act.2 雲海
 
 
「11:00(ヒトヒトマルマル)、“雲海の乙女”号出航します」
「管制、了解。良い航海を」
 ソバカスの可愛らしい女性の管制官が、職業的なものではない笑顔をモニターに残して通信を切った。
 計器管理画面に切り替わったメインモニターに所定の操作を打ち込み、フィーは席を立った。 後はオートパイロットで外海まで出られるので、取りあえずやることは無い。
「それでは、お茶でも淹れてきましょうか」
「あ、お手伝いします」
 船内とは言っても、まったく揺れていないというのに、どこか危なっかしい仕草でビジター席から立ち上がるトリン。
 ウンディーネのブリッジは、中型船らしくややこぢんまりとしていて、本来出港時にはブリッジ要員は全員着席してなければいけないのが不文律なのだが、今はトリンを含めても、ラキッズとフィーの三人しかいない。
 一応ブリッジ要員なのは、先の二人とドムギル、セシリーの四人だ。
 セシリーは今ネットスクールの受講中。
 ドムギルは、動力関係の管制一般が担当なのだが、「エンジンってのはな、目と鼻と耳と手でみるもんだ」と、航海中は艦載機の整備時以外、大抵は動力室に詰めている。
 実際のところ、特殊なウンディーネの動力は、航海中にメンテナンスが必要になることなどほとんど無いし、その基礎理論は、機械整備の技術屋であるドムギルでは理解できない理論が大半を占めている。
 だが、ドムギルの見立てで細々とした不具合が見つかったことは、一度ならずある。ドムギル自身説明しないし、周りの人間には超能力としか思えないが、本当に「みる」ことでウンディーネの不調・不具合を見つけているようだった。
 理屈は不明ではあるが、ドムギルの眼の確かさは、クルー達の間では盤石の信頼を得ている。 ちなみに、一応動力室の端末でも数値的データは確認できるが、ドムギルがそれを利用しているのを見た者はほとんどいない。
「依頼者なのですから、ゆっくりなさって結構なんですよ?」
「いえ、研究室でも雑用ばっかりしてますし、船では手ぶらでいていい人間はいないって聞きました」
 それは、いわゆる船乗りのルールとして知られる考えではある。どちらかというと古い考え方で、暗黙の了解の一つとして多少残っている程度のものだが。
「そうですか。では、お願いします」
 その真面目さが気に入ったのか、フィーは押し問答などせずに、あっさり微笑んで頷いた。
「では船長、しばらくお願いします」
「うむ」
 フィーの言葉に頷いて、ラキッズはブリッジを透過モードに切り替え、椅子に深く座り直すと、広がる雲海を遠い目で見渡す。
 まだ内海なので大きな雲もなく、雲海も穏やかで天気も良い。おそらくレオ辺りは、また甲板でひなたぼっこでも始めるだろう。
 と言ってる側から、甲板にリクライニングチェアを引っ張り出すレオの姿が見えた。
 センサー類が充実し、ごく少数の人間で管理できる船とはいえ、やはり人間の眼で確認する以上の信頼性は無い。
 なにより、ほどよく緊張感を保てる為、ブリッジでの見張り番は持ち回りで全員がやることになっている。
 一人になったブリッジで、ラキッズは天井を仰ぐ。
 透過モードになっている天井からは、燦々と太陽の光が降り注いでいる。
 フィルター機能が入っている為、日焼けの心配も無いし、暑さもほとんど感じないが、それでも爽快な気持ちになる。
「平和だな」
 重く、染み渡るように、ラキッズはそっと呟いた。
 ウンディーネの舳先では、銀色の乙女が静かに陽光を反射している。
 
「あの、ちょっとお訊きしてもいいですか?」
 固定式の食器棚の中からカップを取り出しているフィーに、茶葉を入れたポットにお湯を注いでタイマーをセットしたトリンが声をかけた。
「なんでしょうか?」
「今回、フィールドワークでメルティング・ポットにいくのは初めてなんですけど、ちょっと疑問に思ってることがあるんです」
「私の判ることで良ければ、お答えしますよ」
 柔らかい表情で答えるフィー。
 そういえば、会ってから短いけど、この人の笑顔以外って見たこと無いなぁ、とフィーの顔に見入りながら言葉を続けた。
「メルティング・ポットには海賊が多く出るって聞いたんですけど、何ででしょう? 通常航路はメルティング・ポットを避けて通ってますし、学園都市も遠くないから、各国の軍艦もウロウロすることがあるのに。海賊の人たちにとって、あまり良い地域ではないような気がするんですけど……」
「そうですね、雲龍を始めとする大型雲海生物の目撃例も多いところですし。それでも、彼らがメルティング・ポットで活動するのは、いくつか理由があります。まず、雲海が濃く、浮島・島雲などが多く、彼らの活動拠点……いわゆるアジトですね……が置きやすいこと。遺跡発見などの余録が期待できること。彼らに発掘・調査能力が無くても、組合に報告して探査権を売れば資金になります。あとは避けて通っているとは言っても、大きな航路が比較的近くにあること。そしてもう一つは、好んでメルティング・ポットに入っていく人たちも一部にいますから」
「遺跡発掘(トレジヤーハント)の人ですか?」
「それもそうですが、あまりよい標的では無いですね。『始まりの船達(スターティング・シツプス)』は知っていますか?」
「わたしたちの先祖がこの世界に来る時に乗ってきたって船のことですね」
「その船の一隻がメルティング・ポットで発見されています。その船目当てにやってくる人たち、スターティング・シップを信仰の対象とする宗教の信者……裕福な人が多いらしいのですが……が、一番の獲物のようです」
「なんでわざわざそんな危ないって解ってるところに? 標的にされるってことは、それだけ多くの人たちがくるってことですよね?」
「さぁ……私には解りかねます。信仰というのはそういうものなのかもしれません。彼ら信者にとっては、スターティング・シップを参拝するのが、一つのステータスになっているようですから。一応あちこちの団体から忠告が出ているようですが、それでもメルティング・ポットに入っていく信者が減ったという話は、寡聞にしてありませんね」
「なるほど……」
「他には、なにかありますか?」
「いえ、今ので大体解りました。ありがとうございます」
「なにかあれば、他のクルーへも質問して下さい。すこし無愛想に見える人もいますけど、知的好奇心を持って質問する人を邪険にする人はいませんから」
「ありがとうございます!」
「では、ブリッジに、戻りましょうか」
 話している間に準備の終わったお茶をトレイに乗せたフィーが、ひょいと上体を起こした拍子に、ブラウスの胸元がふるりと揺れるのを見たトリンは、同じように茶菓子のトレイを持って上体を起こしながら食器棚のガラスに映る自分を観察する。
 どうしたら、あんなになるのか訊いたら怒られるかなぁ?
 ぼんやりとそんな事を考えながら、フィーの背中を追った。
 
