリターンが、今の時点では少なすぎるということだ」
「遺跡の発掘を妨害して回っているのは、充分害があると思うのですが」
「少なくとも、ウンディーネに渡ったと思われる技術や兵器が、外部に流出した形跡はない。三大国を始めとする各国も、他国の軍事力強化に神経質になっている現状、各国軍部もあまり大きな動きを見せて目を引きたくないのだろうな」
「難しいところなのですね……」
「だからこそ、我々のような機動力のある部隊が必要とされる。現状、ウンディーネに対しては武力で退けるか、見つからないように身を隠すしかないのだからな」
 話しながらも食事を終えたミンスターは、ナプキンで口元を拭きつつ席を立った。
「中尉、どちらへ?」
「トイレだ。それと、調査任務中は名前で呼ぶように言ったはずだが?」
「は……! し、失礼しました!」
 ミンスターの答えと叱責、両方に赤面した少尉は思わず敬礼をしてしまう。
 それを見たミンスターは、さすがに少し苦笑いして歩き出した。
 
 清潔で明るい照明が降り注ぐ化粧室の中。洗面台に映る自分の姿を見て、ミンスター軽く溜息をつく。
 今日一日をウンディーネの動向調査に費やしたが、学園の仕事を受けた、という事実の確認が取れた以外は、さして重要な情報は手に入らなかった。
 ただその調査先が、今回の作戦海域に多少近いのが気になる程度だが、それを持ってウンディーネがこちらの作戦に関与してくると考えるには少し弱い。
 専門の情報部員なら、もう少しまともな調査ができたかもしれんが。
 そう考えても詮無いことでであるし、そうであれば直接こうして出張る事も無かっただろうが。
 一応情報収集の訓練も受けていたものの、実際の場に出るのは初めてだった。
 今回の作戦は隠密を第一義としている為、できる限りの人員削減が図られている。諜報員の必要は少ないと考えられて、今作戦部隊に諜報員は割り振られていない。
 調査の申請は、今回の作戦行動の責任者である大佐から簡単に許可が出た。
 これは将校の一部に、ピアシングを総合的な技術を持った部隊に作り直そうという動きがある為で、差し支えの出ない限りは、広い任務経験を積ませようとしているのだ。
 今のところウンディーネに嗅ぎ付けられた確証はなく、ウンディーネクルーとの接触だけは慎重に避けろ、とだけ命令が出ているだけだ。
 なにをしているのだろうな、私は……。
 鏡の中の、薄い化粧を施した顔に問いかける。
 会えるのではないかと、どこかで期待している自分がいる。
 だが、会ってどうする? 相手は軍の内部だけ、それも一部の幹部しか知らないことではあるが、お尋ね者だ。
 おまけに、今はウンディーネクルーの一人。
 接触するだけで、重大な命令違反だ。
「今日は、もう引き上げた方がいいか……」
 盛大に溜息をつき、手を洗って化粧室を出る。
 出たところで、隣の男性用トイレから出てきた人物と肩がぶつかった。
「失礼」
「すいません」
 お互い反射的に謝罪の言葉を発しながら相手を見、同時に動きを止めた。
「ちゅ、中尉……?」
「もしかして、ミンスター少尉ですか?」
 ミンスターがぶつかったのは、ピースだった。
 不意の出会いに思考停止しかけたミンスターに、複雑な微笑でピースは言った。
「もう、軍属ではありません。今の僕は、ピースという名前の、ただの一般人ですよ。それにしても、久し振りですねミンスター少尉。こんなところにいるのは、観光かなにかですか?」
 やや気まずそうに、ピースが尋ねる。ミンスターはとっさに目を伏せて誤魔化した。
「え、は、はい。少し休暇が溜まってまして、それを利用して観光に……。それと、今は中尉です」
「昇進したのですか、それはおめでとうございます。今は休暇中なのですね、少し安心しました」
「安心?」
「僕は、連邦軍部ではお尋ね者でしょう? でも、休暇中なら、見逃してもらえるかと思いまして」
 戯けるように肩を竦める。
 それを見て、少し雰囲気が変わったな、とミンスターは思った。
 肩を並べていた頃は、狙撃手にありがちな冷徹で物静かな印象が強かった。たまに冗談を言うこともあったものの、基本的には真顔だったので本気かどうか判らないこともしばしばだったのだが。
「……報告は、しません」
 ぽつりと答える。
 伏せていた目を上げると、そこは以前と変わらない、青い目と視線がぶつかる。
「ありがとうございます」
 レンズの向こうの目元が弛む。
 聞きたいことがあった。
 言いたいことも、山のようにあったはずだ。
 だが、どれも口から出てきてくれはしなかった。
「もう少し話したいとは思うのですが、お互いあまり仲良くしない方がいいのでしょうね……。それでは、申し訳ありませんけども、連絡先は教えられませんが少尉……今は中尉でしたね。貴女の幸運を祈ります」
 そういって差し出されたピースの手を見つめ、ほんの一瞬ミンスターは逡巡したが、結局躊躇いがちに握りかえした。
 懐かしい、軍人とは思えないほど、しっとりとした女性的な感触の手。
 ミンスターが感慨に耽る間もなく、ピースの手は離れていった。
「では、失礼します」
 一礼して背を向けたピースの背中に、ミンスターは堪えきれずに声をかけた。
「中尉!」
 昔の呼び方だったが、ピースは何も言わずに振り返った。
「また……お会いしましょう」
 その言葉をどうとったのか、ピースは複雑な笑みを見せただけで、何も答えずに再度背を向けて歩き出した。
 それを見つめるミンスターは、その背中が見えなくなった後も、しばらくそこに立ち尽くしていた。
 
       act.2 雲海
 
 
「11:00(ヒトヒトマルマル)、“雲海の乙女”号出航します」
「管制、了解。良い航海を」
 ソバカスの可愛らしい女性の管制官が、職業的なものではない笑顔をモニターに残して通信を切った。
 計器管理画面に切り替わったメインモニターに所定の操作を打ち込み、フィーは席を立った。 後はオートパイロットで外海まで出られるので、取りあえずやることは無い。
「それでは、お茶でも淹れてきましょうか」
「あ、お手伝いします」
 船内とは言っても、まったく揺れていないというのに、どこか危なっかしい仕草でビジター席から立ち上がるトリン。
 ウンディーネのブリッジは、中型船らしくややこぢんまりとしていて、本来出港時にはブリッジ要員は全員着席してなければいけないのが不文律なのだが、今はトリンを含めても、ラキッズとフィーの三人しかいない。
 一応ブリッジ要員なのは、先の二人とドムギル、セシリーの四人だ。
 セシリーは今ネットスクールの受講中。
 ドムギルは、動力関係の管制一般が担当なのだが、「エンジンってのはな、目と鼻と耳と手でみるもんだ」と、航海中は艦載機の整備時以外、大抵は動力室に詰めている。
 実際のところ、特殊なウンディーネの動力は、航海中にメンテナンスが必要になることなどほとんど無いし、その基礎理論は、機械整備の技術屋であるドムギルでは理解できない理論が大半を占めている。
 だが、ドムギルの見立てで細々とした不具合が見つかったことは、一度ならずある。ドムギル自身説明しないし、周りの人間には超能力としか思えないが、本当に「みる」ことでウンディーネの不調・不具合を見つけているようだった。
 理屈は不明ではあるが、ドムギルの眼の確かさは、クルー達の間では盤石の信頼を得ている。 ちなみに、一応動力室の端末でも数値的データは確認できるが、ドムギルがそれを利用しているのを見た者はほとんどいない。
「依頼者なのですから、ゆっくりなさって結構なんですよ?」
「いえ、研究室でも雑用ばっかりしてますし、船では手ぶらでいていい人間はいないって聞きました」
 それは、いわゆる船乗りのルールとして知られる考えではある。どちらかというと古い考え方で、暗黙の了解の一つとして多少残っている程度のものだが。
「そうですか。では、お願いします」
 その真面目さが気に入ったのか、フィーは押し問答などせずに、あっさり微笑んで頷いた。
「では船長、しばらくお願いします」
「うむ」
 フィーの言葉に頷いて、ラキッズはブリッジを透過モードに切り替え、椅子に深く座り直すと、広がる雲海を遠い目で見渡す。
 まだ内海なので大きな雲もなく、雲海も穏やかで天気も良い。おそらくレオ辺りは、また甲板でひなたぼっこでも始めるだろう。
 と言ってる側から、甲板にリクライニングチェアを引っ張り出すレオの姿が見えた。
 センサー類が充実し、ごく少数の人間で管理できる船とはいえ、やはり人間の眼で確認する以上の信頼性は無い。
 なにより、ほどよく緊張感を保てる為、ブリッジでの見張り番は持ち回りで全員がやることになっている。
 一人になったブリッジで、ラキッズは天井を仰ぐ。
 透過モードになっている天井からは、燦々と太陽の光が降り注いでいる。
 フィルター機能が入っている為、日焼けの心配も無いし、暑さもほとんど感じないが、それでも爽快な気持ちになる。
「平和だな」
 重く、染み渡るように、ラキッズはそっと呟いた。
 ウンディーネの舳先では、銀色の乙女が静かに陽光を反射している。
 
「あの、ちょっとお訊きしてもいいですか?」
 固定式の食器棚の中からカップを取り出しているフィーに、茶葉を入れたポットにお湯を注いでタイマーをセットしたトリンが声をかけた。
「なんでしょうか?」
「今回、フィールドワークでメルティング・ポットにいくのは初めてなんですけど、ちょっと疑問に思ってることがあるんです」
「私の判ることで良ければ、お答えしますよ」
 柔らかい表情で答えるフィー。
 そういえば、会ってから短いけど、この人の笑顔以外って見たこと無いなぁ、とフィーの顔に見入りながら言葉を続けた。
「メルティング・ポットには海賊が多く出るって聞いたんですけど、何ででしょう? 通常航路はメルティング・ポットを避けて通ってますし、学園都市も遠くないから、各国の軍艦もウロウロすることがあるのに。海賊の人たちにとって、あまり良い地域ではないような気がするんですけど……」
「そうですね、雲龍を始めとする大型雲海生物の目撃例も多いところですし。それでも、彼らがメルティング・ポットで活動するのは、いくつか理由があります。まず、雲海が濃く、浮島・島雲などが多く、彼らの活動拠点……いわゆるアジトですね……が置きやすいこと。遺跡発見などの余録が期待できること。彼らに発掘・調査能力が無くても、組合に報告して探査権を売れば資金になります。あとは避けて通っているとは言っても、大きな航路が比較的近くにあること。そしてもう一つは、好んでメルティング・ポットに入っていく人たちも一部にいますから」
「遺跡発掘(トレジヤーハント)の人ですか?」
「それもそうですが、あまりよい標的では無いですね。『始まりの船達(スターティング・シツプス)』は知っていますか?」
「わたしたちの先祖がこの世界に来る時に乗ってきたって船のことですね」
「その船の一隻がメルティング・ポットで発見されています。その船目当てにやってくる人たち、スターティング・シップを信仰の対象とする宗教の信者……裕福な人が多いらしいのですが……が、一番の獲物のようです」
「なんでわざわざそんな危ないって解ってるところに? 標的にされるってことは、それだけ多くの人たちがくるってことですよね?」
「さぁ……私には解りかねます。信仰というのはそういうものなのかもしれません。彼ら信者にとっては、スターティング・シップを参拝するのが、一つのステータスになっているようですから。一応あちこちの団体から忠告が出ているようですが、それでもメルティング・ポットに入っていく信者が減ったという話は、寡聞にしてありませんね」
「なるほど……」
「他には、なにかありますか?」
「いえ、今ので大体解りました。ありがとうございます」
「なにかあれば、他のクルーへも質問して下さい。すこし無愛想に見える人もいますけど、知的好奇心を持って質問する人を邪険にする人はいませんから」
「ありがとうございます!」
「では、ブリッジに、戻りましょうか」
 話している間に準備の終わったお茶をトレイに乗せたフィーが、ひょいと上体を起こした拍子に、ブラウスの胸元がふるりと揺れるのを見たトリンは、同じように茶菓子のトレイを持って上体を起こしながら食器棚のガラスに映る自分を観察する。
 どうしたら、あんなになるのか訊いたら怒られるかなぁ?
 ぼんやりとそんな事を考えながら、フィーの背中を追った。
 
 昼食を終えて、トリンはウンディーネの中を散策していた。
 乗り込んでいる間は、船内の雑務を手伝うことにはなったものの、ウンディーネではほとんどの雑務は午前中に済まされてしまい、午後は個人の仕事や訓練などに充てられている。
 取りあえず、夕食の支度を手伝うのは決まったが、それまでの時間が空いた。
 本来なら、乗せた研究機材・資材のチェックや端末のデータ整理など、やることがないわけではないが、このウンディーネという船に興味が湧いたので、あちこち見回ってみることにしたのだった。
 ウンディーネは中型船舶に属する船で、一般商船のように雲上船ではなく、雲海に潜る事もできる雲海船であり、甲板の広い雲上船と違い、胴体部分は筒に近い断面を持っている。
 雲上船に比べ雲海船は、同規模船同士で比べると、その形状からいってやや狭い事が多いのだが、ウンディーネは元々少人数での運用を前提としているようなのに、広々とまではいかないが、比較的内部は広めに作られているようだ。
 通路など、軍用艦では擦れ違うのも困難な場合があるが、ウンディーネの通路はそこまで狭くない。通常の体格の者なら、余裕で擦れ違える広さだ。
 綺麗に掃除された通路を歩いていると、手前のドアが横に開いてピースが出てきた。
「おや、トリンシアさん。散歩ですか?」
「あ、はい。少し時間が空いたので、見て回らせて頂いてます。ピースさんは……」
 視線をドア横の壁に向けると、シミュレーション室、というプレートが貼ってあった。
「日課の訓練です。凡人ですから、サボるとすぐに腕が落ちますのでね」
 肩を竦めてにっこりと笑う。やや冷たい容貌のピースがそういう顔をすると、実際以上に暖かみを感じる。
「良ければ、機材を見てみますか?」
「はい、お願いします」
 ピースが横にどけて場所を譲り、トリンが引き戸に一歩踏み込むと、中は一瞬それほど広くない部屋に見えた。
 だがそれは、部屋の中に設置された機材が巨大だったからだ。
 両サイドの壁に一台ずつ、天井から床までぴったりとはまり込んだ機械は、トリンには馴染みがなかったが、船載機の操縦席を模したものだ。
「はーー……」
 良くは解らないが、見慣れた機械と比べても、次元の違うものだという雰囲気がビシビシ伝わってきて、トリンはポカンと口を開けてそれらを眺めた。
「凄いでしょう? 軍にいた時にもシミュレーターはありましたが、これは精度が段違いですね。これに比べれば、軍用でも子供のゲームレベルですね」
 誇らしげに話すピースは、子供のように眼を輝かせている。
「ピースさんは、元軍人さんなんですか?」
 何の気なしにトリンがした質問に、ピースはちょっと気まずそうな顔をした。
「ええ、まあ……昔の話ですよ。それより、少しいじってみますか?」
「え、遠慮します。壊しちゃうといけないんで……」
 ピースの言葉に頬を引きつらせて、トリンは一歩下がった。
 元来機械が得意というわけでもないし、一応ドジなのは自覚しているので、こんな威圧感のある機械に触れるのは、少しと言わず抵抗があった。
「ピースさんは、なんのシミュレーションを?」
「僕は主に対艦載機戦闘のシミュレーションですね。一応、船載機を使った作業のシミュレーションも一通りできるので、そちらも少々」
「戦闘の、ですか……?」
「この船も名前が知れていますので、功名心に駆られた方々のちょっかいを受けることは多々ありますし、海賊の襲撃を受けることもありますしね。大型商船の護衛や、VIPの移動なんかを手伝うこともありますし。意外に多いんですよ、そういう機会が」
「はーー……」
 田舎の村で育ち、学問都市に来てからは、ほとんど研究室にいたトリンには想像もできない世界の話だった。
「なんで今回、うちの依頼なんか受けてくれたんですか? ほとんどお金にならないと思うんですけど?」
 ふと浮かんだ疑問を口にすると、ピースは露骨に眼をそらした。
「それは……あれですよ。金ばかりで仕事を受けてるわけではないということです。色々あるのですよ」
「色々ですか」
「色々です」
 あまり上手い誤魔化しかたでは無かったが、トリンもさして気にした様子は無かった。
 
 シミュレーション室を後にしたトリンが次に向かったのは、船載機の格納庫だった。
 格納状態のダイバーが二機格納されてるのをみて、しばらく物珍しさで眺めていたが、格納庫には誰もおらず、質問する相手がいないので早々に退散することにした。
 甲板に出ると、日傘を差してリクライニングチェアにひっくり返っているレオを見つける。
 眠ってるのかと近づくと、顔に被せた麦わら帽をどけてこちらを見た。
「なんだ、トリン姉ちゃんか。なんかあった?」
 にかっと笑うと、色黒なせいもあって、歯の白さが目立った。
「ちょっとね、船の中を見て回らせてもらってるの」
 年下でもあるし、どこか人なつっこいレオに、少しお姉さん的な態度になってしまうトリンだった。
「なに釣ってるの?」
「特に何かってことなないかなぁ。釣れれば晩飯のおかずが増えるかなぁって感じで」
「消極的ねぇ。どうせなんだから、ちゃんと釣りましょうよ」
「って言われてもな。オレ以外に釣りする奴なんて、この船にいないしなぁ。ちゃんとした釣りなんか知らないよ?」
「じゃあ、わたしが手伝おうかな」
「トリン姉ちゃんが?」
「一応知識はありますからね。これでも雲海生物に関しては一家言あるんだから」
「釣りはしたことあるの?」
「川でなら」
「……大丈夫かよ」
「大丈夫大丈夫。えーとこの時期に、この辺の海流に乗ってる魚種は……で、船上から釣れるのは……」
 そして小一時間。
 結果は……意外な事に大漁だった。
 トリンの知識は確かなもので、意外というと失礼だろうが、学者としての知識的応用力も高く、レオ手持ちの道具を組み合わせて作った仕掛け針は、素晴らしい釣果を上げた。
「ごめん、トリン姉ちゃん。オレ、見損なってた」
「なんかそこで謝られるのって、すごい失礼な気がするんだけどね」
 バケツの中で暴れる人数分にしても多い、丸々と太った銀色の魚を見つつ、深刻な顔で言うレオに、引きつった笑みを浮かべるトリン。
「あ、いたいた。トリンさーーん!」
 甲板上のハッチを開けてトリンを呼んだのはセシリーだ。
 身軽に甲板に上がってきたセシリーは、小走りにトリンへ近づいて両手を合わせた。
「トリンさん、お願い! 勉強教えてくれないかな?」
「勉強?」
「今日出された課題なんだけど、ステップしたばっかりだから解らないところが多くて」
「へえ、セシリーちゃん優秀なんだね。教科は?」
「3セクションの生物Uなんだけど」
「ああ、それならわたしでも教えられるね。いいわよ」
「やった!」
「じゃあ、魚はキッチンに持って行って下拵えしとくよ」
 リクライニングチェアと日傘を片付けたレオが、魚の入ったバケツを含めたあれこれをまとめて持った。
「オレは暇だからさ。トリン姉ちゃんはセシリーの勉強みてあげてくれよ」
 なにか言おうとしたトリンを制して、レオはニカッと笑った。
「え? うわっ、なにそれ、どっから盗んできたの?」
 魚がいっぱいに入ったバケツをみたセシリーが驚きの声を上げた。
「こんな海の真ん中で、どうやって盗んでくるんだよ。釣ったんだっつーの」
「釣った?! えーーっと、嵐の予報は出てなかったはずだけど」
「言ってろ」
 わざとらしく手をかざして雲海を見渡すセシリーに、ふん、と一つ鼻を鳴らしてレオは船内に戻っていった。
「ほらほら、トリンさん。夕食まで時間が無いんだから、早く早く!」
「ちょっと、セシリーちゃん、引っ張らないで」
 
 慌ただしく甲板から船内に戻っていく二人をブリッジから眺めていたラキッズとフィーが、そっと目元を緩めた。
 雲一つ無く晴れ渡った雲海は、今日も静かにたゆたっていた。
 
