act.4 雲海の乙女
 
 1
 
「回頭しつつ、高速巡航形態へ移行!」
 ニケの射出を終えてすぐ、ラキッズが指示を出す。
「了解。亜空間錨解除、回頭しつつ高速巡航形態へ移行します」
 ブリッジの風景は元の向きに戻りつつも、船体の船尾が正面に向けられる。
 それと同時にブリッジの位置が下がったような感触がトリンにはした。
「???」
 どうやらブリッジ部分が180度回転しながら船体に収納されたようだ。丁度フィギアヘッド射出前と後で、前後が入れ替わったことになる。
 トリンは気がつかなかったが、ウンディーネの外から見ると、両脇の推進器も微妙に位置を変え、ウンディーネ自体も雲海面から離水しつつあった。
【出力炉安定。推進器、共鳴運転効率四割】
「エネルギー充填まで秒読み開始」
 機関室のドムギルとフィーから次々と報告。
 その間も、ウンディーネは少しずつ形を変化させていき、船長席のレイアウトも真ん中に突き出た桿以外は、船載機に似たものに変わっていく。
「……3、2、1、充填完了」
「羽衣(ドレス)解放!」
 
 ここまでのものなのか……。
 望遠で自陣の損害を確認しながら、ミンスターは身震いした。
「……圧倒的すぎる」
 雲龍の進路から外れようと動いていた部下達に大きな損害は出ていないのが幸いだったが、このままでは部隊そのものは壊滅を避けられないだろう。
【大丈夫です】
 心が挫けかけたミンスターの耳に、ピースの冷静な声が届く。
「え?」
【来ました】
 その言葉が終わった瞬間、発光体が雲龍に衝突。
 ドラゴンブレスに匹敵する衝撃が巻き起こり、信じられないことに雲龍の巨体がゆっくりと吹っ飛ばされた。
「?!」
 荒れ狂う雲海面に再度翻弄されながら、驚愕に目を見開くミンスター。
 発光体はそのまま空中に静止。まとっていた光が空中に弾ける。
 そこに現れた銀色に輝くその姿は、鎧を着込んだスレンダーな少女に似ていた。
 その背中に、六枚の大きな銀の翼が展開する。
「ウンディーネののフィギアヘッド」
 見覚えのあるその姿に、思わずミンスターは呟く。
「あれが、戦乙女≠ゥ……!」 
 
「損害を報告しろ!」
 雲龍からの攻撃で大きく揺さぶられたブリッジで、膝をついた大佐がインカムに向かって指示する。バランスを崩したのは立ったまま指揮していた大佐だけだが、想像以上の状況に動揺が広がっている。
 そんな中で、大佐の声は多少の落ち着きをもたらし、我に返ったオペレーター達が動きだす。
「各艦状況確認、直撃弾ありません。ですが、攻撃の余波で第三駆逐艦が中破。第一駆逐艦、さらに動力部に損害、自律航行不能。すぐに爆発などの可能性は無いようですが暴走状態です。進路は後方。補給艦は無傷です」
「当艦、第二砲塔中破。他損害なし」
「作業中のドームに損害なし」
「第一駆逐艦より、艦内より撤退開始の報告」
「第二、第三駆逐艦は後退しつつ第一駆逐艦からの避難兵の収容を優先、補給艦はドームからの人員引き上げを開始。終わり次第、この海域からの撤退を開始する!」
 逃がしてくれればの話だがな。
 苦渋の表情で、大佐は命令する。
 民間人も多く今回の作戦には参加している。これ以上粘って壊滅するよりは、逃げることを考えた方がまだ生き残る可能性が高そうだった。
「報告! 敵艦より発光確認!」
「なに!? モニターに映せ!」
「雲龍の方にも新たな戦闘発生を確認! モニターに出します!」
 二つのウインドウがモニター上に開く。
 ほんの少し目を離した隙に、ウンディーネは別の船かと思うような変貌を遂げていた。
 鯨を思わせる重厚な姿から、大型の水鳥を思わせる優美なシルエットに。
 完全に雲海上に浮遊した胴体に密着した二つの推進器からは、風にたなびく布のようなエネルギー帯が無数に後方へ伸び、細い船首の一部からも同様なものが伸びている。
 鳥にも似ているし、上から見れば女性的なフォルムにも見えた。
 雲龍の方でも、突然現れた艦載機大の人型機械が、人知を越えた力を振るって立ち回りを演じている。
「戦乙女=Bやはりこちらの混乱に乗して展開したか。相変わらず抜け目のない……。第三砲塔、射撃準備は?!」
「照準外していません」
「照準は大体で構わん、可能な限り撃ちまくれ! 魔女≠ェ来るぞ!」
 