 昼食を終えて、トリンはウンディーネの中を散策していた。
 乗り込んでいる間は、船内の雑務を手伝うことにはなったものの、ウンディーネではほとんどの雑務は午前中に済まされてしまい、午後は個人の仕事や訓練などに充てられている。
 取りあえず、夕食の支度を手伝うのは決まったが、それまでの時間が空いた。
 本来なら、乗せた研究機材・資材のチェックや端末のデータ整理など、やることがないわけではないが、このウンディーネという船に興味が湧いたので、あちこち見回ってみることにしたのだった。
 ウンディーネは中型船舶に属する船で、一般商船のように雲上船ではなく、雲海に潜る事もできる雲海船であり、甲板の広い雲上船と違い、胴体部分は筒に近い断面を持っている。
 雲上船に比べ雲海船は、同規模船同士で比べると、その形状からいってやや狭い事が多いのだが、ウンディーネは元々少人数での運用を前提としているようなのに、広々とまではいかないが、比較的内部は広めに作られているようだ。
 通路など、軍用艦では擦れ違うのも困難な場合があるが、ウンディーネの通路はそこまで狭くない。通常の体格の者なら、余裕で擦れ違える広さだ。
 綺麗に掃除された通路を歩いていると、手前のドアが横に開いてピースが出てきた。
「おや、トリンシアさん。散歩ですか?」
「あ、はい。少し時間が空いたので、見て回らせて頂いてます。ピースさんは……」
 視線をドア横の壁に向けると、シミュレーション室、というプレートが貼ってあった。
「日課の訓練です。凡人ですから、サボるとすぐに腕が落ちますのでね」
 肩を竦めてにっこりと笑う。やや冷たい容貌のピースがそういう顔をすると、実際以上に暖かみを感じる。
「良ければ、機材を見てみますか?」
「はい、お願いします」
 ピースが横にどけて場所を譲り、トリンが引き戸に一歩踏み込むと、中は一瞬それほど広くない部屋に見えた。
 だがそれは、部屋の中に設置された機材が巨大だったからだ。
 両サイドの壁に一台ずつ、天井から床までぴったりとはまり込んだ機械は、トリンには馴染みがなかったが、船載機の操縦席を模したものだ。
「はーー……」
 良くは解らないが、見慣れた機械と比べても、次元の違うものだという雰囲気がビシビシ伝わってきて、トリンはポカンと口を開けてそれらを眺めた。
「凄いでしょう? 軍にいた時にもシミュレーターはありましたが、これは精度が段違いですね。これに比べれば、軍用でも子供のゲームレベルですね」
 誇らしげに話すピースは、子供のように眼を輝かせている。
「ピースさんは、元軍人さんなんですか?」
 何の気なしにトリンがした質問に、ピースはちょっと気まずそうな顔をした。
「ええ、まあ……昔の話ですよ。それより、少しいじってみますか?」
「え、遠慮します。壊しちゃうといけないんで……」
 ピースの言葉に頬を引きつらせて、トリンは一歩下がった。
 元来機械が得意というわけでもないし、一応ドジなのは自覚しているので、こんな威圧感のある機械に触れるのは、少しと言わず抵抗があった。
「ピースさんは、なんのシミュレーションを?」
「僕は主に対艦載機戦闘のシミュレーションですね。一応、船載機を使った作業のシミュレーションも一通りできるので、そちらも少々」
「戦闘の、ですか……?」
「この船も名前が知れていますので、功名心に駆られた方々のちょっかいを受けることは多々ありますし、海賊の襲撃を受けることもありますしね。大型商船の護衛や、VIPの移動なんかを手伝うこともありますし。意外に多いんですよ、そういう機会が」
「はーー……」
 田舎の村で育ち、学問都市に来てからは、ほとんど研究室にいたトリンには想像もできない世界の話だった。
「なんで今回、うちの依頼なんか受けてくれたんですか? ほとんどお金にならないと思うんですけど?」
 ふと浮かんだ疑問を口にすると、ピースは露骨に眼をそらした。
「それは……あれですよ。金ばかりで仕事を受けてるわけではないということです。色々あるのですよ」
「色々ですか」
「色々です」
 あまり上手い誤魔化しかたでは無かったが、トリンもさして気にした様子は無かった。
 
 シミュレーション室を後にしたトリンが次に向かったのは、船載機の格納庫だった。
 格納状態のダイバーが二機格納されてるのをみて、しばらく物珍しさで眺めていたが、格納庫には誰もおらず、質問する相手がいないので早々に退散することにした。
 甲板に出ると、日傘を差してリクライニングチェアにひっくり返っているレオを見つける。
 眠ってるのかと近づくと、顔に被せた麦わら帽をどけてこちらを見た。
「なんだ、トリン姉ちゃんか。なんかあった?」
 にかっと笑うと、色黒なせいもあって、歯の白さが目立った。
「ちょっとね、船の中を見て回らせてもらってるの」
 年下でもあるし、どこか人なつっこいレオに、少しお姉さん的な態度になってしまうトリンだった。
「なに釣ってるの?」
「特に何かってことなないかなぁ。釣れれば晩飯のおかずが増えるかなぁって感じで」
「消極的ねぇ。どうせなんだから、ちゃんと釣りましょうよ」
「って言われてもな。オレ以外に釣りする奴なんて、この船にいないしなぁ。ちゃんとした釣りなんか知らないよ?」
「じゃあ、わたしが手伝おうかな」
「トリン姉ちゃんが?」
「一応知識はありますからね。これでも雲海生物に関しては一家言あるんだから」
「釣りはしたことあるの?」
「川でなら」
「……大丈夫かよ」
「大丈夫大丈夫。えーとこの時期に、この辺の海流に乗ってる魚種は……で、船上から釣れるのは……」
 そして小一時間。
 結果は……意外な事に大漁だった。
 トリンの知識は確かなもので、意外というと失礼だろうが、学者としての知識的応用力も高く、レオ手持ちの道具を組み合わせて作った仕掛け針は、素晴らしい釣果を上げた。
「ごめん、トリン姉ちゃん。オレ、見損なってた」
「なんかそこで謝られるのって、すごい失礼な気がするんだけどね」
 バケツの中で暴れる人数分にしても多い、丸々と太った銀色の魚を見つつ、深刻な顔で言うレオに、引きつった笑みを浮かべるトリン。
「あ、いたいた。トリンさーーん!」
 甲板上のハッチを開けてトリンを呼んだのはセシリーだ。
 身軽に甲板に上がってきたセシリーは、小走りにトリンへ近づいて両手を合わせた。
「トリンさん、お願い! 勉強教えてくれないかな?」
「勉強?」
「今日出された課題なんだけど、ステップしたばっかりだから解らないところが多くて」
「へえ、セシリーちゃん優秀なんだね。教科は?」
「3セクションの生物Uなんだけど」
「ああ、それならわたしでも教えられるね。いいわよ」
「やった!」
「じゃあ、魚はキッチンに持って行って下拵えしとくよ」
 リクライニングチェアと日傘を片付けたレオが、魚の入ったバケツを含めたあれこれをまとめて持った。
「オレは暇だからさ。トリン姉ちゃんはセシリーの勉強みてあげてくれよ」
 なにか言おうとしたトリンを制して、レオはニカッと笑った。
「え? うわっ、なにそれ、どっから盗んできたの?」
 魚がいっぱいに入ったバケツをみたセシリーが驚きの声を上げた。
「こんな海の真ん中で、どうやって盗んでくるんだよ。釣ったんだっつーの」
「釣った?! えーーっと、嵐の予報は出てなかったはずだけど」
「言ってろ」
 わざとらしく手をかざして雲海を見渡すセシリーに、ふん、と一つ鼻を鳴らしてレオは船内に戻っていった。
「ほらほら、トリンさん。夕食まで時間が無いんだから、早く早く!」
「ちょっと、セシリーちゃん、引っ張らないで」
 
 慌ただしく甲板から船内に戻っていく二人をブリッジから眺めていたラキッズとフィーが、そっと目元を緩めた。
 雲一つ無く晴れ渡った雲海は、今日も静かにたゆたっていた。
 
         2
 
 サンプルの採集予定地まで、ウンディーネの足でも出港から三日ほどかかる。
 出港から二日目の昼前、やや固い声でフィーの艦内放送が響いた。
【所属不明の船舶が接近中です。こちらからの呼びかけには、今のところ応答なし。おそらくは武装海賊と思われます。総員、配置について下さい。トリンシアさんは、戦闘に入る可能性を考慮して、ブリッジまで移動をお願いします】
 客室でデータの整理をしていたトリンは、不穏な放送に慌てて部屋を出た。
 