         2
 
 サンプルの採集予定地まで、ウンディーネの足でも出港から三日ほどかかる。
 出港から二日目の昼前、やや固い声でフィーの艦内放送が響いた。
【所属不明の船舶が接近中です。こちらからの呼びかけには、今のところ応答なし。おそらくは武装海賊と思われます。総員、配置について下さい。トリンシアさんは、戦闘に入る可能性を考慮して、ブリッジまで移動をお願いします】
 客室でデータの整理をしていたトリンは、不穏な放送に慌てて部屋を出た。
 
「わざわざ移動して頂いて申し訳ありません」
「あ、トリンさん、お菓子あるよ。こっちこっち」
 お茶をトレイに乗せたフィーが笑顔で迎え、火器管制席からセシリーが手招く。
 かなり恐々としながらブリッジに来たというのに、予想外に緊張感のない雰囲気で、トリンは一瞬呆然とした。
「あの……海賊が来たって?」
「はい。呼びかけに一切答えませんし、明らかにこっちに接近してきてますので、漂流船の類ではないでしょう。十中八九海賊でしょうね」
「でしょうねって……大丈夫なんですか?」
「あ、そっか。初めて海賊に遭遇するんだったら、怖いよね。大丈夫大丈夫。すぐに終わるから、まあ座って」
 セシリーはフィーからソーサーごと受け取った茶を一口すすって、トリンにビジター席をすすめる。
 例によってドムギルは不在だが、茶を配り終えたフィーが自分の席に戻り、インターフェイスパットを首筋に貼り付け、小さなピンジャックを眼鏡に接続する。
「アルファ、ベータ、発進準備はどうでしょうか」
【アルファ、おーけー】
【ベータ、問題なし】
 レオとピースの声がブリッジに響く。
「所属不明船は、最終警戒ラインを超えました。船載機の発進を確認、数は二。こちらも発進をお願いします。発進シーケンスは通常。準備でき次第随時発進願います」
 
「格納庫の気密確認。アルファ、先行するよ」
 レオの言葉と共に、、レオの機体が乗ったレールの先、格納庫の床の一部が下に開く。
 重いモーター音が響き、斜めになったレールから、レオの機体・トリファが雲海へと滑り降りる。
 ゴボン、と空気を巻き込みながらトリファが雲海に沈む。
 トリファの操縦席内、膝の間にある黒い球体がほんの微かに鳴動し、機体がぐんと下に向かって加速する。
 雲海を構成する「雲」は、水とよく似た特性を持つが、その内部には原子レベルでのナノマシンが存在することが予想されており、それらはある特定周波に反応し、斥力場を発生する。
 その特定の周波を発し斥力場を生み出す為の装置が「ブラック・ボール(B・B)」である。
 それ自体は呼称そのままの黒い球体だが、今のところこれを解析・複製できた機関は存在しない。「雲」と「B・B」は、旧世界の遺産であることだけが判明している、この世界における難解な謎の双璧なのだ。
 このB・Bは電荷を加えない状態だと、雲海と大気の境界面で安定する。つまり、何もしなければ、雲海表面に浮かび続ける事になる。
 電荷の強さで潜行の深さを調節することができ、正負の掛け方で短時間ではあるが大気中の浮遊も可能となる。
 ちなみに、このB・B自体、微弱ではあるが斥力を発しており、特に戦闘用艦載機のコックピットに据え付けられることが多いのは、その斥力によりコクピットへの直撃弾の威力が僅かでも削がれ、または弾道が逸れることを期待しているからだ。
「この辺は雲が濃いな。有視界航行は無理、と」
 雲海は水分も多く含み、特に水分が多いところでは透明度も高く、通常の水中と変わらない透明性がある地域もあるが、基本的には雲海中では主にソナーによる計器航行、またはデジタル処理されたモニター頼りになる。
【ベータ、出ます】
 レオがトリファを前進させると、続いてポルカドットが海中に降りてくる。
「じゃ、いくとしますか」
【ベータ了解】
 ジェネレーターを戦闘出力へ。
 戦闘速度へ一気に速度を上げながら、両機は不明機へと向かった。
 
【ロビンさ〜ん、やっぱ止めましょうよ〜】
 ツー・バイ・ツー(TBT)回線で呼びかけてくるまだ若い手下の情けない声に、ロビンは大きく舌打ちした。
「うるせぇな! 散々その話はしたろうがよ!」
 ヘアバンドでなんとかまとめたボリューム過多のウェービーな髪を掻き回し、ヘッドセットのマイクに怒鳴りつける。
「ったく……」
 ロビン・フロドは当年取って三十歳。海賊の頭などという汗臭い肩書きに反して、それなりに整って顔立ちの男だ。
 色々あって海賊の頭などやっているが、元は大戦にも参加経験があり、皇国所属の艦載機乗りで、公式撃墜数五機のれっきとしたエース。
 フロド海賊一家。団ではない。
 名前はロビンの名前に変わっているが、元々はロビンが参加した時点で七人しかいなかった弱小も弱小の一家である。
 縁があって頭になってしまったロビンだが、さらに、よんどころのない事情で一家の隆盛を誓わされてしまった
 そうなった以上は仕方がないと、見かけによらない真面目さで奮起はしたものの、どんな世界も元手がなければ何もできない。
 かといって、おいしい獲物が期待できる航路は、大きな海賊団が先に押さえてしまっている。縄張り荒らしは、血で血を洗う戦いになるのを覚悟でなければ無理だ。
 少なくとも、ロビン自身はともかく、一家の他の連中にはそんな争いができる根性が今のところ無い。
 金がダメなら、後は名誉である。
 名のある護衛船や、船・艦載機を落としたということになれば、海賊社会においては一目置かれるようになる。
 無法者の世界では、名が何よりの元手となることも多いのだ。
 そんな折も折、雲海の乙女号(ウンディーネ)を見つけた。
 海賊たちの間では、手を出してはいけない船の筆頭である。
 一戦交えれば、それだけで評価は上がる。何も墜とす必要はない。少しちょっかいをかけて、船載機の一機でも傷つけてやれば、それで十分だ。
 確か、噂ではウンディーネの船載機乗りはどっちも若造で、大戦経験者ではないはずだ。
 だったら、大戦を戦い抜き、一応はエースの称号を持つ自分が通用しないはずはないだろう。
 というやや甘い目論見で、ウンディーネ襲撃を一家に提案。当然猛反対にあったが、一家の窮状と、自分の腕を強調してゴリ押しし、しぶしぶながら一家の総意として襲撃が決定した。
 とはいえ、さっきの会話のように、どうにも渋々具合が表に出てしまうのだが。
【お、お頭ぁ! ウンディーネから船載機の発進を確認! こっちに向かってます!】
 悲鳴のような管制役の通信。
「機数も伝えやがれ! 何回教えたと思ってやがる!」
【す、すいません! 二機です!】
「聞いたな野郎ども! ここまで来たら腹括れ! 伸るか反るかだ!」
「「へいっ!」」
 指導者としての信頼は高いのだろう、気合いの入ったロビンの言葉へ返ってきた返事に、迷いの色は無くなっていた。
 
【敵機種確認】
 TBT回線でピースの冷徹な声が聞こえる。
【母船は輸送船を改造したタイプです。おそらく火器の類は最小限でしょう。母船からの後方支援は無いと考えて良さそうです。船載機は、コリラス・ベネズのS型とA型です。装備から言って、ツートップ(T・T)】
 つらつらと分析をしていくピース。こういうところ軍人ぽいよなぁ、とレオは半分聞き流しながら思った。
 近年は戦術の幅を持たせる為、軍用である艦載機は三機一組にシフトしつつあるが、艦・船載機の運用は通常二機一組が基本になる。
 これは艦載機が戦場に出始めの頃、まだ艦の方に搭載能力が無かった為、艦の両脇に吊すような形で輸送していた名残である。
 当然、戦術やフォーメーションも二機一組のものになるわけだが、細かい違いはあるものの、艦・船載機のとる陣形は大別すると二つ。
 前衛と後衛に別れるトップ&バック(T&B)。
 二機とも攻撃に参加する、ツートップ。
 簡単な見分け方としては、二機の装備が大きく違えば前者。同じような装備なら、後者であることが多い。
 長距離戦に特化した二機組(バディ)がほとんどいないのは、雲海に置いては近距離戦を行えないと、そもそも戦闘にならないからで、複数のバディを運用できる軍にしか存在しない。
 無線の共通チャンネルを開き、ピースが雲海条約に従い降伏勧告を行う。
【所属不明機へ。こちら雲海の乙女″所属、船載機。貴船の行動を敵対行為と判断します。武装解除、もしくは回避行動を取らない場合、反撃行動を取らせて頂きます】
 教科書通りの通達に、返答は簡潔。
【くそくらえ】
 そうくるだろうと思っていたので、ピースは怒りもせずに共通チャンネルを受信モードに変える。
 あっはっは、と笑いながら、レオは操縦桿を握り直した。
「そんじゃ、いつも通りで」
【了解】
 ぐん、とトリファが加速する。
 
 一機が急加速するのを計器で確認し共通チャンネルを受信モードに変え、ロビンが僚機に通信する。
「いいか、無理に攻撃しなくていい。死んでもオレのケツに食いついてこい!」
【は、はい!】
 加速するロビン機に一瞬遅れて、僚機も加速する。
 艦・船載機の戦術の基本は、すれ違いざまの反航戦である。
 これは、雲海中での長距離戦の有効性が低い為である。銃撃は雲海の物質的抵抗力が強い為射程が大幅に減衰するし、魚雷の類は干渉波の影響で追尾性が低下するので、機動性の低い船舶同士の戦闘くらいにしか使い道がない。対艦戦闘を想定した艦載機には装備される場合もあるが、機動性の低下に加えコストも馬鹿にならないということもあり、船載機に装備される事はまれだ。
 長距離ミサイルの類はあるにはあるが、これもコストが高くほぼ対艦専用で、艦・船載機に装備されるのは雲海上での間・船載機同士の戦闘を想定した小型の物がほとんどだ。
 ダイバー形態で接近、雲海上に出る一瞬に反航戦。それで勝負が決まらなければ、ストラグラー形態での海上・半空中での近距離・格闘戦になる。
 じりじりと計器上での相対距離が縮まる。
「三・二・一……コンタクト!」
 モニターのレティクルが重なった瞬間、ロビンは機銃の引き金を引いた。
 
 敵船載機の射程に入る寸前、トリファは機首を上げて海上に飛び出した。
 一瞬前までトリファがいた海中を、機銃の射線が過ぎる。
 海上に飛び出すと同時にストラグラーへ可変、さらにホバーを噴かして一八〇度回頭。相手の浮上に備える。
 ストラグラー形態のトリファは、末端の大きな長い両腕と三本の少し大きめのバインダーを背中に備えた、一見して格闘戦を重視した機体と判った。
 初撃を交わされた敵機は、やや距離を取って浮上。
 それを追ってトリファが距離を詰め、相手が海上に出るタイミングで、右腕の内蔵機銃を制射。避けられるタイミングでは無い。
 まず一機。
 そう思ったレオの目の前で、敵機のコリラス・ベネズS型が丁度一機分横にずれた。
 驚くレオの正面に、ストラグラーに可変したS型がこちらを向いた状態で機銃を構えていた。
 通常同時にこなすのは至難とされている、可変と方向転換を同時に行ったのだ。それは一流パイロットと呼ばれる為に必要な技術の一つでもある。
「あっぶね!」
 考えるよりも先にレオはトリファの左腕を外に振り、その末端重量で発生する慣性を使い、左にロールしつつ距離を取る。S型が発射した機銃の洩光弾がそれを追う。
「わお、結構腕のいい人みたい」
 ホバーで距離を詰めてくるS型の後ろで、もたもたと浮上と可変を行うA型を視界の隅に見ながら、レオはペロリと唇をなめた。
 
「トリファか、面倒クセェ機体に乗ってやがるな」
 取った、と思った一撃を躱して、遠ざかって行くトリファを追いながらロビンは舌打ちした。 大戦後期に少数だけ作られた、格闘戦を重視した機体だ。乗り手を選ぶが、熟練した操縦者が乗れば、格闘戦では無類の強さを発揮する。
 僚機が未熟なこともあり、できれば反航戦で明暗をつけたかったが失敗した。
 近距離戦になれば、僚機が流れ弾に当たる可能性も格段に上がる。
 自機が墜とされるよりも、僚機が墜とされる事態はロビンにとって最も屈辱なのだ。
「なんとか、空中戦に持ち込めねえかな……」
 体勢を立て直し、こちらに牽制の銃撃をしてくるトリファの動きを注視しながら、ロビンは小型のシールドを構え、近接武装に変えつつ距離を詰める。
「思ったより腕がいいな。あんまり長引かせたくねぇんだが」
 ランダムな方向転換も交えて、じわじわとトリファへ近づいていった。
 
「格闘戦したがってる? 自信家みたいだねぇ」
 近接装備の盾と武器に持ち替えるS型をモニター越しに見ながら、レオは楽しそうに笑う。
 コリラス・シリーズは、大戦が終わった後もモデルチェンジを重ねながら生産が続けられている名機である。ダイバー形態はズングリとした紡錘形。ストラグラー形態は、船載機としては中肉中背。特徴が無いことが最高の特徴である汎用機だ。
 ベネズS型は近接戦闘向けに調整されているが、格闘戦に限っていえばトリファの方が確実に性能が上である。
「いいね、付き合ってやるよ!」
 トリファの肉眼目視用スリットが開き、コクピットに硝煙混じりの風が吹き込んできた。
 
「付き合ってくれるか、自信家だな!」
 トリファのスリットから見える黒髪と黒瞳に笑みを浮かべ、ロビンは同じようにS型のスリットを開けながら一撃を繰り出す。
 その一撃を屈んで避け、トリファはバーニアを噴かして空中に飛び上がりつつ牽制。
 トリファからの牽制射撃を盾をかざして受けつつ、ロビンもバーニアを噴かして飛び上がる。
 下から突き上げるように体当たりすると、トリファは中心軸をずらしてそれを受け流し、その勢いで回転しつつ蹴りを繰り出す。
 ロビンも体勢を整えてそれを受け、武器で反撃する。
 格闘用の武器も兼ねるトリファの腕とS型の武器が火花を散らす。
 滅多にみることができない、高レベルの格闘戦が繰り広げられた。
 
「ど、どうすりゃいいんだろ……?」
 ようやく追いついてきたA型のコクピットで、ピートは青ざめた顔色で呟いた。
 筋が良いから、というだけの理由でロビンの僚機を務めているものの、実戦とと呼べるものは今回が初めてだった。
 なにしろ一家でも最年少の十五歳。ケツに食い付いてこいと言われたものの、空中で繰り広げられる格闘戦を追いかけるわけにもいかず、オロオロするだけだ。
 その時、格闘戦で弾かれたトリファが、ピートに背中を向けて高度を下げた。
 反射的に、ピートはその背に機銃を向ける。
 その瞬間、がん、と操縦席に衝撃が走り、ピートはそのまま意識を失った。
 
 体勢を崩したトリファを追撃しようとしたロビンの視界に、動きを止めて機銃をトリファの背中に向けるA型の姿が入った。
「余計なことを……!」
 舌打ちした瞬間、A型の両腕が、構えた機銃ごと吹っ飛んだ。その勢いで横に流れたA型の機体が海面に落ちる。
「……?! もう一機の奴か!」
 素早い操作で望遠したS型のモニターに、長距離ライフルを射撃後、移動を素早く行うポルカ・ドットの姿。
 本来ならば、後方支援機は僚機が牽制すべきなのだが、僚機であるピートにはそこまでの練度は求められない。
 トリファとの戦闘に夢中になって、そちらへの警戒心が薄れていた。
 オレのミスだ……!
 本来、敵機との格闘戦状態であれば、相手の後方射撃に注意を払う必要はない。同士討ちの可能性があるからだ。だが、僚機の未熟さを知っていたのにも関わらず、注意を怠った自らの迂闊にロビンは歯がみする。
 モニターの中で、位置を変えたポルカ・ドットが再びライフルを構えた。
「くそったれ!」
 標的が無力化したA型だと判った瞬間、ロビンは海面に浮かぶ僚機に向かって突っ込んだ。 再度のポルカ・ドットからの射撃。
 正確にA型を狙った弾丸は、ギリギリ射線に飛び込んだS型の、伸ばした右手に当たった。
 S型の腕を破壊して、僅かに逸れた弾丸が海面に着弾し、雲を盛大に巻き上げる。
 その隙に、残った左手で浮かんでいる僚機を掴み、ロビンは全力で逃走にかかった。
 
「引き際いいなぁ」
 レオはトリファの操縦席で、片手の上A型を引きずってる為、ダイバー形態になれずにストラグラーのままホバー全開で退却していくS型を見送った。
【追撃はいいのですか】
 追いかけようという素振りのないレオを見て、ピースから通信が入る。
「しなくていいんじゃないか?」    
【久し振りに苦戦してましたね。機を読むのにも敏。ああいうタイプは禍根を残すとしつこいですよ? A型の操縦者も死んでないでしょうし、A型の操縦者の腕が上がってくれば、そうとう手強くなるでしょう】
「すげぇ楽しかったから、それでいいよ。それにあのS型、最後にA型のこと庇ったから」
【それがなにか?】
「オレ、そういうの嫌いじゃないからさ」
【ウンディーネ流ですか?】
「そんな大げさなもんじゃないけど。ああいう奴ならまた会いたいな」
【相変わらす物好きですね。あの様子なら立ち往生の心配もないでしょうし。それでは帰投しましょう】
 苦笑いじみた雰囲気を残し、ピースからの通信が切れる。
 戦闘状態終了の確認後、共通チャンネル切ると、すぐ入れ替わりにフィーから労いの通信が入り、ダイバーに可変した二機はウンディーネに帰投。それからすぐに、自船載機を収容した海賊船は海域を離れていった。
 交戦時間、十分二十六秒。船載機及び船舶に損害なし。
 完勝と言っていい内容だった。
 
         3
 
 太陽はオレンジ色にかげり始め、夕方になろうとしている。
「なんだ、嬢ちゃん一人か?」
 甲板でぼんやりとオレンジ色の雲海を眺めていたトリンに、ドムギルが声をかけた。
「あ、はい。ちょっと考え事をしてまして……ドムギルさんは休憩ですか?」
「休憩が必要な程、働いちゃいねぇがな」
 確かな足取りでトリンの側までくると、胸のポケットから煙草と携帯灰皿をを取り出す。
「すまねえな、吸わせてもらうぜ」
「どうぞ」
 意外にも紳士的に断りを入れるドムギルに、トリンも笑顔で頷く。
 雲海が流れる音、潮騒が聞こえ、静かな風が紫煙を吹き流す。
「……戦争って、ああいうものだったんでしょうか?」
「…………あん?」
 雲海を眺めながらの呟きに、、ドムギルは片眉を上げてトリンを見た。
「すごくびっくりして、すごく怖くて……すごく、心配でした」
 ドムギルは、ゆっくりと紫煙を吸い込み、同じようにゆっくりと吐き出して言った。
「お前さん、年齢的には大戦の時、物心ついてたはずだな?」
「え? はい、そうなんですけど。わたしの生まれた辺りってとんでもない田舎で、徴兵がくる寸前に終戦を迎えたんですね。だから、なんとなく感覚的によく解らないんです、その、戦争ってものが」
「……昼間の戦闘な。あんなものは戦争なんて呼べねぇよ。ただの喧嘩さ」
「ただの、ケンカ、ですか?」
「ああ。戦争てのは、もっと悲惨なもんだ。勝っても負けても。根っこから全然別モンだよ」
 ふと、ドムギルの眼が過去に向けて霞む。
「あの、ドムギルさんって、経験者ですよね? その……戦争の」
「ほとんどの期間、整備兵としてだがな」
「よろしければ、お話を聞かせてもらってもいいですか?」
「……オレはラキッズ辺りと違って弁も立たねえし、頭もあんまりよくねえから、オレ個人の話になるし、長くなるが?」
「お願いします」
「そうか」
 短くなった煙草の残りをゆっくりと吸い込んで携帯灰皿に押し込み、新しい煙草に火をつけると、ドムギルは話し始めた。
 