「全操縦権移譲します(ユーハブコントロール)」 
「全操縦権移譲確認(アイハブコントロール)」
 完全に変形を終えたウンディーネの船長席……今は操縦席に変わったそこで、ラキッズは操縦桿を握り直し、宣言する。
「雲海の乙女号(ウンディーネ)、発進!」
 強襲型の艦載機でも不可能な急加速で、ウンディーネは雲海を飛ぶ。
 
 ばんっ!
 雲龍の生体雷撃が空気を震わせる。
 銀色の人型機会「ニケ」は不可視のフィールドでこれを防ぐ。丸い障壁の形が、表面を雷撃がなぞることで浮かび上がる。
 雷撃そのものは防げても衝撃そのものは殺せなかったのか、少し弾かれて距離が開くが、空中で静止したニケは、両手に緑色の光をまとわせてまた雲龍に突撃する。
 巻き込まれないように充分距離をとって、ミンスターは呆然とその戦いを見ていた。
 話と資料で知ってはいたが、ここまで圧倒的な力を持っているとは信じられなかった。
【コラ! そこの軍人!】
 いきなり共通チャンネルから聞き覚えのない声が流れてきて、ミンスターは驚く。
「わ、私のことか?」
【そう! あんた、こっちが一生懸命時間稼いであげてんだから、とっとと逃げなさいよ!】
 両手の光も何かの力場なのか、空を殴るような仕草で雲龍の巨体が揺らぐ。
「その銀色の機体のパイロットか」
【そうよ!】
 女、というよりも、女の子と言った方が良さそうな、幼さが残る声だった。
【なんでわざわざ雲龍にケンカ売ってると思ってんの! あんたらが逃げれるようにでしょうが!】
 インファイトを仕掛けている為に、電撃以外の強力な攻撃はできていないが、それでもニケの攻撃で雲龍が痛打を受けている様子もあまりない。
 さすがに捕まるといけないと思っているのか、ニケも細かく飛び回り撹乱しているが、ニケそのものはともかく、雲龍が逃げたり動けなくなったりするより、操縦者の集中力が先に切れそうな雰囲気だ。
【あんた偉い人なんでしょ? 早く部下の人連れて逃げなさいよ!】
 その一言で、ミンスターのプライドよりも責任感の方が勝った。
「恩に着る」
 短く礼を言って、ダイバー形態に可変したミンスターのポルテルは戦場を離脱した。
 
「も〜〜、軍人さんって面倒くさいったら」
 セシリーはニケの操縦席で溜息をついた。
 ニケの操縦席は、艦・船載機に比べると、全体的に有機的な雰囲気で、パーツの繋ぎ目がほとんど見あたらない。
 内壁のほとんどがモニターで、操縦席が空に浮かんでいるような光景だ。
 操縦用のデバイスや操縦席そのものから、大量のコードやケーブルが伸びて、セシリーの両手足とヘッドギアに繋がっていた。そのケーブル類やヘッドギアだけが後付けのものらしく、統一感に欠けている。
【うまい説得だったと思いますよ。彼女は下手な言い方をすると意固地になりますから】
「そこまで考えて言ったわけじゃないけどね」
【それはいいけど、手ぇ抜いてねぇ? こいつ、少し傷つけてやれば、逃げていくと思うんだけど】
「なによ、レオ。文句あるの?」
【いんや。ニケだって、活動時間に制限あるだろ? なるべく早めにカタつけたほうがいいんじゃないかと思ってさ】
「だって、トリンさんの話だと、この子お母さんでしょ。あんまり傷つけたりとかしたくないんだもん」
 年齢相応の表情で唇と尖らせるセシリー。
【雲海広しといえども、雲龍をこの子呼ばわりするのは、セシリーくらいのものでしょうね】
【しょーがねーな。フォローするから、ギリギリまで時間稼ぐか】
 呆れたような返答ではあるが、レオとピースも反対ではないようだ。
「二人とも、ありがと」
 素直に礼を言って、セシリーは再度雲龍に向かっていった。
 