「わざわざ移動して頂いて申し訳ありません」
「あ、トリンさん、お菓子あるよ。こっちこっち」
 お茶をトレイに乗せたフィーが笑顔で迎え、火器管制席からセシリーが手招く。
 かなり恐々としながらブリッジに来たというのに、予想外に緊張感のない雰囲気で、トリンは一瞬呆然とした。
「あの……海賊が来たって?」
「はい。呼びかけに一切答えませんし、明らかにこっちに接近してきてますので、漂流船の類ではないでしょう。十中八九海賊でしょうね」
「でしょうねって……大丈夫なんですか?」
「あ、そっか。初めて海賊に遭遇するんだったら、怖いよね。大丈夫大丈夫。すぐに終わるから、まあ座って」
 セシリーはフィーからソーサーごと受け取った茶を一口すすって、トリンにビジター席をすすめる。
 例によってドムギルは不在だが、茶を配り終えたフィーが自分の席に戻り、インターフェイスパットを首筋に貼り付け、小さなピンジャックを眼鏡に接続する。
「アルファ、ベータ、発進準備はどうでしょうか」
【アルファ、おーけー】
【ベータ、問題なし】
 レオとピースの声がブリッジに響く。
「所属不明船は、最終警戒ラインを超えました。船載機の発進を確認、数は二。こちらも発進をお願いします。発進シーケンスは通常。準備でき次第随時発進願います」
 
「格納庫の気密確認。アルファ、先行するよ」
 レオの言葉と共に、、レオの機体が乗ったレールの先、格納庫の床の一部が下に開く。
 重いモーター音が響き、斜めになったレールから、レオの機体・トリファが雲海へと滑り降りる。
 ゴボン、と空気を巻き込みながらトリファが雲海に沈む。
 トリファの操縦席内、膝の間にある黒い球体がほんの微かに鳴動し、機体がぐんと下に向かって加速する。
 雲海を構成する「雲」は、水とよく似た特性を持つが、その内部には原子レベルでのナノマシンが存在することが予想されており、それらはある特定周波に反応し、斥力場を発生する。
 その特定の周波を発し斥力場を生み出す為の装置が「ブラック・ボール(B・B)」である。
 それ自体は呼称そのままの黒い球体だが、今のところこれを解析・複製できた機関は存在しない。「雲」と「B・B」は、旧世界の遺産であることだけが判明している、この世界における難解な謎の双璧なのだ。
 このB・Bは電荷を加えない状態だと、雲海と大気の境界面で安定する。つまり、何もしなければ、雲海表面に浮かび続ける事になる。
 電荷の強さで潜行の深さを調節することができ、正負の掛け方で短時間ではあるが大気中の浮遊も可能となる。
 ちなみに、このB・B自体、微弱ではあるが斥力を発しており、特に戦闘用艦載機のコックピットに据え付けられることが多いのは、その斥力によりコクピットへの直撃弾の威力が僅かでも削がれ、または弾道が逸れることを期待しているからだ。
「この辺は雲が濃いな。有視界航行は無理、と」
 雲海は水分も多く含み、特に水分が多いところでは透明度も高く、通常の水中と変わらない透明性がある地域もあるが、基本的には雲海中では主にソナーによる計器航行、またはデジタル処理されたモニター頼りになる。
【ベータ、出ます】
 レオがトリファを前進させると、続いてポルカドットが海中に降りてくる。
「じゃ、いくとしますか」
【ベータ了解】
 ジェネレーターを戦闘出力へ。
 戦闘速度へ一気に速度を上げながら、両機は不明機へと向かった。
 
【ロビンさ〜ん、やっぱ止めましょうよ〜】
 ツー・バイ・ツー(TBT)回線で呼びかけてくるまだ若い手下の情けない声に、ロビンは大きく舌打ちした。
「うるせぇな! 散々その話はしたろうがよ!」
 ヘアバンドでなんとかまとめたボリューム過多のウェービーな髪を掻き回し、ヘッドセットのマイクに怒鳴りつける。
「ったく……」
 ロビン・フロドは当年取って三十歳。海賊の頭などという汗臭い肩書きに反して、それなりに整って顔立ちの男だ。
 色々あって海賊の頭などやっているが、元は大戦にも参加経験があり、皇国所属の艦載機乗りで、公式撃墜数五機のれっきとしたエース。
 フロド海賊一家。団ではない。
 名前はロビンの名前に変わっているが、元々はロビンが参加した時点で七人しかいなかった弱小も弱小の一家である。
 縁があって頭になってしまったロビンだが、さらに、よんどころのない事情で一家の隆盛を誓わされてしまった
 そうなった以上は仕方がないと、見かけによらない真面目さで奮起はしたものの、どんな世界も元手がなければ何もできない。
 かといって、おいしい獲物が期待できる航路は、大きな海賊団が先に押さえてしまっている。縄張り荒らしは、血で血を洗う戦いになるのを覚悟でなければ無理だ。
 少なくとも、ロビン自身はともかく、一家の他の連中にはそんな争いができる根性が今のところ無い。
 金がダメなら、後は名誉である。
 名のある護衛船や、船・艦載機を落としたということになれば、海賊社会においては一目置かれるようになる。
 無法者の世界では、名が何よりの元手となることも多いのだ。
 そんな折も折、雲海の乙女号(ウンディーネ)を見つけた。
 海賊たちの間では、手を出してはいけない船の筆頭である。
 一戦交えれば、それだけで評価は上がる。何も墜とす必要はない。少しちょっかいをかけて、船載機の一機でも傷つけてやれば、それで十分だ。
 確か、噂ではウンディーネの船載機乗りはどっちも若造で、大戦経験者ではないはずだ。
 だったら、大戦を戦い抜き、一応はエースの称号を持つ自分が通用しないはずはないだろう。
 というやや甘い目論見で、ウンディーネ襲撃を一家に提案。当然猛反対にあったが、一家の窮状と、自分の腕を強調してゴリ押しし、しぶしぶながら一家の総意として襲撃が決定した。
 とはいえ、さっきの会話のように、どうにも渋々具合が表に出てしまうのだが。
【お、お頭ぁ! ウンディーネから船載機の発進を確認! こっちに向かってます!】
 悲鳴のような管制役の通信。
「機数も伝えやがれ! 何回教えたと思ってやがる!」
【す、すいません! 二機です!】
「聞いたな野郎ども! ここまで来たら腹括れ! 伸るか反るかだ!」
「「へいっ!」」
 指導者としての信頼は高いのだろう、気合いの入ったロビンの言葉へ返ってきた返事に、迷いの色は無くなっていた。
 
【敵機種確認】
 TBT回線でピースの冷徹な声が聞こえる。
【母船は輸送船を改造したタイプです。おそらく火器の類は最小限でしょう。母船からの後方支援は無いと考えて良さそうです。船載機は、コリラス・ベネズのS型とA型です。装備から言って、ツートップ(T・T)】
 つらつらと分析をしていくピース。こういうところ軍人ぽいよなぁ、とレオは半分聞き流しながら思った。
 近年は戦術の幅を持たせる為、軍用である艦載機は三機一組にシフトしつつあるが、艦・船載機の運用は通常二機一組が基本になる。
 これは艦載機が戦場に出始めの頃、まだ艦の方に搭載能力が無かった為、艦の両脇に吊すような形で輸送していた名残である。
 当然、戦術やフォーメーションも二機一組のものになるわけだが、細かい違いはあるものの、艦・船載機のとる陣形は大別すると二つ。
 前衛と後衛に別れるトップ&バック(T&B)。
 二機とも攻撃に参加する、ツートップ。
 簡単な見分け方としては、二機の装備が大きく違えば前者。同じような装備なら、後者であることが多い。
 長距離戦に特化した二機組(バディ)がほとんどいないのは、雲海に置いては近距離戦を行えないと、そもそも戦闘にならないからで、複数のバディを運用できる軍にしか存在しない。
 無線の共通チャンネルを開き、ピースが雲海条約に従い降伏勧告を行う。
【所属不明機へ。こちら雲海の乙女″所属、船載機。貴船の行動を敵対行為と判断します。武装解除、もしくは回避行動を取らない場合、反撃行動を取らせて頂きます】
 教科書通りの通達に、返答は簡潔。
【くそくらえ】
 そうくるだろうと思っていたので、ピースは怒りもせずに共通チャンネルを受信モードに変える。
 あっはっは、と笑いながら、レオは操縦桿を握り直した。
「そんじゃ、いつも通りで」
【了解】
 ぐん、とトリファが加速する。
 