        ・・・・・・・・・・・
 
 オレも田舎の生まれでな。三男坊ってことで、家業を継ぐわけにもいかねえし、土地ももらえる見込みがなかったから、田舎を出て軍人になろうと思ったんだが。
 丁度、隣国との関係が悪化し始めた時だったから、大して学がないオレでも簡単に軍に入れたよ。と言っても、一番下の歩兵からだったけどな。
 三ヶ月の訓練が終わってすぐに紛争が起きて、すぐに実戦だったよ。
 もうちょっとなんとかなると思ってたんだが、初陣は隣の奴の頭が吹っ飛ぶのを見て、ションベン漏らして震えているうちに終わっちまったよ。まあ、新兵の二割くらいはオレと同じような感じだったが。
 もう一番最初の最初で、オレには無理だと思ったな。
 でも、だからといって「辞めます」「はいどうぞ」ってわけにはいかないわな。少なくとも五年は契約で縛られるし、現場の上官には懲罰権があって、下手な事を口走れば銃で撃たれても文句は言えなかったしな。
 でな、機械いじりばかりしてる整備兵なら、少なくとも歩兵よりは銃弾が飛んでこないとこにいられると思ったんだよ。
 ところが、まだ戦況が深刻じゃなかったから、技術兵は専門の学校で教育を受けてからじゃないと成れなかった。一応配置転換願いは出せたが、前線の一兵卒の転換願いなんぞハナから無視されちまう。
 それでオレは、空いた時間に整備兵の手伝いを始めた。
 その頃、可変型の艦載機が出始めでな。隣国との戦争は水際での戦闘が多かったから、オレがいた部隊にも何機かいたんだ。
 整備兵たちにとっても慣れない機械で、作業工程なんぞ確立されてなくて、いつでも人手不足でひぃひぃ言ってたから、嫌がる奴はいなかったな。
 オレも、自分の仕事の後に他の仕事までやるのはきつかったが、なにしろ懸かってるのが自分の命だ。文字通り必死だったんだな。
 もともと才能があったのか、すぐに艦載機の整備・調整に関しては誰よりも上手くなった。
 軍には、ある一定以上の官位を持つ前線の士官には任命権ってのがある。オレはそれをアテにしてたんだが、目論見通り士官の目に止まって、無事準整備兵になることができた。
 それで多少は安全なところに下がれたんだが、それも短い間のことでな。
 その頃、戦況はうちの国が有利になってたんだが、運悪くオレのいた戦線ではかなり押し込まれててな。よく警戒網をすり抜けてきた艦載機や爆撃機に攻撃を受けた。
 基地そのものに攻撃を受けるんだから、整備兵も歩兵も関係ないわな。
 ある時整備中に、敵艦載機の襲撃を受けた。
 そのとき一緒に仕事してたのが、オレを推薦して整備兵にしてくれた上官だったんだが、少し変わった人でな。階級がかなり高いくせに、暇さえあれば機械いじりに来てたよ。
 そういう人だから、オレを目にとめてくれたんだろうし、恩人と言っても良かった。
 最初の銃撃で倒れたな、確か。
 駐機状態の艦載機から滑り落ちたその上官の整備服が真っ赤に染まってた。大きな穴が見えなかったから、多分対歩兵用の小口径で打たれたんだろう。今から思えば、だがな。
 ま、臆病の虫ってのはそう簡単にいなくなるもんじゃなくてな。
 生きてるか死んでるか判らない上官に駆け寄ることもしねえで、震えてるだけだったよ。
 それからすぐに迎撃の戦力が出たんで、被害はそれ以上出なかった。
 すぐに衛生兵やらなんやらがやってきて、へたり込んでるオレを引き起こしてくれた。上官を守ることもできなかったオレを、誰も責めなかった。責めるどころか、生きてて良かった、ってな、肩を叩かれたな。
 そうされながら、一番最初に頭に頭に浮かんだのは、撃たれたのがオレじゃなくて良かったってことだった。
 さすがにな、しばらくしてから惨めになったよ。
 それから半年も経たずに紛争は終結。最終的には階級は軍曹になってたが、戦時徴用だったんで、終戦と共に伍長に降格だ。
 それからもちょこちょこ周りの国との小競り合いが起こってな、その度に戦時徴用の叩き上げってレッテルで最前線送りだ。歩兵よりはマシなんだろうが、結局は常に命の心配をしなけりゃならない状態だったな。
 そんな中で、整備兵としてできることなんざ、機械の整備をしっかりやって、それを使う人間に命がけで戦わせることぐらいだ。
 必死になって整備したよ。やりこぼしがあったら、それが原因で自分が危なくなる。相変わらずそれしか考えなかった。必死にやってりゃ、それだけ腕も上がるわな。
 大戦が始まる頃には階級も随分上がって、艦載機整備の達人だ「神の手」だって言われるようになってたよ。
 単に自分の命が惜しくて他人に戦わせていただけなのに、笑わせるだろ?
 そんな風に呼ばれるようになってからも、やっぱり自分の命にしか興味が無かったな。
 大戦は、艦載機の大規模戦闘が世界規模で行われた最初の戦争だったんだが、オレは新造された大型艦載母艦に整備主任として乗り込む事になった。
 まあオレが乗せられる位だからな。最前線送り前提だったんだが、さすがに国家の存亡が懸かった戦争の主力艦ってことで、常にエース級の艦載機乗りどもが乗艦してたよ。
 大戦って表現されるだけあって、それまでの紛争の類なんぞ遊びかと思うほど過酷な戦争だった。なにしろエース級って言われる連中が、戦闘の度に欠けていくんだ。悪夢を見てるようだったよ。
 そんな中何故だか知らんが、乗艦する艦載機乗りは必ずオレのところに挨拶に来やがるんだ。「『神の手』殿による整備を受けた艦載機に乗る事は、我々艦載機乗り最高の栄誉です」
 ……ってな。
 臆病者で、卑怯者のオレのところにな。
 オレは、最後まであいつらにかける言葉を見つけられなかった。
 奴らは勇敢で、高潔で、なによりいい連中だった。
 連中は、オレがいじった機械で、大量の敵を地獄に叩き落として……自分たちも地獄に落ちていったよ。
 ……オレが、実際に戦場で殺した人間はいないかもしれねえ。
 だが、オレの手は、誰よりも血に染まってるんだ。多分、この世の誰よりも。
 一番最初に地獄に叩き落とされなきゃならねえクズが生きてて、気のいい連中ばかりが先に死んでいく。
 なんなんだろうな?
 そう思ったところで、オレにできるのは連中の乗る艦載機を完璧に仕上げることだけだ。自分の命を守る為だろうと、連中が一人でも生き残る為だろうとも、できるのはそれだけだった。
 それでも、いや、自分の仕事を完璧にこなせばこなすほど、多くの血が流れていった。
 それまで散々他人に血を流させて、今更綺麗事を、と自分でも思ったがな。
 一人、また一人と艦載機乗りが欠けていくのを見ながら、気が狂いそうだったよ。
 オレの思惑とは別に、そうなればなるほど戦果は上がっていく。兵隊の命一つで敵の命二つ取れれば評価される。それが戦争ってやつだからな。
 そして、戦果が上がれば上がるほど、オレの評価はさらに上がっていった。
「神の手」
 同じ神は神でも、俺の手は死神の手だったんだな。
 結局、オレが手がけた艦載機に乗って生き残った奴は誰もいねえ。
 ……たった一人、ラキッズを除いてな。
「あなたの整備した艦載機のお陰で、生き残ることができました。ありがとうございます」
 終戦を迎え、一人で軍を去ろうとしていたオレのところへきたラキッズのその言葉で、オレがどれだけ救われたか、多分誰にもわかんねえだろうな……。
 救われる資格なんざ、オレには無いって解ってんだがな。
 その時、残りの人生こいつの為に使ってやろうと決めたんだ。
 
        ・・・・・・・・・・・
 
「……なんだか、余計な事まで喋っちまったな」
 自嘲気味に言って、深く、肺に染み渡らせるように吸い込んだ煙草の煙を、ゆっくりと空に吐き出す。
 話の途中で俯いてしまったトリンの方に顔を向けると、トリンの頬を伝って涙が滴り落ちた。「嬢ちゃん?」
 驚いて声をかけたドムギルに身体ごと向き直り、トリンは勢いよく頭を下げた。
「あの、その……すいませんでした」
「なんで謝んだ?」
「わたし……やっぱり戦争のことはよくわかりません。でも、ドムギルさんみたいな経験者の人にとって、辛い記憶なんだってことは……なんとなく。それなのに、無神経に聞いてしまって……。すいません、それとありがとうございます」
「?」
「その、話して下さって」
「いや……」
 ふいと横を向いてドムギルは煙草の火を強める。
「でも、なんで話して下さったんです? ……厭な記憶なんでしょう?」
「だから言ったろ? オレは卑怯モンなんだよ。ラキッズの奴と違って、重い荷物はたまに下ろして休みたくなるんだよ。それだけだ」
 ちびてしまった煙草をもう一吸いして灰皿に突っ込んだドムギルは、ズボンについた灰を払って踵を返した。
「思ったんだがな」
 行きかけた足を止めて、背をトリンに向けたまま言う。
「きっと、連中は、あんたみたいな戦争を理解できない人間を、一人でも多くする為に戦ったんじゃねえかな」
「え……?」
「だからな、嬢ちゃん。一人一人の名前なんて知る必要は、多分無え。でもな、そういう連中が命を張って戦った事実の上に、今この世界があるんだってことだけ、どうか、それだけ覚えておいて欲しいんだよ」
 雲海を渡る風が、トリンの髪とドムギルの作業用ジャケットを撫でる。
「オレに連中を代弁する資格なんてあるわけがねえんだが……。そうしてもらえるなら、きっと死んでいった連中の命も、少しは報われるんじゃねえかと、そう思うんだ」
「はい……」
 ドムギルの背中に、トリンははっきりと頷いた。
 背を向けたドムギルからは見えなかったはずだが、それでもドムギルは少しうつむいて瞑目し、すぐまた顔を上げた。
「じゃあな、嬢ちゃん。もうすぐ夕飯だ。身体が冷えねえうちに船内に戻るようにな」
 振り返らず後ろ手に振り、ドムギルはハッチから船内に戻っていった。
 トリンはしばらく、その背中を見送っていた。
 沈まない太陽は、夜の色を濃くしていた。
 
 
「採取計画は、今朝ミーティングで説明した通りです」
 フィーの総合管制席のすぐ横で、管制席から伸ばしたコードを端末と眼鏡型のマルチディスプレイに接続したトリンが確認する。
 マルチディスプレイには、トリファとポルカ・ドットのカメラアイ映像が流れている。
 トリン使用の旧型マルチディスプレイでは処理能力が足りず端末を併用しての管理だが、ほとんど映像のみの管理なので特に問題は無かった。その他記録の必要なデータは回しっぱなしのデコーダーが全て記録しているはずだ。
「午前中は定置網の設置。午後からはトロールでのサンプル採取です」
 カタカタと端末を操作して、作業計画のタイムテーブルを呼び出す。
「基本的には、特に難しい作業はありません。定置網設置の時に岩礁に注意するくらいでしょうか。ただ、この辺は海流の下流域ですから大丈夫だと思いますが、雲龍の生息地に大分近づいてます。一応こちらでもモニターしていますが、一定以上の質量を持った動体接近時には注意して下さい。また、雲龍以外の危険生物との遭遇も充分考えられます。それにも注意を」
 さすが一応才女と言おうか、専門分野での作業となるや、普段の様子が嘘ではないかと思うくらいの的確さで指示をしていく。      しょっく
【【了解】】
 さすがに、報酬をもらってこなす仕事のせいか、レオの反応も真面目なものだった。
 
「しかし、雲龍ですか」
 雲海を広く回遊する雲海最大クラスにして最強の生物の名前を聞き、ピースは過去に軍の任務中に遭遇した雲龍を思い出した。
 個体としては、まだ若い部類の雄だったらしいが、三隻の艦載機搭載型駆逐艦のうち、一隻があっという間に無力化された。
 なんとか撃退できたが、五機の艦載機でかかっても殺傷にはいたらず、相手が飽きて去っていったようなものだった。
 交通事故どころか、竜巻のように自然災害にあったと思ってあきらめるしか無い状態だったと言える。もちろん、その後の作戦行動は大幅な変更を余儀なくされた。
 そのことから、自分なりに雲龍の事を調べたこともあったし、今朝のミーティングで学術的なこともある程度説明を受けた。
 それによれば、はっきりと定義されることは、なにも確認されていないとのことだった。
 それでも、今までの遭遇例から判っていることも多少ある。
 主に雲海で見られる個体は二十メートル以上。最大体長は不明。記録に残る限りでは、百メートル以上という個体の目撃例もある。
 太い蛇のような胴体に、やや短めの手足には軍艦の装甲を引き裂く鉤爪を備え、攻撃性の高い特殊な音波を含む咆吼を複数種類使い分ける。
 他にも「龍の吐息(ドラゴンブレス)」と呼ばれる強力な攻撃手段も操る。ちなみにピースの部隊の艦が無力化されたのはこれである。
 しかも、高い知能を持っているという予想もある。
 ここまでくると生物というよりも、怪獣と言った方が正しいだろう。一説には、移民時代に運用されていた生物兵器の一種ではないかとも言われる。
 その存在を知らない者は雲海には一人もいない。にも関わらす、その生態はほとんど知られていないのはなぜかと言えば、まずは雲海に存在する個体数が、様々なデータによる予想計算から、四桁に満たない少数であること。
 加えて、あまりに危険な存在過ぎて、専門的に研究しようという人間がほとんどいなかったというのが原因である。
 さらに近年はレーダー技術の向上で、かなり遠距離からの観測が可能になってきた為、雲龍から攻撃を受ける前に逃げられるようになりつつあり、無理に研究をしなくとも危険を避けられる。
 ピース達の部隊が雲龍に遭遇してしまったのは、レーダー干渉波が強い海域で、接近する雲龍に気がつくのが遅れたからだった。
 トリンが専門的に研究をしているのは、純粋に学術的好奇心かららしい。
 おそらくは、まともな神経の人間には、命知らずの部類に入れられてしまうだろう。
「物好きというのは、案外いるのですね」
 ミーティングの時に瞳を輝かせて雲龍について語っていたトリンを思い出し、ピースは好意的な笑いを浮かべた。
 今回この海域が調査対象となったのは、様々なデータからメルティング・ポットが雲龍の繁殖地ではないかとの仮説があり、予想される地域の一つがこの辺りなのだという。
 内蔵火器以外の装備を外し、作業用のモジュールをつけたダイバー形態の二機が雲海へ潜っていく。
【では、レオ君先行してして下さい】
【了解】
 トリンの指示で、トリファがゆっくりと潜行速度を上げ、ゆっくりとビール瓶型の定置網が広がっていく。定置網は、長さが三十メートルあまりで、直径が五メートルほど。
 瓶底に当たる部分がろうと状になっており、ここから入った生物は出てきにくくなっている。
 網は頑丈な合成繊維でできているが、雲龍のような強大な生物を捕まえるようにはできてない。この仕掛けは、この地域の生物を調べる為のものだ。
 この辺りはやや雲が薄く、画像修正なしでも潜行するトリファの姿がモニターで確認できた。
【アンカー、投下します】
 トリファの下面に固定されていた、定置網が流されない為の重りが海底に着床。
【ピースさんは、網が潰れないように慎重に降りて下さい。網は頑丈ですから、無理な加速などしなければ、破れないと思いますけど】
「了解」
 こちらもゆっくりと底まで降り、全部で三つあるアンカーのうち一つを、網の口に繋がったワイヤーの余裕を見ながら投下する。
 ポルカ・ドットが持って潜ったアンカーは三つともドリルビット装備型である。海流の流れに逆らう形での設置になる為、強固な固定が必要になるからだ。
【三・二・一・スイッチオン!】
 なんだか楽しそうな声でトリンが宣言し、着床寸前にアンカー下部のドリルが回転。本体の三分の二が海底に潜り込んだところで、外からは見えないが、フックが展開してしっかりと固定される。
【では、レオ君。残りのアンカー設置の手伝いをお願いしますね】
【了解】
 ゆっくりと近づいたトリファは、ポルカ・ドットの右作業用アームからアンカーを受け取る。
 ポルカ・ドットのアームはハードポイントに増設するタイプのアタッチメントで、今回のような学術調査に向いた専門のものだが、ハードポイントの極端に少ないトリファのアームは内蔵式のもので。作業用とはいえ少々無骨な感じだった。
 トリファの方がややもたついて見えるのは、ピースの操縦のレベルが高いせいでそう見えるのと、機体が作業に向いてないのに加え、レオ自身がそういうことに向いてないからだろう。
 多少のもたつきがあったものの、大過なく予定通り午前中に作業は終わった。
 
「というわけで、午後からはトロール漁になります」
「漁って……」
「食べる為ではないから漁って言うのもなんだし、トロール網を使うだけで、実際は中層から上層の生物を調べるんだけどね」
 横っ腹を開け放った貨物スペースの床に敷物を広げ、サンドイッチなどの手軽に食べられるように工夫された昼食を取りながら、ホワイトボードに図を書いてトリンは説明していた。
 この場で朝食をとっているのは、レオ、ピース、トリンにセシリーの四人で、他の三人は食堂で会議を兼ねた食事をしている。
 サンドイッチを口に咥えたまま、書き終わったホワイトボードをセシリーに見せる。
「本来の漁は底引きだし、こういう横棒で網を固定して一隻で引っ張るのが主流なのね」
 Yの字の上の部分に横棒を引き、上方向の矢印を入れて、Y字下端の部分をこつこつとマーカーでつつく。
「で、この部分に獲物が集まるわけ。ただ、一隻で引っ張る方式だと小回りが利かないし、それほど大量である必要もないから、こう二隻で引っ張る方法を使うの」
 Y字の上に引いた横線を消し、今度は上二本の棒から線をそれぞれ引き、その先にちんまりとしたダイバーの絵を描く。
「下層から上層まで、螺旋状に引いていくの。どこになにがいるのか判らなくなっちゃうけど、分布を調べるのが目的じゃないから」
「はーーい。せんせー」
 保温ポットから注いだ茶を啜りながら、レオが生徒のように手を挙げた。
 トリンも先生っぽく、眼鏡を直しつつ返事をする。
「なんでしょう、レオ君」
「大物がかかったらどうすんの? 雲龍はかからないにしても、大型の生物がかかる事はありそうな気がするんだけど」
 一応朝のミーティングで説明したことだが、レオは確認のつもりで訊いているのだろう。
「その場合は、無理せずに網を切り放していいです。スペアの網はありますから、と朝は説明したんだけどね。その心配は多分無いと思うわ」
「なんで?」
「さっき、この海域へ入ってからの動体反応のデータをフィーさんに一通り見せてもらったんだけど、メルティング・ポット他地域の平均データと比べて、一定以上の大きさの動体反応が明らかに少ないのね」
 端末を引き寄せて、折れ線グラフを表示した画面を示す。
「緑の線が平均、赤がこの海域ね」
 x軸とy軸の数値が何を示しているのか判らなかったが、赤い線は明らかに緑の線より下。というか、底を這っている。
「どういうことです?」
 黙って三人を眺めながら食事していたピースが、ちょっと身を乗り出して尋ねた。
「当たりってことかな」
 うふふ、と笑うトリン。
「おそらく、この辺は雲龍のテリトリー内なのね。雲龍も生物である以上、繁殖期には攻撃的になるでしょうし、野生動物は好きこのんで危険な場所に近づかないでしょうねぇ」
 好きこのんで危ない場所に来ている女学者は嬉しそうに言った。
「まあ、逆に言えば、雲龍にだけ注意していればいいという事ですから、ここは良い方向に考えましょう」
 雲海の住人として雲龍の怖さを知っているレオは、異次元の生物をみるかのような視線をトリンに注いでいたが、ピースのフォローとも言えないフォローに、眉間の皺を深めた。
「じゃあ、ちゃっちゃとご飯食べちゃいましょう。片付けはあたしがやっとくから」
 トローリングの獲物の仕分け作業を手伝う事になっているセシリーは、取りあえずやることがなかった。
 だが、まだ時間があるというのに、蛍光イエローのラインが入ったウエットスーツを着込み、パーカーを羽織ったその姿を見れば、かなり張り切っているのはよくわかる。
「それじゃあ、午後一番で作業開始するから、そのつもりでお願いします」
 三人それぞれに返事をすると、残った昼食を胃袋に納めるのに専念し始めた。
 