「敵艦、高速で接近中。迎撃ラインに入りました」
「雲龍の方は取りあえず構うな、第一砲塔もウンディーネを狙え! 機雷はどうなっている?」
「敵艦予想進入経路に展開終了しています」
「主砲、指示を待たなくて構わんし、機雷原も無視して構わん、撃ちまくれ!」
 
 ウンディーネの操縦席にアラートが鳴り響く。
 凄まじい速度でシムルガムルの主砲の一撃が後方に流れていく。
 慣性のほとんどはシステムでキャンセルされているが、操縦感覚を残す為、かなりの慣性がブリッジを襲う。  
 発進の勢いでシートに押しつけられていたトリンは、慣性重力と、次々に飛んでくる艦砲射撃のプレッシャーに堪えきれず、目を回して失神した。
 
 次々に飛来する砲弾の雨を、緻密な操縦でくぐり抜けていくウンディーネ。
 そのあまりの軽快さに、それが中型船舶の大きさであることを忘れてしまいそうだった。
 横並びで飛来する砲弾をバレルロールで避けながら、さらに侵攻。
「機雷原に接近します」
「主砲、発射準備」
「了解。エネルギー充?まで三秒」
 短く素早いやりとり。
 ウンディーネ左右の推進器の前に、光球が二つ膨れあがる。
「充?完了」
「撃(て)っ!」
 光球から縦横無尽に光の帯が伸びる。
 無数の光の帯は、シムルガムルからの艦砲射撃で断続的に小爆発が起こっている機雷原へ向かった。
 連鎖的に爆発が起こる。
「再充填開始、充填状態で待機」
「了解」
 その爆発の中心に向けてウンディーネは速度を上げた。
 
「敵艦より攻撃確認!」
「機雷原に着弾確認、機雷原一部消滅!」
「敵艦、消滅部分より侵攻。速度が速すぎて、機雷の再集結間に合いません!」
「対空砲塔迎撃準備、主砲は射撃を続けろ!」
「敵艦、真っ直ぐ突っ込んできます!」
 モニターに、真正面の姿を見せたまま、シムルガムルに向けて侵攻してくるウンディーネの姿が映る。
「なにをするつもりだ……?」
 まさか体当たりするつもりではないだろう。圧倒的に火力は向こうが上であるし、体当たりなどという捨て身の海賊戦法などなんのメリットもない。
「敵艦より射撃!」
「総員衝撃防御!」
 大佐が言い終わる前に着弾。衝撃。
「ぬ……。損害報告!」
「ちょ、直撃弾ありません!」
「なんだと?」
「敵艦からの攻撃は、周辺の海面に着弾したようです! 他艦にも被害ありません! ですが、多量の雲が巻き上げられた為、光学観測はほとんど不可能な状態です!」
「レーダー管制、敵艦の位置は?!」
「そ、それが……」
「報告!」
「き、消えました……」
「なんだと?!」
「熱源探査にも、エコー探査にも引っかかりません。計器上から完全に消えました……」
 そこまで完璧に姿を消せるなら、光学的にも姿を消しているだろう。そうでなくとも、エコーに引っかからないなら、雲海に潜られれば見つける方法はほとんどない。
「……っ!!」
 怒りに任せて、大佐は軍帽とインカムを床に叩きつけて、呪詛を込めて吐き出した。
「魔女≠゚っ……!」
 