 一機が急加速するのを計器で確認し共通チャンネルを受信モードに変え、ロビンが僚機に通信する。
「いいか、無理に攻撃しなくていい。死んでもオレのケツに食いついてこい!」
【は、はい!】
 加速するロビン機に一瞬遅れて、僚機も加速する。
 艦・船載機の戦術の基本は、すれ違いざまの反航戦である。
 これは、雲海中での長距離戦の有効性が低い為である。銃撃は雲海の物質的抵抗力が強い為射程が大幅に減衰するし、魚雷の類は干渉波の影響で追尾性が低下するので、機動性の低い船舶同士の戦闘くらいにしか使い道がない。対艦戦闘を想定した艦載機には装備される場合もあるが、機動性の低下に加えコストも馬鹿にならないということもあり、船載機に装備される事はまれだ。
 長距離ミサイルの類はあるにはあるが、これもコストが高くほぼ対艦専用で、艦・船載機に装備されるのは雲海上での間・船載機同士の戦闘を想定した小型の物がほとんどだ。
 ダイバー形態で接近、雲海上に出る一瞬に反航戦。それで勝負が決まらなければ、ストラグラー形態での海上・半空中での近距離・格闘戦になる。
 じりじりと計器上での相対距離が縮まる。
「三・二・一……コンタクト!」
 モニターのレティクルが重なった瞬間、ロビンは機銃の引き金を引いた。
 
 敵船載機の射程に入る寸前、トリファは機首を上げて海上に飛び出した。
 一瞬前までトリファがいた海中を、機銃の射線が過ぎる。
 海上に飛び出すと同時にストラグラーへ可変、さらにホバーを噴かして一八〇度回頭。相手の浮上に備える。
 ストラグラー形態のトリファは、末端の大きな長い両腕と三本の少し大きめのバインダーを背中に備えた、一見して格闘戦を重視した機体と判った。
 初撃を交わされた敵機は、やや距離を取って浮上。
 それを追ってトリファが距離を詰め、相手が海上に出るタイミングで、右腕の内蔵機銃を制射。避けられるタイミングでは無い。
 まず一機。
 そう思ったレオの目の前で、敵機のコリラス・ベネズS型が丁度一機分横にずれた。
 驚くレオの正面に、ストラグラーに可変したS型がこちらを向いた状態で機銃を構えていた。
 通常同時にこなすのは至難とされている、可変と方向転換を同時に行ったのだ。それは一流パイロットと呼ばれる為に必要な技術の一つでもある。
「あっぶね!」
 考えるよりも先にレオはトリファの左腕を外に振り、その末端重量で発生する慣性を使い、左にロールしつつ距離を取る。S型が発射した機銃の洩光弾がそれを追う。
「わお、結構腕のいい人みたい」
 ホバーで距離を詰めてくるS型の後ろで、もたもたと浮上と可変を行うA型を視界の隅に見ながら、レオはペロリと唇をなめた。
 
「トリファか、面倒クセェ機体に乗ってやがるな」
 取った、と思った一撃を躱して、遠ざかって行くトリファを追いながらロビンは舌打ちした。 大戦後期に少数だけ作られた、格闘戦を重視した機体だ。乗り手を選ぶが、熟練した操縦者が乗れば、格闘戦では無類の強さを発揮する。
 僚機が未熟なこともあり、できれば反航戦で明暗をつけたかったが失敗した。
 近距離戦になれば、僚機が流れ弾に当たる可能性も格段に上がる。
 自機が墜とされるよりも、僚機が墜とされる事態はロビンにとって最も屈辱なのだ。
「なんとか、空中戦に持ち込めねえかな……」
 体勢を立て直し、こちらに牽制の銃撃をしてくるトリファの動きを注視しながら、ロビンは小型のシールドを構え、近接武装に変えつつ距離を詰める。
「思ったより腕がいいな。あんまり長引かせたくねぇんだが」
 ランダムな方向転換も交えて、じわじわとトリファへ近づいていった。
 
「格闘戦したがってる? 自信家みたいだねぇ」
 近接装備の盾と武器に持ち替えるS型をモニター越しに見ながら、レオは楽しそうに笑う。
 コリラス・シリーズは、大戦が終わった後もモデルチェンジを重ねながら生産が続けられている名機である。ダイバー形態はズングリとした紡錘形。ストラグラー形態は、船載機としては中肉中背。特徴が無いことが最高の特徴である汎用機だ。
 ベネズS型は近接戦闘向けに調整されているが、格闘戦に限っていえばトリファの方が確実に性能が上である。
「いいね、付き合ってやるよ!」
 トリファの肉眼目視用スリットが開き、コクピットに硝煙混じりの風が吹き込んできた。
 
「付き合ってくれるか、自信家だな!」
 トリファのスリットから見える黒髪と黒瞳に笑みを浮かべ、ロビンは同じようにS型のスリットを開けながら一撃を繰り出す。
 その一撃を屈んで避け、トリファはバーニアを噴かして空中に飛び上がりつつ牽制。
 トリファからの牽制射撃を盾をかざして受けつつ、ロビンもバーニアを噴かして飛び上がる。
 下から突き上げるように体当たりすると、トリファは中心軸をずらしてそれを受け流し、その勢いで回転しつつ蹴りを繰り出す。
 ロビンも体勢を整えてそれを受け、武器で反撃する。
 格闘用の武器も兼ねるトリファの腕とS型の武器が火花を散らす。
 滅多にみることができない、高レベルの格闘戦が繰り広げられた。
 
「ど、どうすりゃいいんだろ……?」
 ようやく追いついてきたA型のコクピットで、ピートは青ざめた顔色で呟いた。
 筋が良いから、というだけの理由でロビンの僚機を務めているものの、実戦とと呼べるものは今回が初めてだった。
 なにしろ一家でも最年少の十五歳。ケツに食い付いてこいと言われたものの、空中で繰り広げられる格闘戦を追いかけるわけにもいかず、オロオロするだけだ。
 その時、格闘戦で弾かれたトリファが、ピートに背中を向けて高度を下げた。
 反射的に、ピートはその背に機銃を向ける。
 その瞬間、がん、と操縦席に衝撃が走り、ピートはそのまま意識を失った。
 
 体勢を崩したトリファを追撃しようとしたロビンの視界に、動きを止めて機銃をトリファの背中に向けるA型の姿が入った。
「余計なことを……!」
 舌打ちした瞬間、A型の両腕が、構えた機銃ごと吹っ飛んだ。その勢いで横に流れたA型の機体が海面に落ちる。
「……?! もう一機の奴か!」
 素早い操作で望遠したS型のモニターに、長距離ライフルを射撃後、移動を素早く行うポルカ・ドットの姿。
 本来ならば、後方支援機は僚機が牽制すべきなのだが、僚機であるピートにはそこまでの練度は求められない。
 トリファとの戦闘に夢中になって、そちらへの警戒心が薄れていた。
 オレのミスだ……!
 本来、敵機との格闘戦状態であれば、相手の後方射撃に注意を払う必要はない。同士討ちの可能性があるからだ。だが、僚機の未熟さを知っていたのにも関わらず、注意を怠った自らの迂闊にロビンは歯がみする。
 モニターの中で、位置を変えたポルカ・ドットが再びライフルを構えた。
「くそったれ!」
 標的が無力化したA型だと判った瞬間、ロビンは海面に浮かぶ僚機に向かって突っ込んだ。 再度のポルカ・ドットからの射撃。
 正確にA型を狙った弾丸は、ギリギリ射線に飛び込んだS型の、伸ばした右手に当たった。
 S型の腕を破壊して、僅かに逸れた弾丸が海面に着弾し、雲を盛大に巻き上げる。
 その隙に、残った左手で浮かんでいる僚機を掴み、ロビンは全力で逃走にかかった。
 