「少し、急ぐ必要があるかもしれませんね……」
 プリントアウトした書類をラキッズに手渡し、フィーは眉根を寄せた。
「この情報はいつのものだ?」
 フィーの表情をちらりと見てから、コーヒーを啜りつつラキッズは確認した。
「昨夜未明です」
「ふむ」
 プリントアウトの内容は、連邦軍の作戦指令書のコピーである。内容は、雲海に一番近い連邦基地へ、軍艦の受け入れ体勢を整えるようにというものだ。
 内容そのものは特に何の変哲もない。ただ、その機密レベルが異常に高い。
「それと、バンガス博士自ら協力しているしているようです」
「彼か……」
 苦虫を噛み潰した表情で、明らかに好意的ではない声でラキッズは呟く。
「いくら彼であっても、一朝一夕に解析できるようなものではないでしょうが、あまり楽観的にもなれないかと思います」
 フィーもあまりいい感情を抱いていないのだろう、珍しく表情をやや険悪なものにしている。
「嬢ちゃんを学問都市まで送ってる余裕はないかもしれんな」
 さほど深刻でも無さそうな声で、ドムギルが言った。
 
「トリンさん、これってなんて魚?」
 ウエットスーツのセシリーが、海上に浮く広場のようなフロートの上に水揚げされたトロールの獲物の一つを指さす。
 一番数が多く、また獲れたものの中では一番大型の魚だ。
 見た目は、筒型の胴に複数の背びれ、尾筒は縊れてなく、根本の太い胸びれに、やや長い腹びれがかなり後方に一対付いている。
 体長は大きいもので二メートルくらい。細長い体型なので、体長ほど質量は無い。
 体表はウロコとも帷子ともつかない堅い表皮に包まれていて、大きい口がついた先の尖った三角形の頭など、全体的な形状は雲龍に似ていると言える。
「亜龍って俗称される魚ね。これが一定以上の数いるってことは、雲龍が近くにいるのは間違いないわ」
「どういうこと?」
「この生物は、雲龍と共生関係にあるの。雲龍の移動と一緒に移動するらしいのね。どうも、雲龍の食料になることで、他の生物から身を守ってるんじゃないかと思うんだけど」
「なんか矛盾してるように聞こえるね」
「そうでもないわよ。全体の二・三割が食べられることで残りの七・八割の安全が保証されるなら、種全体からすればメリットがあるわ」
「人間の世界も、大して変わらないことがありますしね」
 フロートの横に船載機を横付けして仕分けを手伝いつつ、話に耳を傾けていたピースが笑いを含んだ声で口を挟む。
「な〜〜、トリン姉ちゃん。これなんだ?」
 同じく仕分けを手伝っているレオが、よく判らないゴミのような、謎の大きい塊を指さした。
大きさは人間よりも大きい。
「あっ! それ、それ! それが多分、今回一番の目的の物だと思う!」
 嬉しそうな声を上げて、肘まである長い手袋をつけながら近づいてきたトリンは、塊の一部をおもむろに手で崩し始めた。
 塊は意外にもろく、トリンの手の中でボソリボソリと簡単に崩れていく。
「やっぱり。ピースさん、D型のコンテナを持ってきてもらっていいですか?」
 ピースは了解と返事して、自分の船載機に向かった。
「で、結局なんなのこれ」
「雲龍の糞(ふん)よ」
 塊……糞の中の未消化物を丁寧に確認しながらトリンが答えると、レオが「げ」という顔で後ずさった。
 セシリーも一瞬ひるんだようだが、すぐに好奇心が勝ったようで、トリンの背後から近づいていって覗き込む。
 糞と言っても大して悪臭があるわけではなく、一見土とゴミの塊のようにしか見えない。
「なんでウンコなんて探してたの?」
「生物の生態を探る上で、重要な手がかりの一つだからよ」
 さらに細かく調べながら、手を動かしつつセシリーに答える。
「食べてるものが判るし、体内微生物が判ったりとか、得られる情報は数多いの。その生物の基本的生態を知る為には、不可欠なサンプルの一つなのよ」
「ふーーん」
 さすがに触るのは抵抗があるのか、それとも専門的な事をやっていると考えているからなのか、手を出す気配は無いが、興味深そうにトリンの手元を覗き込むセシリー。
「それに、わたしが研究してる学説の為には、絶対に必要なものだからね」
「学説?」
「雲龍が、わたし達がやってきた世界由来の生物じゃなく、この世界に元々いた生物でもないって説なんだけど」
「また、ぶっとんだ説だね」
「根拠がないわけじゃないのよ。さっきの亜龍だけど、あれを食用にする人はいないの。なんでかわかる?」
「雲龍に守られてるから?」
「それもあるけど、人間には消化できないのよ。タンパク質の構成が、わたし達とは違うみたいなのね。で、それを食料にしている雲龍は、それを消化できるわけだから、亜龍と雲龍は同じ由来の生物ってことになるわね。でも、判らないことが一つあって」
 そこで、ポルカ・ドットがクレーンでコンテナを運んできた。
 レオとセシリーの三人でコンテナを降ろし、備え付けのスコップで糞をコンテナに移しながら、トリンは説明を続けた。
「どうも、雲龍は消化したものを、わたし達の世界由来のものに分解してから排泄してるみたいなのね。逆に、亜龍はこの世界の生物を消化できるみたいで。はっきりした話じゃないから、このサンプルを調べてみないと判らないけど。もしそうなら、なぜそんな生体機構が必要なのか。そこを調べたいのよね」
 丁度人一人が横になって入れるくらいのコンテナにせっせと雲龍の糞を移しながら、楽しそうに笑う。
「学者さんって、なんか研究室で色々難しいことやったり、考えてしてるだけのものだと思ってたけど……」
「幻滅した?」
「ううん。なんかすごい面白そうな仕事だなぁと思って」
「そう?」
 セシリーの本気の言葉に、トリンは嬉しそうに華やかな笑顔を浮かべた。
「それにしても、おっきいウンコだよねぇ。よっぽど大きな雲龍なんだろうね」
「ああ、これってほんの一部みたいだから。断面とか、未消化物とか見ると判るんだけどね。多分百メートル超級の雲龍だと思うわよ」
「本当? そんなのだったら、ちょっと見てみたいなぁ!」
 
「なんかすげぇ物騒な話してんだけど……」
「聞かなかったことにするか、出会わないように祈るべきか、迷うところですね……」
 楽しそうに話している二人から少し離れたところで、亜龍を中心に、獲れた生き物を別のコンテナに詰め込みながら、深刻な表情でレオとピースは顔を見合わせた。
 
          act.3 雲龍
 
 
「作業の進捗状況はどうですか、博士?」
 樹木の妖怪じみたケーブルの海に埋もれるように設置された大規模な端末群に、さらに埋もれて作業している矮躯の博士へ、対照的に大柄なヒゲの軍人が声をかける。
「ん? 順調ダヨ」
 バンガスはモニターから顔も上げずに短く言った。
「それでは、すぐにでも移動できそうですか?」
「せっかちダネ。君は順調に作物が育っていると言う農民にも、同じようにすぐ収穫できるか聞くのカネ?」
 婉曲なイヤミの多いこの奇人の言動にもいい加減慣れてきた軍人は、溜息と一緒に不愉快な気分もしっかりと吐き出す。
「例の連中が、近くをうろついています。妙なちょっかいをかけてくる前に、至近の基地に移動したいのですよ」
「その連中に手出しをさせない為に君らが居るんじゃないのカネ。自分たちに与えられた仕事もまともにできないのでは、君ら軍人など何の為にいるのか解らンネ。それに、こうしてワタシの邪魔をすることで、作業がその分確実に遅くなるのだと、考えなくても理解してはもらえないものカナ?」
 さすがに後ろに控えていた部下が、怒気を膨らませるのがヒゲの軍人には判った。
 片手を上げて部下を制止しながら、冷静な声で言葉を続ける、
「あまり余計な危険は犯したくないのです。博士にしても、こんないつ雲龍に襲われるか判らないような場所で、いつまで作業したいわけではないでしょう?」
「そういや、そんな要素もあっタネ。夢中になってて忘れていタヨ。そっちのことは専門家に任せているものデネ。まあそういうことなら、後はそうそう時間はかからないと思ウヨ」
「根拠は?」
「説明して解るとも思えんガネ。最初のプロテクトが一番厄介だったんだが、これはもう突破してアル。コア部分のプロテクトは今無理に解除する必要はないかラナ」
「今更かもしれませんが、本体ごと移動すればプロテクト云々は関係ないのではないですか。いくら巨大とは言っても、戦艦数隻で釣り下げて運ぶことは可能ではないのでしょうか」
「本当に今更ダネ。そういえば、後から派遣されてきた君たちには説明してなかっタネ。おそらく安全装置のような物だと思うが、これの座標は、空間そのものに固定されてイル。現状、今の科学技術では、ここから一ミリも動かすことができんだろウネ」
「こんな技術を持っているのにですか……」
 ヒゲの軍人が上を見上げると、透明な天蓋の向こうで、雲海が渦巻いているのが見えた。
 ここは雲海の底なのだ。
 ドーム状の大きな空間の中に、いくつかの大きなテントが張られ、学者らしい白衣姿や、作業員らしい姿が散見できた。
「こんなものB・B特性の応用発展でしかなイヨ。君でも知ってると思うが、B・Bの構造に関しては、まだ基礎理論すら存在しナイ。使えてはいるが、使いこなせているわけではないのダヨ」
 興が乗ってきたのか、手を止めて端末の包囲から出てくるバンガス。
「おそらく、いや間違いなく、これは神話に伝わる創世の三柱神。その一柱ダネ」
 悪魔的な笑いを浮かべ、コードの海の向こう、もう片方の端に眼を向ける。
 その先には、半ば岩と同化したように俯きに座り込んだ、巨大な人型機械の姿があった。
「こいつを解析することができれば、様々な謎が一気に解けるかもしれなイヨ。まさしく宝箱ダネ!」
 邪悪な高笑いを上げて、人型機械を眺めるバンガスに生理的嫌悪を感じたのか、ヒゲの軍人は形ばかりの礼を言ってその場を離れた。
 
「学者というのは、みなあのように不愉快な物なのでしょうか?」
 充分離れたところで、ヒゲの軍人の部下・ミンスターが吐き捨てるように言った。
「あれは特殊な部類だろうな。学問が無ければ、病院に入ってるたぐいだろう」
 容赦のない寸評をくわえる上官にミンスターは少し笑顔を浮かべたが、すぐに眉を寄せた。
「大佐。あれは、それほど重要なものなのでしょうか……」
「あの博士の言ってることが事実なら、世界がひっくり返るだろうな」
 息を飲む部下に、大佐は苦笑いを見せる。
「言ってることが事実なら、の話だがな。派遣された戦闘力の高い部隊が我々だけなところを見ると、軍首脳部も眉唾だと思っているのではないかな」
 現状、戦闘用艦載機による打撃部隊は、ピアシング所属の部隊だけだ。
 一般の艦載機部隊もいるが、これは作業用の色が濃い編成で、もしもウンディーネと一戦交えるなら、戦力としてはいささか心許ない。
「だが、どうも魔女≠ノ目をつけられていそうなところを見ると、信憑性は高そうだな」
 出てきた魔女の名前に、一瞬ミンスターの表情が硬くなった。
 それに目敏く気付いた大佐が、この人物には珍しく気遣わしげに訊いた。
「もし、あいつが出てきたら、戦えるか?」
「は、はい!」
 心中を見透かされたような言葉に、頬をやや紅潮させてミンスターは答えた。
「それが、任務ですから!」
「そうか」
 ミンスターの力が入って強ばった肩をポンと叩き、大佐は頷いた。
「今回連れてきた部隊の中では、お前が一番の腕利きだ。もしもの時は頼んだぞ」
「はっ!」
 直立不動で、鉄の芯でも入っているのかと思うような敬礼をするミンスターに、もう一度しっかり頷くと、大佐は歩き出す。
 ミンスターもすぐにその背を追って歩き出した。
 
 採取調査二日目。
 前日に仕掛けた網の引き上げが主な作業だったものの、掛かった獲物は昨日のトロールで獲れたものと大差ない内容だ。比較的食用の魚が多くかかったので何日かは食事の品目が増えそうだという以外に、目立った収穫は無かった。
 午前中に網の引き上げ。午後から獲物の整理とコンテナ詰め作業で、これも大して変わったことがあったわけでもなく。
 だが、この二日間通しての採取作業はトリンにとっては大成功だったらしく、気が弛んだのもあったか、夕飯の席で勧められるがままに酒を飲み、早々に潰れて客室に引っ込んでいった。
「寝かしてきたよー」
 トリンを部屋まで送ってきたセシリーが戻ってくる。
「それでは、いいか?」
 ウンディーネクルーが全員集合した食堂で、ラキッズが一同を見回す。
 声に含まれた色に、全員の顔が引き締まる。
「明朝、06:00(マルロクマルマル)、行動開始。いいな?」
 黙って全員が頷く。
「それでは、概要を説明します」
 フィーが立ち上がって、壁のモニターを展開し近海の地図を表示する。
「と言っても、そう難しいことをするわけではないのは、いつもの通りです。今現在この地点です。目標地点はこの辺り」
 と、ポインターで最初に画面の右下の辺りを示し、続いて左上の辺りを示す。
「付近の海流はこのようになっています」
 画面に透明なブルーで二本の大きな流れが表示される。お互いに擦れ違うような流れである。 画面下のメルティング・ポットから流れ出る形の海流上にウンディーネがあり、上方の海流をかすめるように目的地がある。
「上方(こちら)の流れに乗って接近、ある程度近づいた後、トラブルを装って救難信号を発しつつ、さらに接近。おそらく、以上のどこかの段階であちらが接触してくると思われます。素直に救援しに来るとは考えられませんので、交戦状態になるでしょう。交戦状態に入ってからですが」
 モニターを変えて、ウンディーネと相手戦力の布陣画面を出す。
「今のところ確認されている戦力は、中型戦艦一隻、艦載機搭載型強襲駆逐艦三隻。大型補給艦が一隻いますが、これは物資輸送と、作業用艦載機運搬の為のものでしょう。戦闘用艦載機は、三機編成の小隊が三つの中隊で、九機。これはピアシング所属ですので、実際の機数以上の戦力と言えるでしょうね。後は準戦闘型が八機。一応戦闘もできるでしょうが、これはさほどの驚異ではないと思います」
 ポインターで丁寧に説明を進め、相手方布陣前面の光点の群れを指す。
「この光点ですが、これは知能機雷です。どうもかなりの数が散布されているようですね」
 機雷は主に船舶に対する、トラップや防壁の役割を持つ強力な爆弾である。
 古い物は単に海上に浮かぶだけのものだが、この知能機雷は、他の機雷との距離を自動で調整するようにできており、例えいくつかが爆発しても、船舶が通れる隙間を自動で埋める機能がある。また、強引に突破しようとする動体に対して群がる機能を搭載したものもある。
「本来知能機雷は、艦からの遠隔操作のサポートを受けて機能する物ですので、その回線に割り込んで無力化することが可能なのですが、この機雷は最新型で遠隔操作の必要が無く、この機雷同士の通信は到達距離の短いものが採用されています。一種類のみのバンドを使用しているようですが、当然スクランブルがかかっています。相当近づかないと解除コードを知っていたとしても入力を受け付けないようですし、そもそも電波が届きません。さらに、この機雷のもっとも面倒な部分は、対空対海兼用ということですね。B・Bの斥力場を応用して、空中へも配置できるようです。もちろん、半永久的というわけにはいかないでしょうから、機能的にはある程度短期間向けのものでしょう」
「明らかに、オレらを意識した装備だよねぇ」
「それどころか、我々の為だけに開発されたものかもしれませんよ」
 レオとピースが口々に感想を口にする。
「とりあえず、船載機はこれを気にする必要は無いでしょう。向こうもわざわざ機雷原で戦闘をするほど酔狂ではないでしょうし。一応、頭には入れておいて下さい」
 船載機乗りの二人が頷くのを確認して、フィーは説明を続ける。
「船載機は戦闘に入ったら、なるべく敵艦載機部隊を引き離して下さい。その間にこちらは、敵機雷原を突破します」
「アテはあるの?」
「いくつか手はある。ただ、少しイレギュラーも予想できるから、今のところこれという風に決めているわけじゃないな」
 レオの疑問にはラキッズが答えた。
「イレギュラーとは?」
「雲龍でしょ」
「そうです」
 ピースとセシリーの言葉には引き続きフィーが答え、モニターを先ほどの海流のものに戻す。
「トリンシアさんに確認したところ、雲龍はこの上下の海流を乗り換えながら、この近海の比較的狭い範囲を回遊しているのではないかとの事です。狭い範囲とは言っても、この数日で姿を確認する機会が一度も無かったところをみると、かなりゆっくりした回遊なのではないかとのことです」
「計画に組み込むほど確実な要素ではないが、無視できるほど可能性の低い話ではない、ということだな」
 ドムギルの確認にラキッズが頷く。
「今回も強引でゴリ押し気味な計画だがな。不確定要素も考えつつ、いつものように臨機応変でいく。みんな、今回も頼むぞ」
「「アイアイ・キャプテン」」
     
          2
 
「な、なんです?!」
 船内に緊急警報が流れ、トリンはベッドから跳ね起きた。
【トラブル発生、トラブル発生。船内に非常事態発令。乗組員は、手の空いた者からブリッジに集合をお願いします】
「と、トラブル? まさか雲龍かしら……? それとも、また海賊?」
 慌てて枕元の眼鏡をかけ、酔って寝たせいで脱ぎ散らかしていた服をかき集めて着替えると、走ってブリッジに向かう。
 
「なにがあった…………ん、です……か?」
 前回と同じように、全員そろったブリッジに一番遅れて入ってきたトリンは、ブリッジの雰囲気に既視感を覚えた。
「あ、トリンさん、おはよう。ほら、今からトラブル発生するから、座った座った」
「はあ……?」
 促されるままに、ビジター席に座るトリン。
 海賊の時と同じく、ブリッジに一切の緊迫感は無かった。
「ままま、いいからいいから。すぐに始まるよ」
 一応自分の席はあるが、ビジター席の側で立ったままのレオが気楽に言った。
 その隣では、ピースも同じく壁に背を預けて立っている。
「始まるって……」
 意味を尋ねようとレオを振り返ったと同時に、ラキッズがマイクに向かって喋りだした。
「緊急連絡。近海の船舶へ。こちら組合所属、中型汎用船舶雲海の乙女″船長、ラキッズ・ロウ。緊急事態発生。現在、自船は操舵不能に陥っている。エンジントラブルも同時に発生している為、停船も不可能。救助を求む」
 同じ内容のアナウンスをもう一度繰り返し、ラキッズはマイクのスイッチを切った。
「たたたた大変じゃないですか! どうしましょう?!」
 ラキッズが放送した内容にトリンは仰天してブリッジを見回すが、誰一人として慌てていなければ、深刻な顔をしている者もいない。
 さすがにトリンもすぐ冷静さを取り戻して、首を傾げた。
「……なんです?」
「それでは、総員配置についてくれ」
 深刻ではないが厳格な声でラキッズが指示を出し、ブリッジから次々に自分の配置へと向かっていく。
「ま、色々疑問はあると思うけど、なにかあっても見なかったことにしてさ。のんびり席に座ってれば、すぐに終わるから」
 ぼう然としているトリンの肩を叩いて、レオも小走りにブリッジを出て行った。
「不自由をおかけしますが、しばらく我慢して頂けますか。申し訳ありません」
 本当に申し訳なさそうな表情で、船長席正面の管制席からフィーが言う。
 それほど長い付き合いではないが、トリンもこの船に乗る人たちのひととなりが少しは解ってきている。
 なにかやろうとしているのかは判らないが、それが悪いことではないのだろう、という確信だけはある。
 とりあえず、思い切り溜息をついて、トリンは大人しく席に座った。
 
「白々しい事を言ってくれるな……」
 連邦軍所属の中型戦艦、「シムルガムル」のブリッジで大佐は苦笑いした。
 付近の海域に、ステルスで身を隠している連邦の船舶以外の船影はない。向こうでもそれを解って救難信号を出しているのだろう。
「本当に救援に行ってやろうかとも思うが、面白いだけであまり意味は無いな」
「救援にいく振りをして近づいて、そのまま戦闘に持ち込んでは?」
「普通の船ならそれでもいいだろうがな。下手に奇手に出ると、どんなしっぺ返しを食うか解らん。なにより、わざわざ迎撃準備を整えているのだから、こっちから相手の土俵に踏み込んでいく必要もあるまい」
 副官の提案をやんわりと却下して、大佐は戦闘指揮用のインカムを装着し、アブドミナル回線で全艦放送する。
「全艦戦闘態勢! お待ちかねの美女が登場だ! ピアシング全機発艦準備! 警戒ラインを越えてきたら、順次発艦だ!」
 