         2
 
「ステルス正常に稼働中。これで、しばらく発見の心配はないでしょう」
「うむ」
 デバイスを外したフィーは、失神したままのトリンの様子を見る為に席を立った。
「気絶してるだけですね。しばらくすれば目を覚ますでしょう」
「彼女には気の毒だったな」
「本当に」
 う〜〜ん、と眉間に浅い皺を寄せて呻くトリンに小さく笑いながら、座席のヘッドレストを引き出し、背もたれを倒して楽な姿勢にしてやる。
 ほんの少しの沈黙が流れる。
 奇妙に長く感じられる時間を破って口を開いたのはラキッズ。
「……行くか」
「……はい。ここまて近づけば、『跳躍(とべ)』ますので」
「そうか……」
 ラキッズは船長帽のつばを引き下げて視線を遮った。
 濃密な沈黙が落ちる。
 なにか、一言だけでも言ってくれればいいのに。
 なにも言わないことが、この人の優しさなのだとわかっているが、それでも……そう思ってしまう。
 マルチディスプレイを外したフィーが、ひっつめた髪からピンを一本抜くと、今までまとめていたのが嘘のように、さらりと真っ直ぐに滑り降りる。
 そして、金髪だった髪が、滑り降りる途中で根本から透き通った水色に変わっていった。
「ラキッズ……」
 マルチディスプレイを自分の席へ置きに戻ったフィーは、万感の感謝と親愛を込めてラキッズに目を向けた。
「……ありがとう」
 ゆっくりと小さな蛍火が、いくつもフィーの回り始め、その輝きが一瞬強くなったかと思うと、もうブリッジからフィーの姿は消えていた。
「いったか……」
 入れ替わりに、ドムギルがブリッジに入ってきた。
「はい」
「で、これからどうする?」
「すぐに脱出します。申し訳ありませんが、少しの間管制をお願いします」
「待たねぇでいいのか?」
「そういう、約束でしたから」
「……そうかい」
 それ以上、ドムギルは重ねて訊かなかった。
「ま、あれだ」
 フィーの席にあるマルチディスプレイをケースに入れてしまいながら、ぼつりと言う。
「オレは、お前さんみたいに、強くも誠実でもなくて良かったよ」
 その声には嫌味は皮肉もなく、いたわりが込められていた。
「……どういう意味でしょう?」
「いや……」
 曖昧に言葉を濁すドムギル。
 しばしの間。
 堪えきれなくなったのか、ラキッズが口を開く。
「他人が、踏み込んではいけない領域というものが、ある、と思うのです」
「あるな」
 あっさりと認めて、管制席に腰を下ろす。
「フィーが他人だったとは、たった今知ったがな」
「ドムギルさん……」
 困り果てた顔で、ドムギルの後ろ姿に目をやるラキッズ。
「お前さんが何に義理立てているのかは、わざわざ訊かねぇがな。それが必要なもん同士、寄り添うことが悪(わり)ぃとはオレには思えねぇがな」
「……」
「もう少しオレみたいに、狡くて卑怯モンになれよってこった」
 振り向いて、にやりと笑う。
 ラキッズは苦笑いしながら、船長帽を直して言った。
「……覚えておきますよ」
 