「引き際いいなぁ」
 レオはトリファの操縦席で、片手の上A型を引きずってる為、ダイバー形態になれずにストラグラーのままホバー全開で退却していくS型を見送った。
【追撃はいいのですか】
 追いかけようという素振りのないレオを見て、ピースから通信が入る。
「しなくていいんじゃないか?」    
【久し振りに苦戦してましたね。機を読むのにも敏。ああいうタイプは禍根を残すとしつこいですよ? A型の操縦者も死んでないでしょうし、A型の操縦者の腕が上がってくれば、そうとう手強くなるでしょう】
「すげぇ楽しかったから、それでいいよ。それにあのS型、最後にA型のこと庇ったから」
【それがなにか?】
「オレ、そういうの嫌いじゃないからさ」
【ウンディーネ流ですか?】
「そんな大げさなもんじゃないけど。ああいう奴ならまた会いたいな」
【相変わらす物好きですね。あの様子なら立ち往生の心配もないでしょうし。それでは帰投しましょう】
 苦笑いじみた雰囲気を残し、ピースからの通信が切れる。
 戦闘状態終了の確認後、共通チャンネル切ると、すぐ入れ替わりにフィーから労いの通信が入り、ダイバーに可変した二機はウンディーネに帰投。それからすぐに、自船載機を収容した海賊船は海域を離れていった。
 交戦時間、十分二十六秒。船載機及び船舶に損害なし。
 完勝と言っていい内容だった。
 
         3
 
 太陽はオレンジ色にかげり始め、夕方になろうとしている。
「なんだ、嬢ちゃん一人か?」
 甲板でぼんやりとオレンジ色の雲海を眺めていたトリンに、ドムギルが声をかけた。
「あ、はい。ちょっと考え事をしてまして……ドムギルさんは休憩ですか?」
「休憩が必要な程、働いちゃいねぇがな」
 確かな足取りでトリンの側までくると、胸のポケットから煙草と携帯灰皿をを取り出す。
「すまねえな、吸わせてもらうぜ」
「どうぞ」
 意外にも紳士的に断りを入れるドムギルに、トリンも笑顔で頷く。
 雲海が流れる音、潮騒が聞こえ、静かな風が紫煙を吹き流す。
「……戦争って、ああいうものだったんでしょうか?」
「…………あん?」
 雲海を眺めながらの呟きに、、ドムギルは片眉を上げてトリンを見た。
「すごくびっくりして、すごく怖くて……すごく、心配でした」
 ドムギルは、ゆっくりと紫煙を吸い込み、同じようにゆっくりと吐き出して言った。
「お前さん、年齢的には大戦の時、物心ついてたはずだな?」
「え? はい、そうなんですけど。わたしの生まれた辺りってとんでもない田舎で、徴兵がくる寸前に終戦を迎えたんですね。だから、なんとなく感覚的によく解らないんです、その、戦争ってものが」
「……昼間の戦闘な。あんなものは戦争なんて呼べねぇよ。ただの喧嘩さ」
「ただの、ケンカ、ですか?」
「ああ。戦争てのは、もっと悲惨なもんだ。勝っても負けても。根っこから全然別モンだよ」
 ふと、ドムギルの眼が過去に向けて霞む。
「あの、ドムギルさんって、経験者ですよね? その……戦争の」
「ほとんどの期間、整備兵としてだがな」
「よろしければ、お話を聞かせてもらってもいいですか?」
「……オレはラキッズ辺りと違って弁も立たねえし、頭もあんまりよくねえから、オレ個人の話になるし、長くなるが?」
「お願いします」
「そうか」
 短くなった煙草の残りをゆっくりと吸い込んで携帯灰皿に押し込み、新しい煙草に火をつけると、ドムギルは話し始めた。
 