「聞いたな? 連中が警戒ラインを越えてくるまで少し時間がある。各員、艦載機に搭乗して待機!」
 自らの僚機に搭乗する二人の青年に鋭く指示を飛ばし、その背中が遠ざかっていくのを眺め、ミンスターはゆっくりと息を吐き出し、自分の両頬を思い切り叩いた。
「よし」
 眼に力を漲らせ、ミンスターは自らの乗機に向かった。
 ピアシングの乗機は、連邦製のGHD‐06ポルテル・セネグで統一されている。やや大型の攻撃機で、電撃作戦に向いた高い攻撃力と機動性を誇り、やや運用効率に劣るところがあるが、軍用艦などのバックアップを受けることで、その難は補って余りある。
 各戦闘には内蔵武器のみで一通り対応ができる武装の豊富さと、ハードポイントへの追加武装適応の高さにも定評がある。
 ダイバー形態は、突撃力の高さを伺わせる縦長のシルエット。ストラグラー形態は、やや手足が長めで四肢が太い。
 機体の色は、オリーブグリーンが基調で、ピアシング所属機は左肩アーマーが黄色に塗られ、さらに隊長機は頭部の形状が若干異なり、赤く塗られている。
 自機に乗り込んだミンスターは、起動プロセスを確認。灯の入ったモニターが、次々に緑色に変わっていく。
 インカム付きのヘルメットを被り、パイロットグローブに手を通したミンスターの眼には、迷いは無いように見えた。
 しばしの間、緊張に満ちた時間が流れる。
 どれだけの時間が経ったのか、アラームが鳴り、管制の声がコクピットに流れる。
【魔女≠ェ警戒ラインを越えました。ピアシング各機、出撃願います】
「ピアシング各機、出撃!」
【了解。ベータ、出ます!】
 ミンスター機コクピットの指揮官用モニターに、次々と出撃のマークが入っていく。
【チャーリー、行きます!】
 三号機に乗り込む少尉の緊張した声が聞こえ、目前のポルテルが雲海に降りる。
「アルファ、出る」
 軽い衝撃、雲海へ着水。
「行くぞ」
 僚機と他小隊の体勢が整っているのを確認して、ミンスターが指示を出し、九機のポルテルはウンディーネへと速度を上げた。
 
「相手艦載機の発艦を確認、数は九」
「出し惜しみなしの、問答無用か」
「私達も、随分悪名が響き渡っているようですし、あまり余計な手間はかけたくないのでしょうね」
 救難信号は、短距離・中距離の両共通チャンネルで流しているが、近づいて来る艦載機も、その向こうの軍用艦からも、反応が返ってくる様子は無い。
 フィーの報告と評価に苦笑いして、ラキッズは指示を出す。
「レオ、ピース、準備は良いか」
【アルファ、大丈夫】
【ベータ、行けます】
「では、頼む」
「アルファ、ベータ。両機発進願います」
【【了解!】】
 ウンディーネの両機もまた、迫るピアシングに向けて出撃する。
 
 ほどなく、艦・船載機用共通チャンネルの範囲に入ったところで、ピースが通話モードを入れて呼びかける。
「こちら雲海の乙女号所属船載機。接近中の所属不明機へ。現在、自船はトラブルにより航行制御不能状態にあり、救援を求めています。そちらの目的は、こちらの救援でしょうか。そうならば、所属を明らかにして、一旦接近を中止を願います」
 返事はおそらくないであろうことが前提の通信だったが、驚くことに相手隊長機から返答があった。
【雲海の乙女号所属船載機へ。こちらの所属は明かせない。当方は現在この海域にて作戦行動中。貴船が即刻この海域から退去しない場合、敵性行動として排除する。以上】
 冷徹な女の声が一方的に言い放ち、通話を切る。
 その声に、ピースは聞き覚えがあった。ラキッズから話を聞いた時から予想しなかったわけではないが、予想が望まない方向に当たってしまったわけだ。
 溜息をついて共通チャンネルを受信モードに落とし、操縦桿を握り直す。
 通信に応対した、ということは、今は隊長なのですね。
 つい先日会ったミンスターと、出会ったばかりの新兵だった頃のミンスターが交互に脳裏をよぎった。
「順調に出世しているようで、なによりです」   
 嫌味でもなんでもなく、正直にピースはそう思った。
 軍を脱走したのは、ただの自分自身の都合と我が儘だったのだ。もちろんそのことを後悔してはいないが、その結果として、当時の部下だったミンスターに迷惑をかけてしまったのではないか、という事だけが唯一の心残りだった。
 なにかしらの処罰を受けていれば、期間を考えると隊長になどなれていないはずだった。
 不思議と、今から命のやりとりをすることに関しては、特に何の感慨も浮かばない。
「結局、僕も軍人だということですね」
 ほんの少し寂しそうに、ピースは自嘲の笑いを浮かべた。
 
「よろしいので?」
 戦況を見つめる大佐に、副官が確認する。
 相手の通信に対しては無言を貫くように、という指示が出ていたのにも関わらず、ミンスターが通信を返したからだ。それほど優先順位の高い指示ではないが、命令違反と取られても仕方がない行動だ。
「まあいいだろう。ひょっとしたら、敵後衛の動揺を誘えるかもしれん」
 可能性は低いかもしれんが。
 かつて自らの部下だった、今は名前を捨ててしまった青年の顔を思い出し、大佐は周りに解らない程度に、少しだけ懐かしそうな表情を浮かべる。
「敵前衛、雲海上に出ます!」
 戦闘が始まる。
 大佐は表情を引き締めて、モニターを食い入るように見つめた。
 
 接敵まで多少の距離を残し、トリファが浮上。
 ストラグラー形態で、雲海上から距離を詰める。
 艦・船載機の基本戦術は反航戦だが、彼我の戦力差が大きい場合、反航戦を行うと、その後に包囲や背後を取られる危険が高い。
 あまりに戦力差がある場合は、逃走を選ぶのがもっとも効率的だが、それができない場合は次善の手段として、雲上での接敵というのが一つの選択肢だった。
 続いてポルカ・ドットも後方で浮上する。
 ピアシング部隊のうち、後衛を担当する三機が雲海面まで浮上。海面上に露出したポルテルの背面上部が展開して、無数の小型短距離ミサイルを吐き出した。
 短距離で雲海上となれば、ホーミング性能は高い。ミサイル群は生き物のように曲線を描き、ランダムな軌道変更と細かい方向修正を繰り返しながら、トリファへと襲いかかる。
 トリファは殺到するミサイルに、まるで恐怖を感じていないかのようにギリギリまで引きつけ、急激な横への軌道変更で振り切りを計る。
 半分が雲海面に接触して自爆し、残りのうちの半分も誘爆して数を減らす。だが、残った四分の一のミサイルが、執念深くトリファを追う。
 接近してきたピアシング前衛が、ミサイルの爆発を煙幕代わりに次々と浮上していく。
 その内の一体が、浮上と共に横に吹っ飛んだ。
 ポルカ・ドットからの狙撃だ。
 ミサイルの爆発と、それによって巻き上げられた雲を貫いての一撃。それは神業の域だ。
 両足を共に吹き飛ばされたポルテルは、コクピットこそ無事なようだが、これで戦闘不能になった。
 
「エコー戦闘不能! 搭乗員は生存を確認!」
「『魔弾の射手』は健在か……」
 大佐の複雑な表情は、一瞬喜びの笑いにも見えた。
 
「も一機もらうよ!」
 ミサイルを引き連れたトリファが急旋回で、浮上するポルテル達に突入。すり抜けざまに、手近のポルテルのバックパックに一撃。さらにトリファを追いかけてきたミサイルが右側面に着弾。右腕と右足を失い、これもまた雲海上に倒れ込んだ。
「なんだ、あんまり手応えないなぁ。この前の海賊の方がずっと強かったね」
 ストラグラー形態に変形し終え、牽制射撃をしてくる前衛ポルテル達から、ジグザグのランダム機動で距離を取るトリファの中でレオが笑った。
 
「ゴルフもやられたか。こちらもパイロットは無事……手加減されているな」
 一機だけ浮上しなかったミンスター機は、モニターで僚機の様子を確認して唇をかんだ。
 ミンスターの標的は、ポルカ・ドット。
 もちろん、戦術的に言っても当然の選択だった。トリファの戦闘能力と、ピースの射撃能力を考えれば、トリファが格闘戦で粘っているうちに、遠距離狙撃で一体ずつ無力化されていく危険性が高かったからだ。
 私情は無い、と思う。
 ピースの実力をよく知り、そのクセやひととなりもよく知っている。
 なにより、この場にいるピアシングの中では、艦載機戦闘で彼に対抗できるのは自分だけだからだ。僚機を置いてきたのも、遠距離狙撃を得意とするピースのポルカ・ドットには格闘戦を挑むのが最善手なのだから、実力に劣る僚機はむしろ邪魔になる。
「言い訳か……」
 みるみるうちに近づいてくるポルカ・ドットの反応を見ながら、自嘲的に笑う。
 ミンスター機が近づいているのは解っているのだろう、ポルカ・ドットは回避行動を取っているが、ダイバー形態のポルテルの方が速い。
 速度をさらに上げて浮上機動。それに反応してポルカ・ドットが小さな旋回を行う。浮上の瞬間を横から狙うつもりだろう。
 ミンスターは海上に出る瞬間、素早く上昇舵と旋回舵を操作した。
 
 ピースは浮上するポルテルを迎え撃つ為、ポルカ・ドットの大口径ライフルを背後に収納、左手の榴弾をセットした。
 ほんの少しの間の後、雲を吹き上げてポルテルが浮上。
 素早く榴弾を向けるポルカ・ドットのモニターに、ダイバー形態のままこちらに機銃を向けるポルテルの姿が映る。
「!」
 咄嗟の判断で榴弾を発射すると共に緊急回避。
 ポルテルの掃射した機銃弾と榴弾が空中で接触。空中に炎の華が咲く。
 爆風に押され、ポルテルの体勢が崩れるが、ストラグラーへの変形と共に姿勢制御。海面に降りると同時に、線位を変えつつあるポルカ・ドットを追ってくる。
「腕を上げましたね」
 迫ってくるポルテルの姿に、ピースは場違いに和んだ表情を浮かべる。
 ランダム機動で近づいて来るポルテルに牽制の機銃を一掃射。近接戦闘用のロッドに持ち替える。
 ポルテルも、両手のナックルを展開して迫る。
 接近の勢いを借りたポルテルの一撃を、ポルカ・ドットは体を開いて回避しながら相手の間接部を狙ってロッドを突き出す。
 だが、その一撃は機体をスピンさせて向き直ったポルテルのナックルに弾かれる。
 お互いの攻撃を躱した勢いでつかの間距離が開くが、すぐにポルテルが追いすがる。
 そのほんの短い時間にポルカ・ドットはライフルを展開。射撃。
 それは、やや雑な一射に見えた。
 
 らしくないな。
 近距離からのライフルを易々と躱しながら、ミンスターは思った。
 明らかに当たらないことが解っていて、大きな攻撃をするとは。軍を離れて腕が鈍った?
 その時、コクピットにアラートが鳴り響いた。
 驚いてモニターに眼をやると、第三小隊の後衛が戦闘不能になっていた。その上、またもパイロットは生存。
「まさか今の一撃で……?」
 それはつまり、ミンスターの攻撃を捌きながら狙撃し、かつ手加減をできるほど実力差があるということだ。
 ぎり、と奥歯を噛む。
 ピースがいなくなってから、自分は特殊部隊の第一線で実戦を繰り返してきた。
 それなのに、なぜこんなにも差がある。
 すぐにポルカ・ドットに追いつき、ナックルの一撃。ロッドで流されるが、流されるままに機体を回転。逆の腕での追撃は屈んだポルカ・ドットの頭上を行きすぎる。
 また狙撃の隙を見つけようというのか、距離を取ろうとするポルカ・ドットを全力で追いかける。狙撃の隙を与えてはいけない。
 ふとミンスターは思った。
 なぜ攻撃してこない? 狙撃する余裕があるなら、いくらでも攻撃できる隙はあるはずだ。
 情けをかけられているのか?
 そう考えが至った瞬間、心の中が怒りで真っ赤になった。
 ミンスターは衝動的に、共通チャンネルを開いていた。
 
 ピースにはミンスターが思うほど余裕があったわけでも無かった。
 先ほどの狙撃も、偶然その隙があったから反射的にやっただけで、もう一度やれと言われても無理だろう。
 ミンスターの攻撃も、先程の狙撃を見てから、さらに執拗で激しいものになっている。
 実のところは、かなり追い詰められている。撃墜しようと思えばできないことはないが、ピース達に与えられた任務は敵の殲滅ではない。
【中尉。今は敢えてそうお呼びします】
 突然共通チャンネルから聞き覚えのある声が聞こえて、さすがのピースも驚いた。
 目の前のミンスター機からの通信である。だからといって、ポルテルからの攻撃が止んだわけではない。
「ミンスター中尉ですね」
【はい】
「戦闘中に、敵機に対して通信して大丈夫ですか?」
【極短距離通信を使ってます。問題ありません】
 固い声で答えるミンスターの言葉に、そういう問題ではなかろうとピースは思ったが、それについては何も言わずに促す。
「なにか話が?」
【どうしても、聞きたいことがあります】
「聞きたいこと?」
【なぜ……】
 ミンスターが少し言いよどむ。その間もポルテルはポルカ・ドットを追い、ピースは言葉を待ちながらも、精密な操作でポルテルを躱し続ける。
 お互い、呼吸をするように操縦がこなせる程度には練度が高い。
【……軍を脱走したのですか?】
 選んだ末に出てきた言葉は、嘘ではないが含まれていないものが多くあった。
 
          3
 
        ・・・・・・・・・・・
 
 彼が姿を消したのは、ミンスターが随行を許されなかった機密性の高い任務中だった。
 戻ってきた少人数の部隊内に、彼の姿が無いことを不審に思い、上官に尋ねたところ「戦死」したと聞かされた。
 精神的な衝撃で目の前が暗くなることがあるのだと、この時ミンスターは初めて知った。
 軍学校時代から艦載機操縦の才を見いだされ、専門の過酷な訓練を積み、ピアシングに配属されたばかりの頃でも、部隊内に近接戦闘でミンスターの相手になれるものは多くなかった。
 だが、一級の実力を持つミンスターだったが、その後衛になろうという者はいなかった。
 理由は馬鹿馬鹿しくも単純なものだ。
 女のケツにつけるか。
 はっきり面と向かって言われたわけではないが、そういうことだ。
 ピアシング初の女性隊員でもあり、鳴り物入りだったミンスターへの風当たりは予想以上に強かった。学生時代にも同じような扱いを受けた経験のあるミンスターは、溜息一つついただけで、さほども気にしなかった。
 だが、ある時ピアシングに編入されてきた若い狙撃手は違った。
 その狙撃手は編入と同時に一階級上がって中尉と、周りより一階級上だったが、新入りということもあって、誰もやりたがらないミンスターの後衛を押しつけられたようだった。
 さすがに上官はミンスターほどの戦力を遊ばせておくのは勿体ないと考えていたようで、人員を入れ替わり立ち替わりして部隊の編成に苦慮していたが、この時期ミンスターの配置は宙に浮いていたので、その狙撃手とのバディを組むことになった。
 最初に引き合わされた時抱いた、ミンスターの狙撃手に対する第一印象は、どこかの大学のキャンパスの方が似合ってるんじゃないか、というものだった。
 軍人としてはやや線が細く、殺伐とした雰囲気ではないが、柔和なわけでもない。
 後に、様々なタイプの軍人を見て、何か一つの技能に秀でた者にどこか共通する雰囲気だということを知った。
 他の者のように露骨な態度をみせてはいないが、どうせこいつも同じだろう。そう思っていたミンスターが認識を変えたのは、バディを組んで初めての、実機を使った模擬戦闘訓練の時だった。
 三機編成の部隊の中で、ミンスター達の部隊だけが二機編成で、すでに数の上で不利だった。その上、狙撃手とのコンビネーションを期待できるほどの習熟時間も無かった。
 まだミンスターは小隊単位での戦闘に慣れていないし、いくら鳴り物入りとはいえピアシングの精鋭相手に、多対一の戦闘ができるのほどの腕もまだない。
 適当に嬲られて終わりか……。
 ミンスターに対して、思うところのある隊員は多いのだ。この機会にこちらをいたぶってやろうと思っているのは一人や二人ではあるまい。
 艦載機の操縦席で、そっと憂鬱な溜息をつくミンスターに、狙撃手の艦載機から通信が入る。
「……こちらミンスター」
【単刀直入に聞きます少尉】
 淡々とした口調で、狙撃手が短く切り出す。
【僕は少尉を信用できます。少尉は僕を信じられますか?】
「え?」
 どきりと心臓が跳ねた。
 真摯で真っ直ぐな言葉だった。軍に入って初めて、いや、今までの人生でも聞いたことのない誠実な言葉だった。
「し、信じたら、なにかあるのですか?」
【この模擬戦闘訓練で、勝てます】
 なんの根拠もないのに、まるで確定した未来を語っているようだ。
 だが、ミンスターはその言葉を信じた。
「わかりました、……信じます」
【それでは、作戦を伝えます……】
 そしてその結果、被撃墜0。撃墜数はトータルで一八機という大記録を残したミンスター達のバディは、ピアシングだけでなく連邦軍上層部にまでその名が響いた。
 それから数々の任務をこなし、一躍部隊のトップに躍り出たミンスターへのやっかみや中傷は次第になりを潜め、ミンスター達は部隊のトップエースへと成長していった。
 模擬戦からしばらくして、ミンスターは狙撃手に聞いたことがあった。なぜあのとき声をかけてくれたのか、と。
「偶然ですが、少尉を辱めてやろうと相談している連中の話を立ち聞きしまして。個人的に気に入らなかったので、逆襲してやろうかと」
 同情ですか、と重ねて問うミンスターに、狙撃手は「いえ」とあっさり首を横に振った。
「僕はバディを組んでからずっと、少尉の実力には一目置いていました。少尉の実力を評価せずに感情で否定するなど愚の骨頂です。そういう連中に少尉の実力を認めさせ、ついでに連中にも少し学んで貰うには良い機会かと思いまして」
 話の最中、クスリともしなかったので、すべて本心だったのだろう。
 彼になら、自分の背中を預けられる。
 ようやく、自分の居場所を見つけられたと思った。
 ずっと続くと思っていた幸福な時間は、驚くほどあっさりと終わった。
「戦死」
 軍で生きていく以上、それは常に己に寄り添っているものだ。ミンスターも、軍人としてその覚悟はしていた。
 だが、まさか彼が戦死するなどと、夢にも思っていなかった。
 例え部隊が全滅したとしても、彼だけは生き残ると思っていた。それほど彼の実力を認め、信頼を越えた崇拝に近い気持ちを抱いていた。
 涙は出なかった。
 それよりも、随行を許されなかった自分の不甲斐なさに、張り裂けんばかりの怒りを感じた。
 バディを失ったミンスターだったが、すでにその実力を認められていた為、僚機に付くことを嫌がる者はいない。
 まるで哀しみと怒りを忘れようとしているように、ミンスターはただひたすら任務をこなし続け、中尉に昇進し、いつしかピアシングの中隊長を任されるに至った。
「戦死じゃない?」
 隊長に任命され、閲覧できる軍内部情報が増えたミンスターは、彼が消えた作戦の資料を調べ、彼が戦死ではなく脱走したのだと知った。
 その作戦内容は機密レベルが高く閲覧できなかったが、彼が生きているという事実だけでも、充分に衝撃だった。
 そして、それからほどなく、軍内部で最重要マーク対象である魔女≠ノ、名前を変えた彼が乗り込んでいるという情報が届く。
 同じような時期にピアシングが魔女≠ノ対抗できる戦力として期待されつつあった。
 ひょっとしたら、作戦行動の過程で彼に逢えるかもしれない。
 逢って、どうしても確認したかった。
 