 ドームの中の作業場は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
「バンガス博士、退去命令が出ています! 早く準備を!」
「何だね、うるさイネ。逃げるなら勝手に逃げればよかロウ。今良いところなのダヨ」
 作業員や学者らしき人間達が大慌てして補給船への避難と、最低限の機材の回収をしているというのに、バンガスは我関せずと機材に埋もれて作業をしていた。
 雲龍の専門家ということで連れてこられ、まさか雲龍を追っ払えという無茶を言われると思っていなかった青年だが、今は避難行動を積極的に手伝っている。デスクワークの多い周りの学者連中より遙かに役に立っているようだ。
「雲龍は止まっているようですが、魔女≠ェ近海に入ったらしいですし、そうでなくても、雲龍にやられた駆逐艦がここの上に……」
 青年が言いかけたところで、ドーム内に凄まじい衝撃と振動が襲う。
 反射的に伏せた青年は、騒ぎが一段落つくのを待って、ドームの天井を見上げる。
「うわ……」
 一瞬言葉を失う。
 乗員が避難を終え、エンジンが暴走状態に陥っていた駆逐艦が、ドームの天井に乗っていた。
 それでも、ドームが破られなかった事に対する驚きと、いつそれが落ちてくるかわからない恐怖が、青年の中でない交ぜになる。
 驚くことに、その騒動でも、全く伏せたり怯んだりした様子のないバンガスが、ちらりと天井を見上げる。
「まだ駆逐艦のB・Bは生きてるようダネ。まだしばらくは落ちてこんだロウ」
 天気の話をしているようにあっさり言って、すぐにディスプレイに目を戻す。
 その瞬間、バンガスの目の前にある端末がピーーという長い電子音を吐き出した。
「お、プロテクトが解けたみたいダネ。おい、君。作業用の船載機を呼んで来たマエ。これでこいつは見た目よりも軽くなったから、船載機の何機かで動かせるはずダヨ」
 周辺で走り回っている人々が見えないのか、相変わらず自分勝手な要求をしてくる。
 どうやってこの男に今の状況を理解して貰うか青年が考え込んだ瞬間、重く、大きく、力強い、唸り声と巨大な機械の作動音を合わせたような音が、ドームに響き渡った。
 突然バンガス正面の端末がブラックアウトし、軽い爆発音がして巨大人型機械の背部に接続されていたケーブル類が、まとめて地面に落ちる。
 圧搾空気が漏れる音と共に、人型機械のフェイスガードと頭部装甲の間から、ほのかに桃色に色づいた、腰まで届く髪の毛のような繊維がこぼれ落ちた。
 まるで長い眠りから覚めたように、人型機械から低い唸りが断続的に漏れる。
「随分と遅かったですな、教授(プロフェツサー)。十年以上のご無沙汰でしタネ」
 急に大きな声で何者かに語りかけたバンガスに驚きながらその視線をたどると、俯いた人型機械の首の辺りに髪の青い、若い女が現れていた。
「バンガス博士」
 さほど大きな声ではないが、女の声は喧噪の中、はっきりとバンガスまで届いた。
「これ以上、ガイアには触れさせません」
「やはり、これは創造神の一柱でしタカ」
「……これは、神などではありません」
「解っていまスヨ。巷間にそう言われてるというだけデス」
 短いその会話を聞いていた青年は、違和感に首を捻った。
 傍若無人を絵に描いたようなバンガスが、孫ほど年の離れた女に敬語を使っている。
 それに教授(プロフェツサー)とは?
 訊いても教えてくれないどころか、罵られて終わりと解っているので、青年は黙ってみていることにした。
「これを手に入れて、どうするつもりだったのですか?」
「別になニモ」
「……また、大戦の時のような悲劇を呼ぶつもりですか?」
「おや、これは異なこトヲ。あの兵器を元々作ったのは、教授(プロフェツサー)ではないでスカ。ワタシはそれを使えるようにしただけでスヨ」
「…………」
 痛いところを突かれたのか、女は唇を噛んで俯く。