        ・・・・・・・・・・・
 
 オレも田舎の生まれでな。三男坊ってことで、家業を継ぐわけにもいかねえし、土地ももらえる見込みがなかったから、田舎を出て軍人になろうと思ったんだが。
 丁度、隣国との関係が悪化し始めた時だったから、大して学がないオレでも簡単に軍に入れたよ。と言っても、一番下の歩兵からだったけどな。
 三ヶ月の訓練が終わってすぐに紛争が起きて、すぐに実戦だったよ。
 もうちょっとなんとかなると思ってたんだが、初陣は隣の奴の頭が吹っ飛ぶのを見て、ションベン漏らして震えているうちに終わっちまったよ。まあ、新兵の二割くらいはオレと同じような感じだったが。
 もう一番最初の最初で、オレには無理だと思ったな。
 でも、だからといって「辞めます」「はいどうぞ」ってわけにはいかないわな。少なくとも五年は契約で縛られるし、現場の上官には懲罰権があって、下手な事を口走れば銃で撃たれても文句は言えなかったしな。
 でな、機械いじりばかりしてる整備兵なら、少なくとも歩兵よりは銃弾が飛んでこないとこにいられると思ったんだよ。
 ところが、まだ戦況が深刻じゃなかったから、技術兵は専門の学校で教育を受けてからじゃないと成れなかった。一応配置転換願いは出せたが、前線の一兵卒の転換願いなんぞハナから無視されちまう。
 それでオレは、空いた時間に整備兵の手伝いを始めた。
 その頃、可変型の艦載機が出始めでな。隣国との戦争は水際での戦闘が多かったから、オレがいた部隊にも何機かいたんだ。
 整備兵たちにとっても慣れない機械で、作業工程なんぞ確立されてなくて、いつでも人手不足でひぃひぃ言ってたから、嫌がる奴はいなかったな。
 オレも、自分の仕事の後に他の仕事までやるのはきつかったが、なにしろ懸かってるのが自分の命だ。文字通り必死だったんだな。
 もともと才能があったのか、すぐに艦載機の整備・調整に関しては誰よりも上手くなった。
 軍には、ある一定以上の官位を持つ前線の士官には任命権ってのがある。オレはそれをアテにしてたんだが、目論見通り士官の目に止まって、無事準整備兵になることができた。
 それで多少は安全なところに下がれたんだが、それも短い間のことでな。
 その頃、戦況はうちの国が有利になってたんだが、運悪くオレのいた戦線ではかなり押し込まれててな。よく警戒網をすり抜けてきた艦載機や爆撃機に攻撃を受けた。
 基地そのものに攻撃を受けるんだから、整備兵も歩兵も関係ないわな。
 ある時整備中に、敵艦載機の襲撃を受けた。
 そのとき一緒に仕事してたのが、オレを推薦して整備兵にしてくれた上官だったんだが、少し変わった人でな。階級がかなり高いくせに、暇さえあれば機械いじりに来てたよ。
 そういう人だから、オレを目にとめてくれたんだろうし、恩人と言っても良かった。
 最初の銃撃で倒れたな、確か。
 駐機状態の艦載機から滑り落ちたその上官の整備服が真っ赤に染まってた。大きな穴が見えなかったから、多分対歩兵用の小口径で打たれたんだろう。今から思えば、だがな。
 ま、臆病の虫ってのはそう簡単にいなくなるもんじゃなくてな。
 生きてるか死んでるか判らない上官に駆け寄ることもしねえで、震えてるだけだったよ。
 それからすぐに迎撃の戦力が出たんで、被害はそれ以上出なかった。
 すぐに衛生兵やらなんやらがやってきて、へたり込んでるオレを引き起こしてくれた。上官を守ることもできなかったオレを、誰も責めなかった。責めるどころか、生きてて良かった、ってな、肩を叩かれたな。
 そうされながら、一番最初に頭に頭に浮かんだのは、撃たれたのがオレじゃなくて良かったってことだった。
 さすがにな、しばらくしてから惨めになったよ。
 それから半年も経たずに紛争は終結。最終的には階級は軍曹になってたが、戦時徴用だったんで、終戦と共に伍長に降格だ。
 それからもちょこちょこ周りの国との小競り合いが起こってな、その度に戦時徴用の叩き上げってレッテルで最前線送りだ。歩兵よりはマシなんだろうが、結局は常に命の心配をしなけりゃならない状態だったな。
 そんな中で、整備兵としてできることなんざ、機械の整備をしっかりやって、それを使う人間に命がけで戦わせることぐらいだ。
 必死になって整備したよ。やりこぼしがあったら、それが原因で自分が危なくなる。相変わらずそれしか考えなかった。必死にやってりゃ、それだけ腕も上がるわな。
 大戦が始まる頃には階級も随分上がって、艦載機整備の達人だ「神の手」だって言われるようになってたよ。
 単に自分の命が惜しくて他人に戦わせていただけなのに、笑わせるだろ?
 そんな風に呼ばれるようになってからも、やっぱり自分の命にしか興味が無かったな。
 大戦は、艦載機の大規模戦闘が世界規模で行われた最初の戦争だったんだが、オレは新造された大型艦載母艦に整備主任として乗り込む事になった。
 まあオレが乗せられる位だからな。最前線送り前提だったんだが、さすがに国家の存亡が懸かった戦争の主力艦ってことで、常にエース級の艦載機乗りどもが乗艦してたよ。
 大戦って表現されるだけあって、それまでの紛争の類なんぞ遊びかと思うほど過酷な戦争だった。なにしろエース級って言われる連中が、戦闘の度に欠けていくんだ。悪夢を見てるようだったよ。
 そんな中何故だか知らんが、乗艦する艦載機乗りは必ずオレのところに挨拶に来やがるんだ。「『神の手』殿による整備を受けた艦載機に乗る事は、我々艦載機乗り最高の栄誉です」
 ……ってな。
 臆病者で、卑怯者のオレのところにな。
 オレは、最後まであいつらにかける言葉を見つけられなかった。
 奴らは勇敢で、高潔で、なによりいい連中だった。
 連中は、オレがいじった機械で、大量の敵を地獄に叩き落として……自分たちも地獄に落ちていったよ。
 ……オレが、実際に戦場で殺した人間はいないかもしれねえ。
 だが、オレの手は、誰よりも血に染まってるんだ。多分、この世の誰よりも。
 一番最初に地獄に叩き落とされなきゃならねえクズが生きてて、気のいい連中ばかりが先に死んでいく。
 なんなんだろうな?
 そう思ったところで、オレにできるのは連中の乗る艦載機を完璧に仕上げることだけだ。自分の命を守る為だろうと、連中が一人でも生き残る為だろうとも、できるのはそれだけだった。
 それでも、いや、自分の仕事を完璧にこなせばこなすほど、多くの血が流れていった。
 それまで散々他人に血を流させて、今更綺麗事を、と自分でも思ったがな。
 一人、また一人と艦載機乗りが欠けていくのを見ながら、気が狂いそうだったよ。
 オレの思惑とは別に、そうなればなるほど戦果は上がっていく。兵隊の命一つで敵の命二つ取れれば評価される。それが戦争ってやつだからな。
 そして、戦果が上がれば上がるほど、オレの評価はさらに上がっていった。
「神の手」
 同じ神は神でも、俺の手は死神の手だったんだな。
 結局、オレが手がけた艦載機に乗って生き残った奴は誰もいねえ。
 ……たった一人、ラキッズを除いてな。
「あなたの整備した艦載機のお陰で、生き残ることができました。ありがとうございます」
 終戦を迎え、一人で軍を去ろうとしていたオレのところへきたラキッズのその言葉で、オレがどれだけ救われたか、多分誰にもわかんねえだろうな……。
 救われる資格なんざ、オレには無いって解ってんだがな。
 その時、残りの人生こいつの為に使ってやろうと決めたんだ。
 
        ・・・・・・・・・・・
 
「……なんだか、余計な事まで喋っちまったな」
 自嘲気味に言って、深く、肺に染み渡らせるように吸い込んだ煙草の煙を、ゆっくりと空に吐き出す。
 話の途中で俯いてしまったトリンの方に顔を向けると、トリンの頬を伝って涙が滴り落ちた。「嬢ちゃん?」
 驚いて声をかけたドムギルに身体ごと向き直り、トリンは勢いよく頭を下げた。
「あの、その……すいませんでした」
「なんで謝んだ?」
「わたし……やっぱり戦争のことはよくわかりません。でも、ドムギルさんみたいな経験者の人にとって、辛い記憶なんだってことは……なんとなく。それなのに、無神経に聞いてしまって……。すいません、それとありがとうございます」
「?」
「その、話して下さって」
「いや……」
 ふいと横を向いてドムギルは煙草の火を強める。
「でも、なんで話して下さったんです? ……厭な記憶なんでしょう?」
「だから言ったろ? オレは卑怯モンなんだよ。ラキッズの奴と違って、重い荷物はたまに下ろして休みたくなるんだよ。それだけだ」
 ちびてしまった煙草をもう一吸いして灰皿に突っ込んだドムギルは、ズボンについた灰を払って踵を返した。
「思ったんだがな」
 行きかけた足を止めて、背をトリンに向けたまま言う。
「きっと、連中は、あんたみたいな戦争を理解できない人間を、一人でも多くする為に戦ったんじゃねえかな」
「え……?」
「だからな、嬢ちゃん。一人一人の名前なんて知る必要は、多分無え。でもな、そういう連中が命を張って戦った事実の上に、今この世界があるんだってことだけ、どうか、それだけ覚えておいて欲しいんだよ」
 雲海を渡る風が、トリンの髪とドムギルの作業用ジャケットを撫でる。
「オレに連中を代弁する資格なんてあるわけがねえんだが……。そうしてもらえるなら、きっと死んでいった連中の命も、少しは報われるんじゃねえかと、そう思うんだ」
「はい……」
 ドムギルの背中に、トリンははっきりと頷いた。
 背を向けたドムギルからは見えなかったはずだが、それでもドムギルは少しうつむいて瞑目し、すぐまた顔を上げた。
「じゃあな、嬢ちゃん。もうすぐ夕飯だ。身体が冷えねえうちに船内に戻るようにな」
 振り返らず後ろ手に振り、ドムギルはハッチから船内に戻っていった。
 トリンはしばらく、その背中を見送っていた。
 沈まない太陽は、夜の色を濃くしていた。
 
 
「採取計画は、今朝ミーティングで説明した通りです」
 フィーの総合管制席のすぐ横で、管制席から伸ばしたコードを端末と眼鏡型のマルチディスプレイに接続したトリンが確認する。
 マルチディスプレイには、トリファとポルカ・ドットのカメラアイ映像が流れている。
 トリン使用の旧型マルチディスプレイでは処理能力が足りず端末を併用しての管理だが、ほとんど映像のみの管理なので特に問題は無かった。その他記録の必要なデータは回しっぱなしのデコーダーが全て記録しているはずだ。
「午前中は定置網の設置。午後からはトロールでのサンプル採取です」
 カタカタと端末を操作して、作業計画のタイムテーブルを呼び出す。
「基本的には、特に難しい作業はありません。定置網設置の時に岩礁に注意するくらいでしょうか。ただ、この辺は海流の下流域ですから大丈夫だと思いますが、雲龍の生息地に大分近づいてます。一応こちらでもモニターしていますが、一定以上の質量を持った動体接近時には注意して下さい。また、雲龍以外の危険生物との遭遇も充分考えられます。それにも注意を」
 さすが一応才女と言おうか、専門分野での作業となるや、普段の様子が嘘ではないかと思うくらいの的確さで指示をしていく。      しょっく
【【了解】】
 さすがに、報酬をもらってこなす仕事のせいか、レオの反応も真面目なものだった。
 