         ・・・・・・・・・・・
 
【それを訊いてどうします? 意味があるとも思えませんが】
 ピースの返事は必要以上に冷酷に聞こえた。
「私にとって、中尉は軍人の手本でした。直接なにかの教えを受けたわけではありませんが、軍人が持つべき矜恃(きようじ)も、技能も、他にも様々なものを中尉に学びました。その中尉が、なぜ、任務を放棄して脱走しなくてはいけなかったのですか」
 当たれば行動不能どころか、コクピットブロックごと相手を潰死させるであろう一撃を連続で繰り出しつつも、ミンスターの声にはどこか悲壮な色が混じっている。
 ピースの声を聞いた瞬間、溢れていた怒りはどこかに行ってしまった。
 今はただ、彼の言葉が聞きたかった。
 しばらく無言の間。その間も、お互いの乗機はハイレベルの攻防を繰り広げている。
 返事は無いか。
 そう思った時、ピースが口を開いた。
【銃は与えられたものでも、その引き金を引くのは自分の意志でありたいのです】
 ミンスターが初めて聞く、あまりに痛みに満ちた声だった。
 一体何があったというのか。そんな疑問が浮かぶが、ミンスターは衝動的に言葉を返す。
「それは綺麗事です!」
【それはそうなのでしょう。でも、それが今の僕の考えです。中尉には中尉の信じることがあるのでしょう。僕はそれを否定しません。だから中尉も僕を否定しないで下さい】   
「……っ!」
 その言葉はミンスターにとって、その戦死を告げられた以上の衝撃だった。
「それはっ……!」
 ワタシノコトヲステテマデ、ヤルベキコトダッタノデスカ……。
 本当に訊きたかった言葉は、ふいに鳴り響いたアラートに阻まれた。反射的に回避行動を取りながら、ポルカ・ドットとの距離を開ける。
 機銃による牽制を行いながら、ポルカ・ドットとポルテルの間に割り込んできたのはレオのトリファだった。
 すれ違いざまの一撃を振るい、その一撃を躱されると同時にスピンをかけてポルカ・ドットの横につく。
「くっ……」
 悔しそうに声を漏らすと、カメラアイを巡らせてトリファを追ってくる友軍機を確認、合流する為にその場を離れた。
 
【なんか苦戦してたみたいじゃん?】
 滑るように遠ざかっていくポルテルを見送って、レオが通信を送ってくる。
「苦戦と言えば苦戦ですか。隊長機を引きつけておけば、本隊も追いかけてくるかと思いましてね」
 予想通り本隊はこちらに向かっており、ウンディーネの突入経路は確保されつつあった。
【あと何機か減らした方がいいかな?】
「二機くらいでしょうか」
【じゃ、例の奴で】
「少し、不安がありますが」
【なんで?】
「読まれる可能性があるかと」
【ま、そうなったらそうなったで】
「……了解」
 どこか気落ちした声で、ピースは同意した。
 
【アルファ、無事ですか】
「……問題ない」
 盛大に息を吐き出し、すぐさまピアシングとしての己を取り戻す。
「アルファ小隊は無事だな。現時点よりベータ、チャーリー小隊は合わせてベータ小隊と呼称。相手は二機だ、掻き回されなければこちらに勝機がある。ぬかるな。散開!」
 ミンスターの号令で残り七機のうち前衛の五機が散開。後衛の二機が短距離ミサイルを一斉にばらまく。
 殺到するミサイルを充分に引きつけたトリファとポルカ・ドットは、急加速で左右に分かれ、大きな弧を描いてポルテル達を迎え撃つ。
 鋭い角度でポルテル達の前衛に突っ込むトリファが引き連れていたミサイルは、敵味方識別装置の働きで明後日の方向に飛び去る。
 ポルカ・ドットを追ったミサイルは、丁寧な機銃掃射でほとんどが空中で華を咲かせた。
 敵前衛に突っ込んだトリファを、ナックルを装備したポルテル達が出迎える。
 隊長機だけが両手にナックルを装備しているタイプで、あとのポルテルは片手だけにナックルを装備している。
 絶妙な時間差で攻撃してくる四機の攻撃を、まるで踊るような動きで躱すトリファ。
 駆け抜けたところで待ち構えていたミンスター機の一撃を、左手で流し、続く二撃目を跳躍しつつ躱し、そのまま宙に躍り上がり眼下へ機銃をバラまく。
 空中のトリファに対して応戦の銃撃は、トリファの両腕の厚い装甲に弾かれる。
 防御したその一瞬をついて、空中戦に持ち込もうと二機が飛び上がった。
 トリファは上昇の勢いのまま一撃を繰り出すポルテルの腕を蹴り、一瞬脱力したように高度度を下げる。
 その不可解な機動に一瞬だけポルテル達の動きが止まる。
 がんっ! と衝撃。
 乱戦から距離をとっている、ポルカ・ドットからの狙撃だ。
 もちろん、ポルカ・ドットの方にもミサイルを放出した後衛二機が牽制に向かっているが、牽制の役に立っていない。あまりに実力差があるからだ。
 空中に上がったポルテルの一機が、両足を射貫かれて海面に落下。
 さらにトリファは自由落下途中で急上昇、空中の残り一機に体当たりをし、相手が上に弾かれたところで、また急落下。
 また衝撃。
 今度は打ち上げられたポルテルが、左腕と左足を失ってこれも落下する。
「?!」
 ミンスターは、その特徴的な戦法に覚えがあった。
 それはかつて、初めての模擬戦闘で彼に提案された戦法だった。
「貴様……っ!」
 高度を下げようとしていたトリファに、ミンスターのポルテルが猛然と襲いかかった。
 ミンスター機の勢いに驚いたのか、ミンスター機の一撃を受け流せず、まともにガードしたトリファが吹っ飛ぶ。
 そのままの勢いで追いすがるポルテルから逃れるように、トリファがまた宙に飛び上がる。
 さらにそれを追って上昇しながら、ミンスターは我知らず叫んでいた。
「なぜ貴様がそこにいるっ……!」
 鬼神のような勢いで迫るミンスターに、トリファは防戦一方になっていく。
「そこは、私の場所だったのにっ!!」
 モーションが大きくなった一撃を辛うじて避けたトリファが、瞬転、高度を下げた。
「逃がすか!」
 まるでそのタイミングを知っていたような素早さで、ポルテルも急降下。
 無防備に高度を下げるトリファの背後に、ピタリと張り付く。
 背面は推進器が多く配置され、多くの艦・船載機にとって、背面からの攻撃は小口径の機銃であっても致命傷になり得た。それは装甲の厚いトリファであっても同じだった。
「もらった!」
 ポルテルの内蔵機銃がトリファの背中を照準する。
 
「うわっ、やばっ!」
 さすがにレオも、焦りの悲鳴を上げた。
 致命傷をなんとか避けようと操縦桿に力を入れようとした刹那、雷鳴が轟いた。
 
 
 衝撃は、艦載機の戦闘地域から離れた位置にあるシムルガムルのブリッジも襲っていた。
「何事だ!」
 強烈なノイズを吐き出すインカムを一旦外しながら、大佐は管制に確認を取る。
「レーダー範囲外からの、超長距離からの砲撃のようです。今解析を……なんだこれは!」
「驚くのは後にしろ! 報告!」
「なんらかの実弾兵器、おそらくは電磁砲(レールガン)の一種と思われますが、出力は大型戦艦主砲の五倍以上。ベータ小隊駆逐艦が、直撃ではありませんがほぼ大破。戦闘不能です」
「機雷原の一部が消滅。再展開はすでに開始していますが、あまりに広範囲の為、終了まで三分以上」
「長距離レーダーに動体反応! なんて大きさ、それに速すぎる!」
 悲鳴混じりの報告がブリッジに響き渡る。
 だが、その断片的な報告で、大佐は何が起きたのか正確に把握した。
「なにもこんなタイミングで現れなくともよかろうに……!」
 吐き捨てるように、大佐は言った。
 
 ウンディーネの方でも、雲龍の接近は感知していた。
 ふう、と息をついて、ラキッズが目頭をマッサージしながら呟く。
「また、面倒なタイミングで現れるものだな」
「テリトリー内で騒いでるのが判ったら、回遊を止めて異物の排除を優先すると思いますよ。子育て中だったらなおさらです。おそらくは熱源が強いものを優先して襲うと思うので、こちらに向かってくる可能性は低いと思いますけど……」
 黙って座ってろと言われたが、思わずトリンは口を挟んだ。無視されるかと思ったが、ラキッズはその言葉に頷く。
「至極当然のなりゆきと言うことだな。少し予定を変えないといけないか」
「雲龍、船載機群に向けて移動開始。三分後には接触します」
「のんびりしても居られないようだ。仕方ない、機雷原突破に使うつもりだったが……」
 ラキッズが目配せすると、フィーは頷いてコンソールを素早く操作した。
「ニケ℃ヒ出シーケンス、開始します」
 
「何だね、騒がしイネ」
 ドームの中に響き渡った衝撃と轟音に、ほとんどの技術者や警備の兵は驚いて身を伏せたと言うのに、バンガスは立ったまま眉をしかめただけで、ほとんど慌てた様子を見せなかった。
「バンガス博士」
「ん? 今の衝撃と電磁波で多少プロセスがキャンセルされたようだが、プロテクト解除は進んでいルヨ。一応、念入りにシールしておいた甲斐があったというものダヨ」
 不安そうに声をかけた軍の技術官に答え、にやりと笑う。
 明らかになにかが起きてるというのに、目の前の作業以外はどうでも良さそうだった。
 技術官は、その態度に僅かな尊敬と、多大な恐怖を感じて絶句する。
「バ、バンガス博士!」
 まだ若い、学生らしい青年が慌てて走ってくる。その表情には恐怖が満ちていた。
「雲龍です、雲龍が襲ってきたそうです!」
「そうカネ」
「そうかねって……」
 微塵の同様も見せないバンガスに、青年の顔にも恐怖が宿る。
「雲龍の件に関しては、君に一任するといったはずダガ。早いところ追っ払ってくれたマエ。気が散ってかなわンヨ」
「そ、そんなの無理に決まってるじゃないですか! 相手は雲海最強の生物ですよ?!」
「ナニ? 君は専門家ではないノカ? そんなもので、よく専門家を名乗れるもノダ。折角第一学部から借り出してきたのに、まったくの無駄だったのではないカネ」
 さほど重要な話ではない、というように詰まらなそうな顔で勝手な事を言ったバンガスは青年に興味を失い、しっしっと犬を追い払うような仕草をして背を向けた。
「役に立たないなら、せめて邪魔にならんように隅っこにいたマエ。こちらは、もう少しで終わりそウダ。それまでの間くらいなら、軍の連中にも足止めくらいできるだロウ」
 
「なんだ?!」
 トリファを獲ったと思った瞬間、正体不明の衝撃波で吹き飛ばされたものの、ミンスターは素早くダイバー形態に変形しつつ雲海内へ潜行。状況を確認する。
「これは一体……」
 レーダーに映ったのは、百メートル級の動体反応。それが、船舶ではあり得ない速度で近づいて来る。
【雲龍です。ここは一旦、お互いに引きましょう】
「雲龍?」
 共通チャンネルで呼びかけてきたピースの言葉で、状況を一瞬で把握する。
 それとほぼ同時に、ブリッジから撤退のサインが届く。
 これ以上の戦闘は無意味だった。
「……休戦については了解です。ですが、こちらは撤退できません」
【中尉?】
「身動きが取れなくなっている部下がいます。雲龍の進路から部下達が完全に撤退するまで、私は逃げるわけにはいきません」
 部下達の中にはかつて自分を認めなかった者もいるが、それが今隊長としての務めだと思っている。
 モニターで確認すると、戦闘で行動不能にされた者以外は、全員無事のようだ。ミンスターを除いて、丁度半分が健在である。
 回線を開き、全部隊に命令を出す。
「総員退却。動ける者は、動けない者を回収しつつ後退。しんがりは私が務める」
 通信しながら艦載機を浮上させ、ストラグラーに変形する。
 モニターで周囲を見回すと、四機の無事なポルテル達が逡巡するような雰囲気を見せていた。 明らかに危険な状況で、隊長機のみを残していくことに抵抗があるのだろう。
「なにをしている、急げ!」
 さらにミンスターが一喝すると、さすがに一級の訓練を受けている隊員達は、一糸乱れぬ動きで退却を始めた。
【んじゃ、お手伝いしよっかな】
 聞き慣れない、お気楽そうな声が共通チャンネルを通して聞こえ、トリファが近づいてきた。この声はトリファのパイロット、確か「黒猫」の声だ。
「お前達には関係のないことだろう」
 先程の戦闘時の雰囲気を引きずっている為、どうしても声に棘が出る。
 ほんの少し前に自分の命を脅かした人間に、なぜこれほど気楽に話しかけられるのか、ミンスターは理解に苦しんだ。
【そちらの人員が動けなくなったのは、言い訳のしようも無くこちらのせいですから】
 ポルカ・ドットも近づいてきた。
「……礼は言いません」
【結構ですよ】
 ミンスターの言葉に、笑みを含んだ声でピースが答えた。
 
「ここからは時間との勝負だな」
 ラキッズが小さく呟く目の前で、フィーが作業を進めていく。
「動力室、射出シーケンス用意」
『アイアイ』
 妙に古めかしい伝声管に向かってラキッズがいうと、ドムギルの声が返ってくる。
 アンティーク趣味で見た目だけ真似ているかのように見えるが、聞こえてきたドムギルの声を聞くと、どうやら本当に伝声管のようだ。
「仰角、方位よし。亜空間錨固定」 
『エンジン出力上昇、異常なし』
 ゆっくりとブリッジから見える景色が回転、水平線の角度がほんの僅か変わる。
 普段からジャイロによる姿勢制御で船体の揺れは最小限だったが、その最小限の揺れさえもピタリと止まった。
 
「来ますよ!」
 ピースがわざわざ注意を喚起しなくとも、雲海を蹴立てて迫り来る巨大生物の姿はカメラアイの映像でもはっきり判った。
 雲海の表面で潜り、浮かびを繰り返し、うねりながら近づいて来る姿は、遠近感が狂いそうなほど巨大で、圧倒的だった。
「まさしく自然災害ですね、これは。二人とも、適当に注意を引きつけて時間を稼いだら、早々に撤退しましょう。まともに相手をしてたら命がいくつあっても足りなさそうです」
 その間も着々と雲龍は近づいて来る。もう細部を観察できる位の距離だ。
 蛇に似た胴体は強靱な鱗覆われ、その一枚が艦載機用の盾ほどもあるだろうか。
 長い背中には尖った背びれが並び、その根本にはロープを束ねたような剛毛と呼ぶのも抵抗がありそうな毛が生えている。
 胴体に比べると小さい印象の鉤爪が生えた手は、実際には艦載機を一?みできる大きさだ。
 見え隠れする頭部は小型船舶並の大きさで、背に生えているのとそっくりな毛と、鋭い角が何本も斜めに突き出ている。
 その亀裂のような、無数の牙が並んだ口は、丁度艦載機が一機入りそうな大きさだ。
【さすがにちょっと、逃げたくなってくるなーー……】
 いまいち緊張感のない口調でレオが共通チャンネルで呟く。
 一カ所に固まったピース達の百メートルほど手前で雲龍が一度深く潜り、次いで天を貫くように雲上にそそり立った。
 長い身体をS字状にたわめ、見下ろす頭部の高さは三十メートルはありそうだった。
 その身体が、一瞬太くなった。
「っ! 散開!」
 ピースが警告を飛ばしながら、素早い動作で雲龍に向けて射撃。すぐさまその場所から全力で離脱する。
 頭部にポルカ・ドットの射撃を受けたが、これを易々と跳ね返し、吠えるような仕草を雲龍が見せた瞬間。
 キン、と空気が震える感触が伝わり、一瞬前までピース達のいた辺りが爆発した。
 もちろん、レオもミンスターもそれに巻き込まれるほど間抜けではない。
【なんだ、今のは!】
 雲龍と遭遇するのは初めてのミンスターが、脳を揺さぶるような衝撃の余波に顔をしかめながら言った。
「今のが『龍の咆吼』と呼ばれるものですよ。直撃を喰らえば爆散。運良くそれを免れても、脳が沸騰するでしょうね。でも、今見たように前動作があるので、注意していれば充分避けられます」
 こちらは遭遇経験のあるピース。
【どんな原理なんだろな】
「説明している余裕はないので、今のところは生き残ることに集中しましょう」
 それぞれ別な方向に逃げながら、ピース達は的を絞らせないようランダム機動で雲龍を取り巻く。
 面倒くさそうに地響きに似た唸り声をあげる雲龍は、先に簡単な方から片付けようと思ったのか、ピース達を無視して前進を始めた。知能が高いと言われるだけあって、判断が早い。
 まだ、ポルテル達の撤収は済んでいない。このままでは、簡単に餌食になってしまう。
【行かせるか!】
 部下達を守ろうと、ミンスターのポルテルが腕部内蔵の突剣を伸ばしながら、側面から雲龍へ突撃する。
 がきん、と生物を突いたとは思えないような音を立てて、突剣が強靱な鱗に跳ね返される。
 だが、それですぐにアジャストしたミンスターは、角度を変えて再度突剣を突き刺す。
 血は出なかったが皮膚までは届いたのか、雲龍が苛立たしげな声を上げて、ミンスター機を見た。
「いけない!」
 雲龍の口周辺に小さなスパークが走るのを見たピースが叫び、ミンスター機が素早く離れようとする。
 しかし、雲龍の方が一瞬速い。
 バシンッ! と衝撃音が響き、雲龍の体表面に稲妻が走った。
 共通チャンネルにノイズが流れる。
 密着こそしていなかったが、至近で雷撃を喰らったポルテルのホバーが途切れて、海面に落ちる。
「中尉!」
【だ、大丈夫です……】
 ノイズ混じりだが、ミンスターの声が返ってくる。
「動けますか?」
【駆動系は破損してませんが、システムが再起動状態です。すぐには……】
 ピースとミンスターが会話する間に、波間で動けなくなっているポルテルを、雲龍の瞳が捕らえる。
【ほ〜〜ら、失礼っ!】
 雲龍の死角から回り込んでいたレオが、格闘用のスパイクで腹部を一撃。やはり鱗を貫けないが、ミンスター機を向いていた雲龍の中尉が、逃げていくレオのトリファを向く。
 その瞬間、轟音と共に雲龍の頭部が爆発に飲み込まれた。
 
「主砲、直撃しました!」
「よし、損害を確認。第二射用意!」
 シムルガムルのブリッジで、大佐がキビキビと指示を飛ばす。
 射線を確保する為に機雷を移動させた為、撤退の援護が遅れてしまった。
 雲龍との交戦位置はキロ単位で離れているが、中型戦艦の主砲であれば充分射程内だ。
「第三主砲の照準は魔女≠ゥら離すな。おそらく、この機に乗じて動くぞ」
「第二射準備よし!」
 砲手の報告と同時に、オペレーターが悲鳴を上げた。
「目標確認……無傷です! 外傷は一切確認できません!」
「なんだと!」
 ブリッジの正面モニターに雲龍の顔が大きく映る。
 多少燻されて黒くなっているが、怒りに燃える表情は全くの無傷だ。
「化け物め。第二射! 撃てい!」
 
 続いて発射される艦砲射撃が届く前に、雲龍は雲海に潜った。
 砲弾が雲龍がいた辺りを通過して、少し離れたところで爆発、雲を巻き上げる。
 その隙に、ポルカ・ドットがポルテルを波間から引っ張り上げる。
【大丈夫ですか】
【はい……なんとか】
 共通チャンネルに流れる会話を聞きつつ、ポルテルのホバーが咳き込みながら再始動するのを確認して、レオは雲龍の行き先をレーダーで確認する。
「あれ?」
 雲龍を示す光点は移動していない、ということは。
「……真下に潜ってる?」
 潜ったのであれば、当然浮上してくる。
「やば。二人とも、危ないよっ!」
 急いでそこから離れながら注意を促す。
 素晴らし反応で、ピース達もその場を離れた瞬間、雲龍が凄まじい勢いで浮上。
 勢いで乱れうねる雲海面を、危なげなく乗りこなしてある程度距離を取る。
「なんか咥えてるな」
 格闘戦用スリットを開けて、目を細めて見る。
「……岩かな?」
 海底で拾ってきたのだろう、雲龍は大きな岩塊を咥えていた。
 ぱしり、と雲龍の口元でまたスパーク。
 そのスパークはみるみるうちに大きくなっていく。
 
 モニターでそれを見た瞬間、大佐の背に悪寒が走った。
「全艦、回避!」
 
 強力で断続的なスパークは、まるで小さな太陽のような輝きに変わった。
 次の瞬間。
 耳をつんざかんばかりの咆吼。
 そして、雲龍が咥える岩塊が、一直線に発射された。
 轟音、衝撃。
 嵐のように雲海面が暴れ狂う。
 