「どうすると、お訊きになりましタネ?」
 その女の態度に満足したのか、それともどうでもいいのか、バンガスは話を戻した。
「なにを、という目的などありませンヨ。強いて言えば、できることをしないでいるのは気持ちが悪い、というだけのことデス。解ける謎があるなら、説いてみタイ。というのは、学問の徒として当たり前の姿勢ではないでスカ?」
 端でその言葉を聞いていた青年は、初めてこの奇人に共感を持った。程度の差はあるにせよ、それは青年にとっても共感できるものだった。
「そして、それは人間の性(さが)でもあると、ワタシは思っていマス」
「……否定はしません。ですが」
 女は、伏せていた視線を上げて、真っ直ぐにバンガスを見た。
「放っておけば失われるであろう命を、何もせずに見逃すなど、私にはできません」
「フム」
 興味深そうに女の態度を眺めていたバンガスは、少し首を傾げた。
「少し、お変わりになられましたかな、教授(プロフェツサー)? まあ、十年以上も経っていますシネ」
 バンガスはスタスタと機材の側に歩み寄り、薄い箱状の記録媒体を取り出す。
「これはね、プロテクト解除の作業と平行して、コピーしておいたデータデス。なにがどこまで入っているかも解らないし、そもそも中身の解読は今のところワタシ以外の誰にも不可能でショウ。その解読にどれだけ時間がかかるかも判らナイ。だが、これは貴女にとって、危険と判断できるものではありませンカ?」
 女の顔が、一瞬強ばった。
「ワタシを、殺しまスカ? 教授(プロフェツサー)」
 バンガスの顔には、なぜか嘲笑も皮肉も浮かんでいない。青年が初めて見る真剣な顔だった。
 女もまた、同じように真剣に言葉を返す。
「……貴方もまた、人間です。貴方の命も、簡単に失われていいものではありません」
「ワタシを恨んではいないのでスカ? 断罪したくはないでスカ?」
 女はほんの少しの自嘲を込めた笑いを浮かべる。
「私に、人を断罪する資格などありません」
「それはちガウ」
 きっぱりとバンガスは言った。
「もしも、我々人類が断罪されるのであれば、その権利は貴女にしかナイ。貴女にないならば、他の誰にもナイ。ワタシはそう思っている。貴女がそうしたいのならば、ワタシは黙ってその断罪を受け入れまショウ」
 それは、驚くほど真摯で敬虔な響きを持った言葉だった。
 バンガスは奇人で道徳の感じられない男であるが、不必要な芝居をするほど愚かではない。
 おそらくその言葉は、確かに本心から出た言葉なのだろう。
「少なくとも、貴女はそれができるだけの力を取り戻シタ。ワタシは貴女の決定を尊重スル」
「……覚えておきます」
 複雑な表情で女が答えたその時、ドームの天井で爆発が起き、剥がれた駆逐艦の装甲が、バンガスのいる辺りに降ってくる。
「博士、危ないっ!」
「うオッ」
 危険を察知した青年に、白衣の襟首を掴まれて引き倒され、さすがのバンガスも少し驚いたようだ。
 一瞬前までバンガスのいた辺りには、装甲板突き刺さり、機材も押しつぶされている。
 見上げると、小爆発を繰り返す駆逐艦が、もうドームに半分くらい進入してきていて、接触面からは雲が流れ込み始めている。
「思ったよりも早イナ。ああそうか、アレからの干渉波のせイカ」
 起動状態の人型機械を眺め、のんびりと分析しているバンガスに、青年は青筋を立てた。
「一緒に逃げますよ、博士! 逃げますからね!」
「ウム。異論はなイヨ。ただ一つ頼みがアル」
「なんです?」
「ワタシはあまり走るのが得意でナイ。考慮してくれると有り難いのダガ」
「……ああ、もう!」
 雲はどんどん流れ込んできている。それでなくても、いつ駆逐艦が落ちてくるか判らない。議論するだけ無駄である。
 まさしく火事場の馬鹿力を発揮した青年は、バンガスを背負うと、脱兎の勢いで補給船に向けて走り出した。
 