「しかし、雲龍ですか」
 雲海を広く回遊する雲海最大クラスにして最強の生物の名前を聞き、ピースは過去に軍の任務中に遭遇した雲龍を思い出した。
 個体としては、まだ若い部類の雄だったらしいが、三隻の艦載機搭載型駆逐艦のうち、一隻があっという間に無力化された。
 なんとか撃退できたが、五機の艦載機でかかっても殺傷にはいたらず、相手が飽きて去っていったようなものだった。
 交通事故どころか、竜巻のように自然災害にあったと思ってあきらめるしか無い状態だったと言える。もちろん、その後の作戦行動は大幅な変更を余儀なくされた。
 そのことから、自分なりに雲龍の事を調べたこともあったし、今朝のミーティングで学術的なこともある程度説明を受けた。
 それによれば、はっきりと定義されることは、なにも確認されていないとのことだった。
 それでも、今までの遭遇例から判っていることも多少ある。
 主に雲海で見られる個体は二十メートル以上。最大体長は不明。記録に残る限りでは、百メートル以上という個体の目撃例もある。
 太い蛇のような胴体に、やや短めの手足には軍艦の装甲を引き裂く鉤爪を備え、攻撃性の高い特殊な音波を含む咆吼を複数種類使い分ける。
 他にも「龍の吐息(ドラゴンブレス)」と呼ばれる強力な攻撃手段も操る。ちなみにピースの部隊の艦が無力化されたのはこれである。
 しかも、高い知能を持っているという予想もある。
 ここまでくると生物というよりも、怪獣と言った方が正しいだろう。一説には、移民時代に運用されていた生物兵器の一種ではないかとも言われる。
 その存在を知らない者は雲海には一人もいない。にも関わらす、その生態はほとんど知られていないのはなぜかと言えば、まずは雲海に存在する個体数が、様々なデータによる予想計算から、四桁に満たない少数であること。
 加えて、あまりに危険な存在過ぎて、専門的に研究しようという人間がほとんどいなかったというのが原因である。
 さらに近年はレーダー技術の向上で、かなり遠距離からの観測が可能になってきた為、雲龍から攻撃を受ける前に逃げられるようになりつつあり、無理に研究をしなくとも危険を避けられる。
 ピース達の部隊が雲龍に遭遇してしまったのは、レーダー干渉波が強い海域で、接近する雲龍に気がつくのが遅れたからだった。
 トリンが専門的に研究をしているのは、純粋に学術的好奇心かららしい。
 おそらくは、まともな神経の人間には、命知らずの部類に入れられてしまうだろう。
「物好きというのは、案外いるのですね」
 ミーティングの時に瞳を輝かせて雲龍について語っていたトリンを思い出し、ピースは好意的な笑いを浮かべた。
 今回この海域が調査対象となったのは、様々なデータからメルティング・ポットが雲龍の繁殖地ではないかとの仮説があり、予想される地域の一つがこの辺りなのだという。
 内蔵火器以外の装備を外し、作業用のモジュールをつけたダイバー形態の二機が雲海へ潜っていく。
【では、レオ君先行してして下さい】
【了解】
 トリンの指示で、トリファがゆっくりと潜行速度を上げ、ゆっくりとビール瓶型の定置網が広がっていく。定置網は、長さが三十メートルあまりで、直径が五メートルほど。
 瓶底に当たる部分がろうと状になっており、ここから入った生物は出てきにくくなっている。
 網は頑丈な合成繊維でできているが、雲龍のような強大な生物を捕まえるようにはできてない。この仕掛けは、この地域の生物を調べる為のものだ。
 この辺りはやや雲が薄く、画像修正なしでも潜行するトリファの姿がモニターで確認できた。
【アンカー、投下します】
 トリファの下面に固定されていた、定置網が流されない為の重りが海底に着床。
【ピースさんは、網が潰れないように慎重に降りて下さい。網は頑丈ですから、無理な加速などしなければ、破れないと思いますけど】
「了解」
 こちらもゆっくりと底まで降り、全部で三つあるアンカーのうち一つを、網の口に繋がったワイヤーの余裕を見ながら投下する。
 ポルカ・ドットが持って潜ったアンカーは三つともドリルビット装備型である。海流の流れに逆らう形での設置になる為、強固な固定が必要になるからだ。
【三・二・一・スイッチオン!】
 なんだか楽しそうな声でトリンが宣言し、着床寸前にアンカー下部のドリルが回転。本体の三分の二が海底に潜り込んだところで、外からは見えないが、フックが展開してしっかりと固定される。
【では、レオ君。残りのアンカー設置の手伝いをお願いしますね】
【了解】
 ゆっくりと近づいたトリファは、ポルカ・ドットの右作業用アームからアンカーを受け取る。
 ポルカ・ドットのアームはハードポイントに増設するタイプのアタッチメントで、今回のような学術調査に向いた専門のものだが、ハードポイントの極端に少ないトリファのアームは内蔵式のもので。作業用とはいえ少々無骨な感じだった。
 トリファの方がややもたついて見えるのは、ピースの操縦のレベルが高いせいでそう見えるのと、機体が作業に向いてないのに加え、レオ自身がそういうことに向いてないからだろう。
 多少のもたつきがあったものの、大過なく予定通り午前中に作業は終わった。
 
「というわけで、午後からはトロール漁になります」
「漁って……」
「食べる為ではないから漁って言うのもなんだし、トロール網を使うだけで、実際は中層から上層の生物を調べるんだけどね」
 横っ腹を開け放った貨物スペースの床に敷物を広げ、サンドイッチなどの手軽に食べられるように工夫された昼食を取りながら、ホワイトボードに図を書いてトリンは説明していた。
 この場で朝食をとっているのは、レオ、ピース、トリンにセシリーの四人で、他の三人は食堂で会議を兼ねた食事をしている。
 サンドイッチを口に咥えたまま、書き終わったホワイトボードをセシリーに見せる。
「本来の漁は底引きだし、こういう横棒で網を固定して一隻で引っ張るのが主流なのね」
 Yの字の上の部分に横棒を引き、上方向の矢印を入れて、Y字下端の部分をこつこつとマーカーでつつく。
「で、この部分に獲物が集まるわけ。ただ、一隻で引っ張る方式だと小回りが利かないし、それほど大量である必要もないから、こう二隻で引っ張る方法を使うの」
 Y字の上に引いた横線を消し、今度は上二本の棒から線をそれぞれ引き、その先にちんまりとしたダイバーの絵を描く。
「下層から上層まで、螺旋状に引いていくの。どこになにがいるのか判らなくなっちゃうけど、分布を調べるのが目的じゃないから」
「はーーい。せんせー」
 保温ポットから注いだ茶を啜りながら、レオが生徒のように手を挙げた。
 トリンも先生っぽく、眼鏡を直しつつ返事をする。
「なんでしょう、レオ君」
「大物がかかったらどうすんの? 雲龍はかからないにしても、大型の生物がかかる事はありそうな気がするんだけど」
 一応朝のミーティングで説明したことだが、レオは確認のつもりで訊いているのだろう。
「その場合は、無理せずに網を切り放していいです。スペアの網はありますから、と朝は説明したんだけどね。その心配は多分無いと思うわ」
「なんで?」
「さっき、この海域へ入ってからの動体反応のデータをフィーさんに一通り見せてもらったんだけど、メルティング・ポット他地域の平均データと比べて、一定以上の大きさの動体反応が明らかに少ないのね」
 端末を引き寄せて、折れ線グラフを表示した画面を示す。
「緑の線が平均、赤がこの海域ね」
 x軸とy軸の数値が何を示しているのか判らなかったが、赤い線は明らかに緑の線より下。というか、底を這っている。
「どういうことです?」
 黙って三人を眺めながら食事していたピースが、ちょっと身を乗り出して尋ねた。
「当たりってことかな」
 うふふ、と笑うトリン。
「おそらく、この辺は雲龍のテリトリー内なのね。雲龍も生物である以上、繁殖期には攻撃的になるでしょうし、野生動物は好きこのんで危険な場所に近づかないでしょうねぇ」
 好きこのんで危ない場所に来ている女学者は嬉しそうに言った。
「まあ、逆に言えば、雲龍にだけ注意していればいいという事ですから、ここは良い方向に考えましょう」
 雲海の住人として雲龍の怖さを知っているレオは、異次元の生物をみるかのような視線をトリンに注いでいたが、ピースのフォローとも言えないフォローに、眉間の皺を深めた。
「じゃあ、ちゃっちゃとご飯食べちゃいましょう。片付けはあたしがやっとくから」
 トローリングの獲物の仕分け作業を手伝う事になっているセシリーは、取りあえずやることがなかった。
 だが、まだ時間があるというのに、蛍光イエローのラインが入ったウエットスーツを着込み、パーカーを羽織ったその姿を見れば、かなり張り切っているのはよくわかる。
「それじゃあ、午後一番で作業開始するから、そのつもりでお願いします」
 三人それぞれに返事をすると、残った昼食を胃袋に納めるのに専念し始めた。
 