「あれが『龍の吐息(ドラゴンブレス)』……」
 恐ろしい破壊をもたらすその閃光は、心が震えるほど美しかった。
 モニターの映像と遠くの輝きに、我知らず涙まで浮かべて呆然としているトリンをよそに、ウンディーネのブリッジでは、まるでなにかの儀式のように、フィーの声が響いていた。
「エンジン出力、40パーセント。ニケ≠W0パーセントがコンディション・イエロー。20パーセントがグリーン。発射に問題なし。仮想砲身展開」
 ブリッジから、ウンディーネの前方に光の格子が組み上がっていき、ウンディーネの象徴であるフィギアヘッドと船体の接合部分で、光が漏れるのが見えた。
「射出準備よろし。撃発権移譲します(ユーハブ・ファイアコントロール)」
 ピタリと手を止めて、フィーが宣言する。
「撃発権受け取った(アイハブ・ファイアコントロール)」
 それに次ぐラキッズの宣言で、船長席の足下から銃把の付いた操縦桿のようなものがせりあがってくる。
 がしりと、ラキッズの手が引き金の付いた銃把部分を握りしめた。
「総員、耐衝撃、対閃光防御!」
「え? え?」
 いきなり言われて困惑するトリンに、フィーがそっと教えてくれる。
「しっかり椅子に座って、目をつむって耳を押さえていれば大丈夫ですよ」
 言われた通りに、席のベルトを確認して、目をつむり耳を塞ぐ。
 
「撃(てぇ)っ!!」
 
 ラキッズが引き金を引く。
 閃光と衝撃。
 銀色の乙女は輝きを引きずり、雲龍へと飛翔した。
 
act.4 雲海の乙女
 
 1
 
「回頭しつつ、高速巡航形態へ移行!」
 ニケの射出を終えてすぐ、ラキッズが指示を出す。
「了解。亜空間錨解除、回頭しつつ高速巡航形態へ移行します」
 ブリッジの風景は元の向きに戻りつつも、船体の船尾が正面に向けられる。
 それと同時にブリッジの位置が下がったような感触がトリンにはした。
「???」
 どうやらブリッジ部分が180度回転しながら船体に収納されたようだ。丁度フィギアヘッド射出前と後で、前後が入れ替わったことになる。
 トリンは気がつかなかったが、ウンディーネの外から見ると、両脇の推進器も微妙に位置を変え、ウンディーネ自体も雲海面から離水しつつあった。
【出力炉安定。推進器、共鳴運転効率四割】
「エネルギー充填まで秒読み開始」
 機関室のドムギルとフィーから次々と報告。
 その間も、ウンディーネは少しずつ形を変化させていき、船長席のレイアウトも真ん中に突き出た桿以外は、船載機に似たものに変わっていく。
「……3、2、1、充填完了」
「羽衣(ドレス)解放!」
 
 ここまでのものなのか……。
 望遠で自陣の損害を確認しながら、ミンスターは身震いした。
「……圧倒的すぎる」
 雲龍の進路から外れようと動いていた部下達に大きな損害は出ていないのが幸いだったが、このままでは部隊そのものは壊滅を避けられないだろう。
【大丈夫です】
 心が挫けかけたミンスターの耳に、ピースの冷静な声が届く。
「え?」
【来ました】
 その言葉が終わった瞬間、発光体が雲龍に衝突。
 ドラゴンブレスに匹敵する衝撃が巻き起こり、信じられないことに雲龍の巨体がゆっくりと吹っ飛ばされた。
「?!」
 荒れ狂う雲海面に再度翻弄されながら、驚愕に目を見開くミンスター。
 発光体はそのまま空中に静止。まとっていた光が空中に弾ける。
 そこに現れた銀色に輝くその姿は、鎧を着込んだスレンダーな少女に似ていた。
 その背中に、六枚の大きな銀の翼が展開する。
「ウンディーネののフィギアヘッド」
 見覚えのあるその姿に、思わずミンスターは呟く。
「あれが、戦乙女≠ゥ……!」 
 
「損害を報告しろ!」
 雲龍からの攻撃で大きく揺さぶられたブリッジで、膝をついた大佐がインカムに向かって指示する。バランスを崩したのは立ったまま指揮していた大佐だけだが、想像以上の状況に動揺が広がっている。
 そんな中で、大佐の声は多少の落ち着きをもたらし、我に返ったオペレーター達が動きだす。
「各艦状況確認、直撃弾ありません。ですが、攻撃の余波で第三駆逐艦が中破。第一駆逐艦、さらに動力部に損害、自律航行不能。すぐに爆発などの可能性は無いようですが暴走状態です。進路は後方。補給艦は無傷です」
「当艦、第二砲塔中破。他損害なし」
「作業中のドームに損害なし」
「第一駆逐艦より、艦内より撤退開始の報告」
「第二、第三駆逐艦は後退しつつ第一駆逐艦からの避難兵の収容を優先、補給艦はドームからの人員引き上げを開始。終わり次第、この海域からの撤退を開始する!」
 逃がしてくれればの話だがな。
 苦渋の表情で、大佐は命令する。
 民間人も多く今回の作戦には参加している。これ以上粘って壊滅するよりは、逃げることを考えた方がまだ生き残る可能性が高そうだった。
「報告! 敵艦より発光確認!」
「なに!? モニターに映せ!」
「雲龍の方にも新たな戦闘発生を確認! モニターに出します!」
 二つのウインドウがモニター上に開く。
 ほんの少し目を離した隙に、ウンディーネは別の船かと思うような変貌を遂げていた。
 鯨を思わせる重厚な姿から、大型の水鳥を思わせる優美なシルエットに。
 完全に雲海上に浮遊した胴体に密着した二つの推進器からは、風にたなびく布のようなエネルギー帯が無数に後方へ伸び、細い船首の一部からも同様なものが伸びている。
 鳥にも似ているし、上から見れば女性的なフォルムにも見えた。
 雲龍の方でも、突然現れた艦載機大の人型機械が、人知を越えた力を振るって立ち回りを演じている。
「戦乙女=Bやはりこちらの混乱に乗して展開したか。相変わらず抜け目のない……。第三砲塔、射撃準備は?!」
「照準外していません」
「照準は大体で構わん、可能な限り撃ちまくれ! 魔女≠ェ来るぞ!」
 
「全操縦権移譲します(ユーハブコントロール)」 
「全操縦権移譲確認(アイハブコントロール)」
 完全に変形を終えたウンディーネの船長席……今は操縦席に変わったそこで、ラキッズは操縦桿を握り直し、宣言する。
「雲海の乙女号(ウンディーネ)、発進!」
 強襲型の艦載機でも不可能な急加速で、ウンディーネは雲海を飛ぶ。
 
 ばんっ!
 雲龍の生体雷撃が空気を震わせる。
 銀色の人型機会「ニケ」は不可視のフィールドでこれを防ぐ。丸い障壁の形が、表面を雷撃がなぞることで浮かび上がる。
 雷撃そのものは防げても衝撃そのものは殺せなかったのか、少し弾かれて距離が開くが、空中で静止したニケは、両手に緑色の光をまとわせてまた雲龍に突撃する。
 巻き込まれないように充分距離をとって、ミンスターは呆然とその戦いを見ていた。
 話と資料で知ってはいたが、ここまで圧倒的な力を持っているとは信じられなかった。
【コラ! そこの軍人!】
 いきなり共通チャンネルから聞き覚えのない声が流れてきて、ミンスターは驚く。
「わ、私のことか?」
【そう! あんた、こっちが一生懸命時間稼いであげてんだから、とっとと逃げなさいよ!】
 両手の光も何かの力場なのか、空を殴るような仕草で雲龍の巨体が揺らぐ。
「その銀色の機体のパイロットか」
【そうよ!】
 女、というよりも、女の子と言った方が良さそうな、幼さが残る声だった。
【なんでわざわざ雲龍にケンカ売ってると思ってんの! あんたらが逃げれるようにでしょうが!】
 インファイトを仕掛けている為に、電撃以外の強力な攻撃はできていないが、それでもニケの攻撃で雲龍が痛打を受けている様子もあまりない。
 さすがに捕まるといけないと思っているのか、ニケも細かく飛び回り撹乱しているが、ニケそのものはともかく、雲龍が逃げたり動けなくなったりするより、操縦者の集中力が先に切れそうな雰囲気だ。
【あんた偉い人なんでしょ? 早く部下の人連れて逃げなさいよ!】
 その一言で、ミンスターのプライドよりも責任感の方が勝った。
「恩に着る」
 短く礼を言って、ダイバー形態に可変したミンスターのポルテルは戦場を離脱した。
 
「も〜〜、軍人さんって面倒くさいったら」
 セシリーはニケの操縦席で溜息をついた。
 ニケの操縦席は、艦・船載機に比べると、全体的に有機的な雰囲気で、パーツの繋ぎ目がほとんど見あたらない。
 内壁のほとんどがモニターで、操縦席が空に浮かんでいるような光景だ。
 操縦用のデバイスや操縦席そのものから、大量のコードやケーブルが伸びて、セシリーの両手足とヘッドギアに繋がっていた。そのケーブル類やヘッドギアだけが後付けのものらしく、統一感に欠けている。
【うまい説得だったと思いますよ。彼女は下手な言い方をすると意固地になりますから】
「そこまで考えて言ったわけじゃないけどね」
【それはいいけど、手ぇ抜いてねぇ? こいつ、少し傷つけてやれば、逃げていくと思うんだけど】
「なによ、レオ。文句あるの?」
【いんや。ニケだって、活動時間に制限あるだろ? なるべく早めにカタつけたほうがいいんじゃないかと思ってさ】
「だって、トリンさんの話だと、この子お母さんでしょ。あんまり傷つけたりとかしたくないんだもん」
 年齢相応の表情で唇と尖らせるセシリー。
【雲海広しといえども、雲龍をこの子呼ばわりするのは、セシリーくらいのものでしょうね】
【しょーがねーな。フォローするから、ギリギリまで時間稼ぐか】
 呆れたような返答ではあるが、レオとピースも反対ではないようだ。
「二人とも、ありがと」
 素直に礼を言って、セシリーは再度雲龍に向かっていった。
 
「敵艦、高速で接近中。迎撃ラインに入りました」
「雲龍の方は取りあえず構うな、第一砲塔もウンディーネを狙え! 機雷はどうなっている?」
「敵艦予想進入経路に展開終了しています」
「主砲、指示を待たなくて構わんし、機雷原も無視して構わん、撃ちまくれ!」
 
 ウンディーネの操縦席にアラートが鳴り響く。
 凄まじい速度でシムルガムルの主砲の一撃が後方に流れていく。
 慣性のほとんどはシステムでキャンセルされているが、操縦感覚を残す為、かなりの慣性がブリッジを襲う。  
 発進の勢いでシートに押しつけられていたトリンは、慣性重力と、次々に飛んでくる艦砲射撃のプレッシャーに堪えきれず、目を回して失神した。
 
 次々に飛来する砲弾の雨を、緻密な操縦でくぐり抜けていくウンディーネ。
 そのあまりの軽快さに、それが中型船舶の大きさであることを忘れてしまいそうだった。
 横並びで飛来する砲弾をバレルロールで避けながら、さらに侵攻。
「機雷原に接近します」
「主砲、発射準備」
「了解。エネルギー充?まで三秒」
 短く素早いやりとり。
 ウンディーネ左右の推進器の前に、光球が二つ膨れあがる。
「充?完了」
「撃(て)っ!」
 光球から縦横無尽に光の帯が伸びる。
 無数の光の帯は、シムルガムルからの艦砲射撃で断続的に小爆発が起こっている機雷原へ向かった。
 連鎖的に爆発が起こる。
「再充填開始、充填状態で待機」
「了解」
 その爆発の中心に向けてウンディーネは速度を上げた。
 
「敵艦より攻撃確認!」
「機雷原に着弾確認、機雷原一部消滅!」
「敵艦、消滅部分より侵攻。速度が速すぎて、機雷の再集結間に合いません!」
「対空砲塔迎撃準備、主砲は射撃を続けろ!」
「敵艦、真っ直ぐ突っ込んできます!」
 モニターに、真正面の姿を見せたまま、シムルガムルに向けて侵攻してくるウンディーネの姿が映る。
「なにをするつもりだ……?」
 まさか体当たりするつもりではないだろう。圧倒的に火力は向こうが上であるし、体当たりなどという捨て身の海賊戦法などなんのメリットもない。
「敵艦より射撃!」
「総員衝撃防御!」
 大佐が言い終わる前に着弾。衝撃。
「ぬ……。損害報告!」
「ちょ、直撃弾ありません!」
「なんだと?」
「敵艦からの攻撃は、周辺の海面に着弾したようです! 他艦にも被害ありません! ですが、多量の雲が巻き上げられた為、光学観測はほとんど不可能な状態です!」
「レーダー管制、敵艦の位置は?!」
「そ、それが……」
「報告!」
「き、消えました……」
「なんだと?!」
「熱源探査にも、エコー探査にも引っかかりません。計器上から完全に消えました……」
 そこまで完璧に姿を消せるなら、光学的にも姿を消しているだろう。そうでなくとも、エコーに引っかからないなら、雲海に潜られれば見つける方法はほとんどない。
「……っ!!」
 怒りに任せて、大佐は軍帽とインカムを床に叩きつけて、呪詛を込めて吐き出した。
「魔女≠゚っ……!」
 
         2
 
「ステルス正常に稼働中。これで、しばらく発見の心配はないでしょう」
「うむ」
 デバイスを外したフィーは、失神したままのトリンの様子を見る為に席を立った。
「気絶してるだけですね。しばらくすれば目を覚ますでしょう」
「彼女には気の毒だったな」
「本当に」
 う〜〜ん、と眉間に浅い皺を寄せて呻くトリンに小さく笑いながら、座席のヘッドレストを引き出し、背もたれを倒して楽な姿勢にしてやる。
 ほんの少しの沈黙が流れる。
 奇妙に長く感じられる時間を破って口を開いたのはラキッズ。
「……行くか」
「……はい。ここまて近づけば、『跳躍(とべ)』ますので」
「そうか……」
 ラキッズは船長帽のつばを引き下げて視線を遮った。
 濃密な沈黙が落ちる。
 なにか、一言だけでも言ってくれればいいのに。
 なにも言わないことが、この人の優しさなのだとわかっているが、それでも……そう思ってしまう。
 マルチディスプレイを外したフィーが、ひっつめた髪からピンを一本抜くと、今までまとめていたのが嘘のように、さらりと真っ直ぐに滑り降りる。
 そして、金髪だった髪が、滑り降りる途中で根本から透き通った水色に変わっていった。
「ラキッズ……」
 マルチディスプレイを自分の席へ置きに戻ったフィーは、万感の感謝と親愛を込めてラキッズに目を向けた。
「……ありがとう」
 ゆっくりと小さな蛍火が、いくつもフィーの回り始め、その輝きが一瞬強くなったかと思うと、もうブリッジからフィーの姿は消えていた。
「いったか……」
 入れ替わりに、ドムギルがブリッジに入ってきた。
「はい」
「で、これからどうする?」
「すぐに脱出します。申し訳ありませんが、少しの間管制をお願いします」
「待たねぇでいいのか?」
「そういう、約束でしたから」
「……そうかい」
 それ以上、ドムギルは重ねて訊かなかった。
「ま、あれだ」
 フィーの席にあるマルチディスプレイをケースに入れてしまいながら、ぼつりと言う。
「オレは、お前さんみたいに、強くも誠実でもなくて良かったよ」
 その声には嫌味は皮肉もなく、いたわりが込められていた。
「……どういう意味でしょう?」
「いや……」
 曖昧に言葉を濁すドムギル。
 しばしの間。
 堪えきれなくなったのか、ラキッズが口を開く。
「他人が、踏み込んではいけない領域というものが、ある、と思うのです」
「あるな」
 あっさりと認めて、管制席に腰を下ろす。
「フィーが他人だったとは、たった今知ったがな」
「ドムギルさん……」
 困り果てた顔で、ドムギルの後ろ姿に目をやるラキッズ。
「お前さんが何に義理立てているのかは、わざわざ訊かねぇがな。それが必要なもん同士、寄り添うことが悪(わり)ぃとはオレには思えねぇがな」
「……」
「もう少しオレみたいに、狡くて卑怯モンになれよってこった」
 振り向いて、にやりと笑う。
 ラキッズは苦笑いしながら、船長帽を直して言った。
「……覚えておきますよ」
 