        3
 
 走り去っていく青年達を見送り、ドーム内を見回す。
 逃げ遅れているものはいないようだ。
 いつ駆逐艦が落ちてくるかわからない状態だというのに、現場に残って作業していたのはバンガスだけで、そのお守りのような青年と二人が避難すれば、それで避難は終了だった。
 確認を済ませて、ガイアの顎下、胸上の装甲板にそっと触れる。
 すると、繋ぎ目が全く見えなかった表面がスライドし、その下の多重装甲が開花するように開いていった。
 深呼吸して、その中に入る。
 内部環境維持のシステムは、随分前に復帰していたのだろう。ガイアのコクピットから流れ出る空気はほどよく乾いていた。
 コクピットに辿り着くと、背後の装甲が順次閉まっていく。
 改めて、パイロットシートを見る。
 誰もいない。
 近づいてみると、懐かしいパイロットスーツが、シートの足下にわだかまっていた。
 そっと持ち上げると、袖と裾から、わずかに埃のようなものが滑り落ちた。
 彼≠セったものの残滓。
 彼が生命活動を停止した後、復帰した内部環境維持システムによって異物と判断されたその身体は、少しづつ分解されてシステム維持のエネルギーの一部となったのだ。
 心のどこかが麻痺したまま、パイロットスーツを胸に抱き、シートに座る。
 すると自動的にモニターの一つに灯が入った。
「え……? メッセージ……彼の?!」
 驚きに身を乗り出す。
 不安と期待が胸の中を交互に回る。
 モニターに映し出されたのは、ほんの短いメッセージだった。
 
 生きとし生けるものが、幸せでありますように。
 
 人々の為に戦い、人々の為にその命を捧げた彼が。
 閉じ込められて、一人死にゆく彼が。
 最後に願った言葉。
「……どうして……」
 震える唇から、呟きが溢れる。
 こんなにも。
 こんなにも、人々を愛した彼が。
 なぜ、こんなに寂しいところで、一人死にゆかねばならなかったのだろう。
 長い時を越えた想いは、虚空へ吸い込まれていくだけだ。
「貴方の為に……」
 ぽろり、と大粒の涙が頬を伝う。
「もう一度だけ、泣かせて下さい…………」
 パイロットスーツを抱きしめて、声を殺さずに嗚咽を上げる。
 それだけが、彼への手向けだった。
 