「少し、急ぐ必要があるかもしれませんね……」
 プリントアウトした書類をラキッズに手渡し、フィーは眉根を寄せた。
「この情報はいつのものだ?」
 フィーの表情をちらりと見てから、コーヒーを啜りつつラキッズは確認した。
「昨夜未明です」
「ふむ」
 プリントアウトの内容は、連邦軍の作戦指令書のコピーである。内容は、雲海に一番近い連邦基地へ、軍艦の受け入れ体勢を整えるようにというものだ。
 内容そのものは特に何の変哲もない。ただ、その機密レベルが異常に高い。
「それと、バンガス博士自ら協力しているしているようです」
「彼か……」
 苦虫を噛み潰した表情で、明らかに好意的ではない声でラキッズは呟く。
「いくら彼であっても、一朝一夕に解析できるようなものではないでしょうが、あまり楽観的にもなれないかと思います」
 フィーもあまりいい感情を抱いていないのだろう、珍しく表情をやや険悪なものにしている。
「嬢ちゃんを学問都市まで送ってる余裕はないかもしれんな」
 さほど深刻でも無さそうな声で、ドムギルが言った。
 
「トリンさん、これってなんて魚?」
 ウエットスーツのセシリーが、海上に浮く広場のようなフロートの上に水揚げされたトロールの獲物の一つを指さす。
 一番数が多く、また獲れたものの中では一番大型の魚だ。
 見た目は、筒型の胴に複数の背びれ、尾筒は縊れてなく、根本の太い胸びれに、やや長い腹びれがかなり後方に一対付いている。
 体長は大きいもので二メートルくらい。細長い体型なので、体長ほど質量は無い。
 体表はウロコとも帷子ともつかない堅い表皮に包まれていて、大きい口がついた先の尖った三角形の頭など、全体的な形状は雲龍に似ていると言える。
「亜龍って俗称される魚ね。これが一定以上の数いるってことは、雲龍が近くにいるのは間違いないわ」
「どういうこと?」
「この生物は、雲龍と共生関係にあるの。雲龍の移動と一緒に移動するらしいのね。どうも、雲龍の食料になることで、他の生物から身を守ってるんじゃないかと思うんだけど」
「なんか矛盾してるように聞こえるね」
「そうでもないわよ。全体の二・三割が食べられることで残りの七・八割の安全が保証されるなら、種全体からすればメリットがあるわ」
「人間の世界も、大して変わらないことがありますしね」
 フロートの横に船載機を横付けして仕分けを手伝いつつ、話に耳を傾けていたピースが笑いを含んだ声で口を挟む。
「な〜〜、トリン姉ちゃん。これなんだ?」
 同じく仕分けを手伝っているレオが、よく判らないゴミのような、謎の大きい塊を指さした。
大きさは人間よりも大きい。
「あっ! それ、それ! それが多分、今回一番の目的の物だと思う!」
 嬉しそうな声を上げて、肘まである長い手袋をつけながら近づいてきたトリンは、塊の一部をおもむろに手で崩し始めた。
 塊は意外にもろく、トリンの手の中でボソリボソリと簡単に崩れていく。
「やっぱり。ピースさん、D型のコンテナを持ってきてもらっていいですか?」
 ピースは了解と返事して、自分の船載機に向かった。
「で、結局なんなのこれ」
「雲龍の糞(ふん)よ」
 塊……糞の中の未消化物を丁寧に確認しながらトリンが答えると、レオが「げ」という顔で後ずさった。
 セシリーも一瞬ひるんだようだが、すぐに好奇心が勝ったようで、トリンの背後から近づいていって覗き込む。
 糞と言っても大して悪臭があるわけではなく、一見土とゴミの塊のようにしか見えない。
「なんでウンコなんて探してたの?」
「生物の生態を探る上で、重要な手がかりの一つだからよ」
 さらに細かく調べながら、手を動かしつつセシリーに答える。
「食べてるものが判るし、体内微生物が判ったりとか、得られる情報は数多いの。その生物の基本的生態を知る為には、不可欠なサンプルの一つなのよ」
「ふーーん」
 さすがに触るのは抵抗があるのか、それとも専門的な事をやっていると考えているからなのか、手を出す気配は無いが、興味深そうにトリンの手元を覗き込むセシリー。
「それに、わたしが研究してる学説の為には、絶対に必要なものだからね」
「学説?」
「雲龍が、わたし達がやってきた世界由来の生物じゃなく、この世界に元々いた生物でもないって説なんだけど」
「また、ぶっとんだ説だね」
「根拠がないわけじゃないのよ。さっきの亜龍だけど、あれを食用にする人はいないの。なんでかわかる?」
「雲龍に守られてるから?」
「それもあるけど、人間には消化できないのよ。タンパク質の構成が、わたし達とは違うみたいなのね。で、それを食料にしている雲龍は、それを消化できるわけだから、亜龍と雲龍は同じ由来の生物ってことになるわね。でも、判らないことが一つあって」
 そこで、ポルカ・ドットがクレーンでコンテナを運んできた。
 レオとセシリーの三人でコンテナを降ろし、備え付けのスコップで糞をコンテナに移しながら、トリンは説明を続けた。
「どうも、雲龍は消化したものを、わたし達の世界由来のものに分解してから排泄してるみたいなのね。逆に、亜龍はこの世界の生物を消化できるみたいで。はっきりした話じゃないから、このサンプルを調べてみないと判らないけど。もしそうなら、なぜそんな生体機構が必要なのか。そこを調べたいのよね」
 丁度人一人が横になって入れるくらいのコンテナにせっせと雲龍の糞を移しながら、楽しそうに笑う。
「学者さんって、なんか研究室で色々難しいことやったり、考えてしてるだけのものだと思ってたけど……」
「幻滅した?」
「ううん。なんかすごい面白そうな仕事だなぁと思って」
「そう?」
 セシリーの本気の言葉に、トリンは嬉しそうに華やかな笑顔を浮かべた。
「それにしても、おっきいウンコだよねぇ。よっぽど大きな雲龍なんだろうね」
「ああ、これってほんの一部みたいだから。断面とか、未消化物とか見ると判るんだけどね。多分百メートル超級の雲龍だと思うわよ」
「本当? そんなのだったら、ちょっと見てみたいなぁ!」
 
「なんかすげぇ物騒な話してんだけど……」
「聞かなかったことにするか、出会わないように祈るべきか、迷うところですね……」
 楽しそうに話している二人から少し離れたところで、亜龍を中心に、獲れた生き物を別のコンテナに詰め込みながら、深刻な表情でレオとピースは顔を見合わせた。
 
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