 ドームの中の作業場は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
「バンガス博士、退去命令が出ています! 早く準備を!」
「何だね、うるさイネ。逃げるなら勝手に逃げればよかロウ。今良いところなのダヨ」
 作業員や学者らしき人間達が大慌てして補給船への避難と、最低限の機材の回収をしているというのに、バンガスは我関せずと機材に埋もれて作業をしていた。
 雲龍の専門家ということで連れてこられ、まさか雲龍を追っ払えという無茶を言われると思っていなかった青年だが、今は避難行動を積極的に手伝っている。デスクワークの多い周りの学者連中より遙かに役に立っているようだ。
「雲龍は止まっているようですが、魔女≠ェ近海に入ったらしいですし、そうでなくても、雲龍にやられた駆逐艦がここの上に……」
 青年が言いかけたところで、ドーム内に凄まじい衝撃と振動が襲う。
 反射的に伏せた青年は、騒ぎが一段落つくのを待って、ドームの天井を見上げる。
「うわ……」
 一瞬言葉を失う。
 乗員が避難を終え、エンジンが暴走状態に陥っていた駆逐艦が、ドームの天井に乗っていた。
 それでも、ドームが破られなかった事に対する驚きと、いつそれが落ちてくるかわからない恐怖が、青年の中でない交ぜになる。
 驚くことに、その騒動でも、全く伏せたり怯んだりした様子のないバンガスが、ちらりと天井を見上げる。
「まだ駆逐艦のB・Bは生きてるようダネ。まだしばらくは落ちてこんだロウ」
 天気の話をしているようにあっさり言って、すぐにディスプレイに目を戻す。
 その瞬間、バンガスの目の前にある端末がピーーという長い電子音を吐き出した。
「お、プロテクトが解けたみたいダネ。おい、君。作業用の船載機を呼んで来たマエ。これでこいつは見た目よりも軽くなったから、船載機の何機かで動かせるはずダヨ」
 周辺で走り回っている人々が見えないのか、相変わらず自分勝手な要求をしてくる。
 どうやってこの男に今の状況を理解して貰うか青年が考え込んだ瞬間、重く、大きく、力強い、唸り声と巨大な機械の作動音を合わせたような音が、ドームに響き渡った。
 突然バンガス正面の端末がブラックアウトし、軽い爆発音がして巨大人型機械の背部に接続されていたケーブル類が、まとめて地面に落ちる。
 圧搾空気が漏れる音と共に、人型機械のフェイスガードと頭部装甲の間から、ほのかに桃色に色づいた、腰まで届く髪の毛のような繊維がこぼれ落ちた。
 まるで長い眠りから覚めたように、人型機械から低い唸りが断続的に漏れる。
「随分と遅かったですな、教授(プロフェツサー)。十年以上のご無沙汰でしタネ」
 急に大きな声で何者かに語りかけたバンガスに驚きながらその視線をたどると、俯いた人型機械の首の辺りに髪の青い、若い女が現れていた。
「バンガス博士」
 さほど大きな声ではないが、女の声は喧噪の中、はっきりとバンガスまで届いた。
「これ以上、ガイアには触れさせません」
「やはり、これは創造神の一柱でしタカ」
「……これは、神などではありません」
「解っていまスヨ。巷間にそう言われてるというだけデス」
 短いその会話を聞いていた青年は、違和感に首を捻った。
 傍若無人を絵に描いたようなバンガスが、孫ほど年の離れた女に敬語を使っている。
 それに教授(プロフェツサー)とは?
 訊いても教えてくれないどころか、罵られて終わりと解っているので、青年は黙ってみていることにした。
「これを手に入れて、どうするつもりだったのですか?」
「別になニモ」
「……また、大戦の時のような悲劇を呼ぶつもりですか?」
「おや、これは異なこトヲ。あの兵器を元々作ったのは、教授(プロフェツサー)ではないでスカ。ワタシはそれを使えるようにしただけでスヨ」
「…………」
 痛いところを突かれたのか、女は唇を噛んで俯く。
「どうすると、お訊きになりましタネ?」
 その女の態度に満足したのか、それともどうでもいいのか、バンガスは話を戻した。
「なにを、という目的などありませンヨ。強いて言えば、できることをしないでいるのは気持ちが悪い、というだけのことデス。解ける謎があるなら、説いてみタイ。というのは、学問の徒として当たり前の姿勢ではないでスカ?」
 端でその言葉を聞いていた青年は、初めてこの奇人に共感を持った。程度の差はあるにせよ、それは青年にとっても共感できるものだった。
「そして、それは人間の性(さが)でもあると、ワタシは思っていマス」
「……否定はしません。ですが」
 女は、伏せていた視線を上げて、真っ直ぐにバンガスを見た。
「放っておけば失われるであろう命を、何もせずに見逃すなど、私にはできません」
「フム」
 興味深そうに女の態度を眺めていたバンガスは、少し首を傾げた。
「少し、お変わりになられましたかな、教授(プロフェツサー)? まあ、十年以上も経っていますシネ」
 バンガスはスタスタと機材の側に歩み寄り、薄い箱状の記録媒体を取り出す。
「これはね、プロテクト解除の作業と平行して、コピーしておいたデータデス。なにがどこまで入っているかも解らないし、そもそも中身の解読は今のところワタシ以外の誰にも不可能でショウ。その解読にどれだけ時間がかかるかも判らナイ。だが、これは貴女にとって、危険と判断できるものではありませンカ?」
 女の顔が、一瞬強ばった。
「ワタシを、殺しまスカ? 教授(プロフェツサー)」
 バンガスの顔には、なぜか嘲笑も皮肉も浮かんでいない。青年が初めて見る真剣な顔だった。
 女もまた、同じように真剣に言葉を返す。
「……貴方もまた、人間です。貴方の命も、簡単に失われていいものではありません」
「ワタシを恨んではいないのでスカ? 断罪したくはないでスカ?」
 女はほんの少しの自嘲を込めた笑いを浮かべる。
「私に、人を断罪する資格などありません」
「それはちガウ」
 きっぱりとバンガスは言った。
「もしも、我々人類が断罪されるのであれば、その権利は貴女にしかナイ。貴女にないならば、他の誰にもナイ。ワタシはそう思っている。貴女がそうしたいのならば、ワタシは黙ってその断罪を受け入れまショウ」
 それは、驚くほど真摯で敬虔な響きを持った言葉だった。
 バンガスは奇人で道徳の感じられない男であるが、不必要な芝居をするほど愚かではない。
 おそらくその言葉は、確かに本心から出た言葉なのだろう。
「少なくとも、貴女はそれができるだけの力を取り戻シタ。ワタシは貴女の決定を尊重スル」
「……覚えておきます」
 複雑な表情で女が答えたその時、ドームの天井で爆発が起き、剥がれた駆逐艦の装甲が、バンガスのいる辺りに降ってくる。
「博士、危ないっ!」
「うオッ」
 危険を察知した青年に、白衣の襟首を掴まれて引き倒され、さすがのバンガスも少し驚いたようだ。
 一瞬前までバンガスのいた辺りには、装甲板突き刺さり、機材も押しつぶされている。
 見上げると、小爆発を繰り返す駆逐艦が、もうドームに半分くらい進入してきていて、接触面からは雲が流れ込み始めている。
「思ったよりも早イナ。ああそうか、アレからの干渉波のせイカ」
 起動状態の人型機械を眺め、のんびりと分析しているバンガスに、青年は青筋を立てた。
「一緒に逃げますよ、博士! 逃げますからね!」
「ウム。異論はなイヨ。ただ一つ頼みがアル」
「なんです?」
「ワタシはあまり走るのが得意でナイ。考慮してくれると有り難いのダガ」
「……ああ、もう!」
 雲はどんどん流れ込んできている。それでなくても、いつ駆逐艦が落ちてくるか判らない。議論するだけ無駄である。
 まさしく火事場の馬鹿力を発揮した青年は、バンガスを背負うと、脱兎の勢いで補給船に向けて走り出した。
 
        3
 
 走り去っていく青年達を見送り、ドーム内を見回す。
 逃げ遅れているものはいないようだ。
 いつ駆逐艦が落ちてくるかわからない状態だというのに、現場に残って作業していたのはバンガスだけで、そのお守りのような青年と二人が避難すれば、それで避難は終了だった。
 確認を済ませて、ガイアの顎下、胸上の装甲板にそっと触れる。
 すると、繋ぎ目が全く見えなかった表面がスライドし、その下の多重装甲が開花するように開いていった。
 深呼吸して、その中に入る。
 内部環境維持のシステムは、随分前に復帰していたのだろう。ガイアのコクピットから流れ出る空気はほどよく乾いていた。
 コクピットに辿り着くと、背後の装甲が順次閉まっていく。
 改めて、パイロットシートを見る。
 誰もいない。
 近づいてみると、懐かしいパイロットスーツが、シートの足下にわだかまっていた。
 そっと持ち上げると、袖と裾から、わずかに埃のようなものが滑り落ちた。
 彼≠セったものの残滓。
 彼が生命活動を停止した後、復帰した内部環境維持システムによって異物と判断されたその身体は、少しづつ分解されてシステム維持のエネルギーの一部となったのだ。
 心のどこかが麻痺したまま、パイロットスーツを胸に抱き、シートに座る。
 すると自動的にモニターの一つに灯が入った。
「え……? メッセージ……彼の?!」
 驚きに身を乗り出す。
 不安と期待が胸の中を交互に回る。
 モニターに映し出されたのは、ほんの短いメッセージだった。
 
 生きとし生けるものが、幸せでありますように。
 
 人々の為に戦い、人々の為にその命を捧げた彼が。
 閉じ込められて、一人死にゆく彼が。
 最後に願った言葉。
「……どうして……」
 震える唇から、呟きが溢れる。
 こんなにも。
 こんなにも、人々を愛した彼が。
 なぜ、こんなに寂しいところで、一人死にゆかねばならなかったのだろう。
 長い時を越えた想いは、虚空へ吸い込まれていくだけだ。
「貴方の為に……」
 ぽろり、と大粒の涙が頬を伝う。
「もう一度だけ、泣かせて下さい…………」
 パイロットスーツを抱きしめて、声を殺さずに嗚咽を上げる。
 それだけが、彼への手向けだった。
 
 天井が完全に消失し、ドーム内に落ちてきた駆逐艦が爆発。
 ドームは完全に消滅した。  
 
        **********
 
 曇天から、絶え間なく冷たい雨が降っている。
 通りを行き交う人々の表情は一様に暗く、つい最近終戦を迎えた大戦から解放された喜びなど微塵も感じられなかった。
 あるのは、ただ疲れ切り、立ち上がって歩き出す気力すら振り絞れない、人の群れだ。
 ほんの半年前、この都市である戦略兵器が使用された。
 当時、人口一千万を数えた都市は、その兵器によって八割が消滅した。
 文字通り、そこに人や街があったことなど、事実そのものが無かったようになった。
 そのあまりの威力と被害に、終戦協定の席でその使用と所持に制限を作ることがなによりも優先されたほどだ。
 結果、おそらく今後戦争において同様の兵器が使われる可能性は減ったが、だからといって失われたものや、人々の命が帰って来るわけでもない。
 生き残った人々は、残った二割で生活を続けたが、その兵器がもたらした恐怖と絶望は、雨雲よりも厚く都市を覆っていた。
 通りには、何をするでもなく、ただボロをまとって道端に座り込む者が大量にいた。
 物乞いではない。
 ただ彼らは絶望に挫かれ、立ち上がることもできずにいるだけだ。
 そんな人々の群に埋もれ、女の姿をしたそれも絶望に打ちひしがれていた。
 その兵器によって、何かを失ったのではない。
 その兵器を生み出したのはそれだった。
 大きな力があれば、果てしなく広がっていく戦火を止められるのではないか。
 そんな甘い考えが生み出してしまった悪魔の兵器だったが、できあがって初めて自分の考えの浅さに気付いたそれは、兵器に厳重な封印とプロテクトをかけて姿を眩ませた。
 だが、お互いを傷つけ合うことに執念を燃やす一部の人々は、執拗な研究と異常な物量を投じて、不可能だったはずのその兵器を解放してしまった。
 そして、悲劇が起こった。
 それは、自らが招いた災厄の惨たらしさに絶望し。
 同じ人類に対して、不可能を可能にするほどの執念を傾ける人類そのものに絶望し。
 遙かに過ぎ去った過去に交わされた約束に縛られ、消えることもできない自分に絶望し。
 取り巻く状況に対し、なんら有効な手を持たない己に絶望していた。
 残された人々に、この災厄は自分の責任なのだと訴えてみても、ただの物狂いと思われるだけで、相手にもしてもらえなかった。
 立場を捨てて逃げてきた自分に、人々に施すことのできるなにものも無い。
 誰より濃い絶望を背負ったそれには、同じく絶望に囚われた人間ですら近づくのを躊躇った。
 冷たい雨に打たれながら、それは動かずにいた。
 誰か、終わらせてくれないだろうか。
 そんな甘えたことを考えてみる。
 自ら終わらせれば、託された願いを裏切ることになる。
 この期に及んでも、それだけは嫌だった。
 だが、その気持ちこそが、それの動きを最も封じていた。
 どれだけそうしていただろうか、気がつくと目の前に二人の男が立っていた。
 一人は、ヒゲを生やした体格のいい壮年の男。機械油が染みた手を見る限り、技術者だろう。
 手前にいる男はまだ若く、雨具の隙間から見えるのは軍服だ。この辺りを武装もせずにうろついていると言うことは、復員兵だろうか。余程大事な物なのか、両手で布の包みをしっかりと抱いている。
 まだ三十にはなっていないだろう若さの残る顔には、疲労と深い哀しみ、それと微かに決意の色が見えるような気がした。
 私を責めにきたのだろうか。
 何の根拠もなく、そう思い。思わず怯えて逃げそうになる。
 一時は責められる事を望んでいたのに、自らの身勝手さに心が腐り落ちてしまいそうだった。
 それが身じろぎしていると、目の前に若い男の方がしゃがみ込んだ。
「私は、この戦争で大切なものを多く失ったしまった」
 静かだが深い哀しみのこもった口調に、思わず「ごめんなさい……」と小さな声で口走る。
 若い男は、その呟きが耳に入ったのかどうか。構わず言葉を続けてきた。
「だが、残されたものもある」
 その時、男か抱えた包みが、もぞりと動いた。
 布の塊の中から顔だけを覗かせたのは、まだ幼い赤ん坊だった。
 その瞳と目があった瞬間、それは強い羞恥心に襲われた。
 世界に生まれてきたばかりの存在に、自分のように汚れた存在はどのように映るのだろう。
 だが、その赤ん坊はそれの顔を見て笑顔を浮かべた。
「残されたものの為に、船を手に入れようと思っている。忙しくなるだろう。女手が必要だ」
 それの耳には、若い男の声はほとんど届いていなかった。
 ただ、魅入られたように赤ん坊を見つめていた。
 あーー……
 声とも鳴き声ともつかない音を発して、赤ん坊が突然それに手を伸ばした。
 あまりにも唐突だった為、若い男も反応が遅れた。
 男の腕から、布にくるまれた赤ん坊が転がり落ちる。
 無意識に差し伸べたそれの腕の中に、すっぽりと赤ん坊が収まる。
 強烈な拒否感と、投げ出してはいけないという義務感に、それは一瞬金縛りにあう。
 だが、投げ出されかけた赤ん坊は泣きもせず、さらに笑ってそれの埃と泥と垢で汚れた顔に手を伸ばした。
 笑いながらペタペタと自らの顔を触ってくる赤ん坊を、優しく、恐る恐る、壊れないように、そっと抱き寄せた。
 不愉快で愛しい。
 命の臭いを。
 命の感触を。
 命の重みを感じた。
 あの人が守りたかったものの正体を、初めて知った気がした。
 私は今まで何を見てきたのだろうか。
 ただ言葉に縛られ、なにも理解しようとしてこなかった。
 気がつけば、両目から涙が溢れていた。
 それは、自分が泣くことができるのだと、その時初めて知った。
 そして、自分が犯した罪は、自らが思うよりも、遙かに重いものなのだということを思い知った。
 濡れた地面にへたり込み、まるで抱いた赤ん坊に縋りつくように、それは大きな声で泣いた。
 それは産声でもあったのかもしれない。
 その時から、それそれで無くなった。
 
 曇天は、いまだ雨を降らせ続けていた。
 だが、止まない雨などない。
 必ず晴天は、やってくる。
 
        **********
 
エピローグ
 
「う〜〜ん……暇だな……」
 港に停泊したウンディーネの甲板に、例によってリクライニングチェアを引っ張り出したレオは、盛大なアクビと伸びをして呟いた。
「昨日帰港したばかりでしょうに。それほど暇なら、たまには勉強かシミュレーションでもしてみたらどうです?」
 珍しくレオの隣に同じセットを置いて読書をしていたピースが、本の向こうから言ってくる。
 よく晴れ渡った午後の昼下がり、学問都市に帰ってきた雲海の乙女号は、次の仕事が決まるまで開店休業状態だ。
「いや、せっかくの空いた時間だしさ。なんかするのも勿体ないような気が」
「我が儘ですね。……そういえば、貴方に訊こうと思ってたんですが」
「なに?」
「いえ、ミンスター中尉との戦闘ですが。撃墜しようと思えば、貴方ならできたのでは。わざわざ危険な真似をしなくても良かったのではないですか?」
「なんだ、そんなことか」
 ボリボリと面倒くさそうに頭をかいて、レオは答えた。
「いや、あの姉ちゃん、な〜〜んか誰かに対する八つ当たりでオレに向かってきてたみたいだからさ。下手に撃墜したら、オレが恨まれそうな気がしたし。お前も、怪我とかされたら寝覚め悪かったんじゃねぇ?」
 レオの指摘に、ピースは少し目を丸くした。
「君にそういう気が使えるとは意外でしたね……」
 かなり本気が入ったコメントに、レオは口を尖らせる。
「オレだってなにも考えないでやってるわけじゃねえよ。また遭うことがあったら、お前が相手してくれよ。面倒くさいから」
「心がけておきましょう」
 ピースが笑いながら答えると、ほんの少し間が空く。
 雲海を渡る風が、心地よかった。
「なあ」
「なんです?」
「フィーさん、もう戻ってこねぇのかな?」
「……なんでそう思うんです?」
「だってさ、今回の件って、フィーさんが長いことかけて探してたモノっぽかっただろ。だから、ひょっとしたら目的を果たして、このまま船降りちまうんじゃないかって思ってさ……。なんか朝飯ン時の船長の話じゃ、乗員が一人増えるみたいじゃん。フィーさんの代わりなのかなって」
「そうだとしても、それがフィーさんの選択なら、我々が口を出すべきではないでしょうね」
「なんかそういうの、イヤだな。オレはこの船のみんな、家族だと思ってるからさ」
「さらっと恥ずかしいことを言いますね。なら尚更口を出すべきではないと思いますよ」
「なんでだよ」
「家族として、同じ家族の選択を尊重すべきだからですよ。もしも、フィーさんが船を降りることを選択したとしても、それで一度家族になったものが、そうでなくなるわけでもありませんしね」
 戯けた顔で肩を竦めるピース。
「お前だって恥ずかしいこと言ってるじゃねえか」
「きっとレオのが感染(うつ)ったのでしょう。バカは感染するそうですから」
「言ってろよ」
 鼻を鳴らしたレオが、港の方に目をやった瞬間勢いよくチェアから立ち上がった。
「ピース、行くぞ!」
 突然走り出したレオに、ほんの少し怪訝な顔をしたピースだったが、レオが見た方を見て、こちらも慌てて甲板を後にした。    
 
「お帰りなさい!」
 桟橋を歩いてくる途中のフィーの胸に、セシリーが飛び込んだ。
「はい、ただいまセシリー」
 危なげなく小柄な身体を受け止めて、フィーは微笑んだ。マルチディスプレイはかけていないが、いつものように金髪を小さくまとめ、ブラウスにタイトスカート姿だった。
「セシリーちゃんは甘えんぼさんだねぇ。桟橋で暴れると危ないよ?」
 その光景を眺めて微笑ましげ言ったのは、先日学園に戻ったはずのトリンだった。
「あっれ? トリンねーちゃんどうしたの?」
「すぐそこで遇いまして、一緒に来たんですよ」
 セシリーと手をつないでウンディーネまでやってきたフィーがレオに説明する。
 トリンは曖昧な笑顔を浮かべて頭を掻いた。
「えーーっとね、とりあえず、これからよろしくね」
「はい?」
「ひょっとして、今朝聞いた新しい乗組員とは、トリンさんのことですか」
「うん。昨日戻ったら、ちょうどミソノ教授が戻ってきててね。『なんか面白い体験した顔してるね。話しなさい』って言われてね。黙ってられなくなっちゃって……」
 一応、今回の航海であったことは知らぬ存ぜぬで通すことに決まっていたのだが。
「で、こういうものを渡されたの」
 そういって、ツナギの胸ポケットから、そこらのチラシの裏に殴り書きされた、辞令書を取り出す。マリヤ・ミソノと乱暴にサインされて拇印が押してあった。
「昨日の夜にえらい剣幕で電話が来てな」
 盛大に苦笑いを浮かべたラキッズが、ドムギルを連れてウンディーネから出てきた。
「うちの可愛い教え子(トリス)を危ないことに巻き込みやがって! 責任取ってしばらく面倒見ろ! という事だったな」
 さほど高い確率ではないが、今回の事に同席したことで、トリンが連邦軍諜報部あたりのちょっかいを受ける可能性は確かにあった。
 だが、学園の中にいればさすがの軍も手出しはできない。おそらくミソノ教授は、これを機会に、トリンの見聞を広めてやろうと思ったのだろう。
「ミソノさんも、相変わらずお元気そうで何よりだ」
「もうしわけありませんでした、お恥ずかしい」
 笑顔のラキッズに、赤面するトリンだった。
「船長」
 柔らかい表情で、フィーはラキッズに声をかけた。
「ただいま帰りました。乗船の許可をお願いします」
「許可する。ご苦労だった」
 ラキッズも正面からフィーを見つめ、優しい目付きで頷いた。
 短いやりとりだったが、そこには言葉以上のやりとりがあった。
「これでトリンさんにまた勉強教えてもらえるね!」
 セシリーが嬉しそうに、手を叩く。
「うん。教授にも、将来有望なのがいたら、洗脳して土産にもってこいって言われてるしね」
「また物騒な事を言ってますね……」
「トリンねーちゃんの先生に、あってみたいような、絶対イヤなような」
「さ、今日の夕方は、今回の仕事の打ち上げと新しい乗組員の歓迎会だ。少し豪勢なところで夕飯にしようか」
「やった!」
「あたし辛いのがいいな」
「この前の店は肉料理美味しかったのですが」
「オレは美味い酒があればそれでいい」
 それぞれに勝手な事を言いながら、ウンディーネへと戻っていく。
「戻ってきたばかりで申し訳ないが、店の予約を頼めるか?」
「はい」
 ラキッズの頼みに笑顔で頷くフィー。
 そっとその側に近づきながら、小さな声で言う。
「ラキッズ……ガイアは、誰の手にも届かない、見つけられない場所に隠してきました」
「……そうか」
「完全に処分してしまおうかとも思ったのですが……。いつか、あれの力が必要になることがあるかもしれません」
「そうだな……」
「ラキッズ」
 真剣な目で、ラキッズを見つめる。
「本当にありがとう。お陰で彼を弔うことができました。感謝しても、しきれないくらい」
「いや……オレがやりたくてやったことだ」
「ラキッズ……」
 吸い寄せられるように、お互いの視線が絡まった。
 濃密な沈黙と、雲海を渡る風が二人を撫でる。
「ねーー! お父さーーん! フィーー! お茶入れるよーー、早くーー!」
 突然割り込んできたセシリーの声に、その繊細な空気は流されていった。
「今行きます!」
 答えたフィーの視線がラキッズの視線とぶつかり、どちらともなく微笑む。
 ウンディーネの入り口ではレオに小突かれたセシリーが、反撃の蹴りを見舞っているところだった。
 
 雲海は今日も晴れ渡り。
 銀色の乙女は、遙か水平線を望んでいた。
 
 
 
 
 
 
                                       終
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