 天井が完全に消失し、ドーム内に落ちてきた駆逐艦が爆発。
 ドームは完全に消滅した。  
 
        **********
 
 曇天から、絶え間なく冷たい雨が降っている。
 通りを行き交う人々の表情は一様に暗く、つい最近終戦を迎えた大戦から解放された喜びなど微塵も感じられなかった。
 あるのは、ただ疲れ切り、立ち上がって歩き出す気力すら振り絞れない、人の群れだ。
 ほんの半年前、この都市である戦略兵器が使用された。
 当時、人口一千万を数えた都市は、その兵器によって八割が消滅した。
 文字通り、そこに人や街があったことなど、事実そのものが無かったようになった。
 そのあまりの威力と被害に、終戦協定の席でその使用と所持に制限を作ることがなによりも優先されたほどだ。
 結果、おそらく今後戦争において同様の兵器が使われる可能性は減ったが、だからといって失われたものや、人々の命が帰って来るわけでもない。
 生き残った人々は、残った二割で生活を続けたが、その兵器がもたらした恐怖と絶望は、雨雲よりも厚く都市を覆っていた。
 通りには、何をするでもなく、ただボロをまとって道端に座り込む者が大量にいた。
 物乞いではない。
 ただ彼らは絶望に挫かれ、立ち上がることもできずにいるだけだ。
 そんな人々の群に埋もれ、女の姿をしたそれも絶望に打ちひしがれていた。
 その兵器によって、何かを失ったのではない。
 その兵器を生み出したのはそれだった。
 大きな力があれば、果てしなく広がっていく戦火を止められるのではないか。
 そんな甘い考えが生み出してしまった悪魔の兵器だったが、できあがって初めて自分の考えの浅さに気付いたそれは、兵器に厳重な封印とプロテクトをかけて姿を眩ませた。
 だが、お互いを傷つけ合うことに執念を燃やす一部の人々は、執拗な研究と異常な物量を投じて、不可能だったはずのその兵器を解放してしまった。
 そして、悲劇が起こった。
 それは、自らが招いた災厄の惨たらしさに絶望し。
 同じ人類に対して、不可能を可能にするほどの執念を傾ける人類そのものに絶望し。
 遙かに過ぎ去った過去に交わされた約束に縛られ、消えることもできない自分に絶望し。
 取り巻く状況に対し、なんら有効な手を持たない己に絶望していた。
 残された人々に、この災厄は自分の責任なのだと訴えてみても、ただの物狂いと思われるだけで、相手にもしてもらえなかった。
 立場を捨てて逃げてきた自分に、人々に施すことのできるなにものも無い。
 誰より濃い絶望を背負ったそれには、同じく絶望に囚われた人間ですら近づくのを躊躇った。
 冷たい雨に打たれながら、それは動かずにいた。
 誰か、終わらせてくれないだろうか。
 そんな甘えたことを考えた。
 自ら終わらせれば、託された願いを裏切ることになる。
 この期に及んでも、それだけは嫌だった。
 だが、その気持ちこそが、それの動きを最も封じていた。
 どれだけそうしていただろうか、気がつくと目の前に二人の男が立っていた。
 一人は、ヒゲを生やした体格のいい壮年の男。機械油が染みた手を見る限り、技術者だろう。
 手前にいる男はまだ若く、雨具の隙間から見えるのは軍服だ。この辺りを武装もせずにうろついていると言うことは、復員兵だろうか。余程大事な物なのか、両手で布の包みをしっかりと抱いている。
 まだ三十にはなっていないだろう若さの残る顔には、疲労と深い哀しみ、それと微かに決意の色が見えるような気がした。
 私を責めにきたのだろうか。
 何の根拠もなく、そう思い。思わず怯えて逃げそうになる。
 一時は責められる事を望んでいたのに、自らの身勝手さに心が腐り落ちてしまいそうだった。
 それが身じろぎしていると、目の前に若い男の方がしゃがみ込んだ。
「私は、この戦争で大切なものを多く失ってしまった」
 静かだが深い哀しみのこもった口調に、思わず「ごめんなさい……」と小さな声で口走る。
 その呟きが若い男の耳に届いたかどうかは判らないが、構わず言葉を続けてきた。
「だが、残されたものもある」
 その時、男か抱えた包みが、もぞりと動いた。
 布の塊の中から顔だけを覗かせたのは、まだ幼い赤ん坊だった。
 その瞳と目があった瞬間、それは強い羞恥心に襲われた。
 世界に生まれてきたばかりの存在に、自分のように汚れた存在はどのように映るのだろう。
 だが、その赤ん坊はそれの顔を見て笑顔を浮かべた。
「残されたものの為に、船を手に入れようと思っている。忙しくなるだろう。女手が必要だ」
 それの耳には、若い男の声はほとんど届いていなかった。
 ただ、魅入られたように赤ん坊を見つめていた。
 あーー……
 声とも鳴き声ともつかない音を発して、赤ん坊が突然それに手を伸ばした。
 あまりにも唐突だった為、若い男も反応が遅れた。
 男の腕から、布にくるまれた赤ん坊が転がり落ちる。
 無意識に差し伸べたそれの腕の中に、すっぽりと赤ん坊が収まる。
 強烈な拒否感と、投げ出してはいけないという義務感に、それは一瞬金縛りにあう。
 だが、投げ出されかけた赤ん坊は泣きもせず、さらに笑ってそれの埃と泥と垢で汚れた顔に手を伸ばした。
 笑いながらペタペタと自らの顔を触ってくる赤ん坊を、優しく、恐る恐る、壊れないように、そっと抱き寄せた。
 不愉快で愛しい。
 命の臭いを。
 命の感触を。
 命の重みを感じた。
 あの人が守りたかったものの正体を、初めて知った気がした。
 私は今まで何を見てきたのだろうか。
 ただ言葉に縛られ、なにも理解しようとしてこなかった。
 気がつけば、両目から涙が溢れていた。
 それは、自分が泣くことができるのだと、その時初めて知った。
 そして、自分が犯した罪は、自らが思うよりも、遙かに重いものなのだということを思い知った。
 濡れた地面にへたり込み、まるで抱いた赤ん坊に縋りつくように、それは大きな声で泣いた。
 それは産声でもあったのかもしれない。
 その時から、それそれで無くなった。
 
 曇天は、いまだ雨を降らせ続けていた。
 だが、止まない雨などない。
 必ず晴天は、やってくる。
 
        **********
 
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