終章・女神の夢
 
 ハセオたち三人は、背の高い木々に囲まれた円形の広場に歩み出した。
 そこは樹の民が、掟を破った者を裁く場だ。
 ハセオたちは、魔物を倒した後、大人しく枝の長の元へ出頭した。
 どこにも逃げ場などないし、彼らには例え掟であろうと間違ったことをしていないという自負も少なからずある。
 本来は掟を破った者を場に引き出す役目の者が二人つくはずなのだが、三人もの樹士が同時に裁かれるというのは珍しいことであるし、ハセオの力を警戒して距離を置き、取り囲んでいるのだ。暗くて確認はできないが、周囲にはかなり多くの樹士たちが配置されているようだ。
「お前たちは、自ら掟を破ったという自覚はあるか?」
 一番高い樹の一番上の方から、枝の長の声が響く。
 ハセオが代表して頷いた。
「では、三人共に罰を受ける覚悟があるということだな?」
「お待ち下さい」
 ハセオは静かに口を挟んだ。
「なんだ、なにか申し開きがあるのか」
「はい」
 一歩下がってハセオに場を任せていたアラゴとルーンが、訝しげな視線をハセオの背中に注いだ。
「……いいだろう、言ってみよ」
「今回の件に関して、アラゴとルーンには責任がありません」
「なにィ?」
「なにを言い出すのよ!」
 ハセオの発言に顔色を変えたのは後ろの二人の方だったが、それに構わずハセオは続けた。
「この二人は、私が無理矢理協力させただけです。彼らに非はありません」
「ハセオ、おい!」
「認められない。強制されたのであろうと、協力したのは彼らの意思であろう。責任なしとは言えない」
「それは違います」
「ハセオ!」
「てめぇ、いい加減に……!」
 それ以上喋らせまいと、アラゴとルーンがハセオの背中に手をかけようとしたその瞬間。
「?!」
 全身に電流を流されたように、アラゴとルーンは二人同時に全身を強張らせ地面に転がった。
 それを横目で一瞥し、ハセオは枝の長を見上げた。
「これでお解りいただけたでしょうか」
 そういうことができるとは理解していたが、上手くいったことに内心ほっとしながらも、慎重にそれを押し隠し、ハセオは出来る限り冷淡に聞こえるように言った。
「理由は判りませんが、私の種はこのような能力を手に入れました。それを理解した私は、自分の目的のために二人を利用したのです」
「は、ハセオ、て……てめぇ……」
「ハセオ……!」
 アラゴは怒りを、ルーンは哀しみを込めた目でハセオを睨むが、それを敢えて見ない振りでハセオは背を向ける。
 ことが終わった食後に三人で話し合い、共に罰を受けることを決めていたのだが、ハセオは最初からこうするつもりだった。
 自分が彼らを巻き込んだのだ。罰をうけるのは自分一人でいい。
「もう一度言います。二人に責任はありません」
「認められない」
「……な?!」
 にべもない枝の長の言葉に、ハセオは言葉を失う。
「どのような理由があろうと、掟を破った者に協力し、掟を破ったという事実は消えない」
「待って下さい!」
「ハセオ、アラゴ、ルーン。三人共に追放処分とする」
「話を聞いて下さい!」
「必要ない。今後樹海で見かけた場合、排除の対象となるので心せよ」
「枝の長!」
「──その結論は、少し待って貰えるか?」
 けして大きくないが、低くよく通るその声は、一瞬にして場の空気を変える。
 その場にいるすべての樹士たちが知る声だった。
「長!」
 枝の長とハセオが思わず声を上げ、低いどよめきと激しい動揺が場を走り抜けた。
 ハセオの後ろから広場に現れた四人目の人物。
 その見た目は他の樹士たちとほとんど変わりがないが、その身にまとう雰囲気は明らかに一線を画していた。何千年もの樹齢を重ねた巨木のようなその存在感の前では、枝の長すら芽吹いたばかりの若木のようだった。
 枝の長を始めとして、裁きの場に居合わせた樹士たちは一人残さず地に降り、その人物の目前で膝をついた。ハセオの集中が途切れ、自由になった二人も、ハセオと一緒に慌ててそれにならう。
 長。
 初めて世界に現れた原初の樹の民と言われているが、真偽は誰も知らない。ただ、樹の民の中で、誰よりも長い時を世界樹と共にあった存在なのは紛れもない事実だった。
 普段は世界中を巡り、世界樹にまつわる事件に関わりながら、新しい樹の民を探す旅を続けているという。
「この件、私の預かりにしてもらいたい」
「なんですと?」
 一番前で膝をついていた枝の長が顔を上げた。
「お前の仕事に口を挟んで申し訳ないとは思うが、ここは引いてくれないだろうか?」
「は……仰せのままに」
 長の物腰は柔らかだったが、そこには抗いがたい威厳が満ちていた。枝の長は不満そうではあったが、それに逆らうつもりはないようだった。
「勘違いして欲しくはないのだが。お前が間違っているわけではない。むしろ、これからもそのままに頑張って欲しいと思っている。今は、我慢してくれまいか」
「は……」
 樹の民の頂点に座す長にそこまで言われて、なにを言い返すことがあるだろうか。
「すまんな。それでは、ハセオ、アラゴ、ルーン。ついてくるがいい」
 不意に名前を呼ばれて、三人は驚いて跳び上がった。まさか長から名前を呼ばれるとは思っていなかったのだ。さすがのアラゴも無言で恐縮している。
 そのまま滑るように進んでいく長の背中を、三人は顔を見合わせながらも、ハセオを先頭に追いかけていった。
 しばらく歩いて、裁きの場から充分離れたところで、長が背中越しに三人へ言う。
「今回の掟破りは不問とする。そして、今後お前たちには私の直属として働いて貰う。樹海から出たら、すぐに今回の件に関わる大きな仕事が待っているから、覚悟をしておくように」
「ちょ、直属? それって『落葉』として働くということですか?」
 叫び出したいのをこらえ、声を上擦らせながらルーンが問い返す。
 樹海の外で長の直属として働く「落葉」。その集団には精鋭という印象が強く、そこの所属するのは、樹士として最高の名誉の一つだった。
「その通り。……すまんが、ハセオを二人で話がしたいのだが、少し外して貰えるか?」
「は、はい。あの、すぐに終わるので、少しハセオと話させてもらっていいですか?」
 慣れない敬語で言うアラゴに、長は黙って頷いた。
 アラゴは礼を言って、まっすぐハセオに近づいてきた。ルーンもその後ろからついてくる。
「どうしたんだ?」
「いや、忘れないうちにと思って名な」
 訝しげに尋ねるハセオに答えるが早いか、アラゴはハセオの横っ面を力いっぱい殴りつけた。
 もんどり打って倒れたハセオは目を白黒させてアラゴを見上げるが、真っ先に騒ぎ出しそうなルーンは苦笑いしつつも黙って見ている。
「見損なうな、馬鹿野郎。オレもルーンも、自分の意思でお前に協力したんだ。それに欠片も後悔は無え。次にあんなふざけたことしたり、言いやがったりしたら一発じゃ済まさねえぞ」
 一方的にまくし立て、アラゴは肩を怒らせたままドスドスと歩き去った。
「アラゴがやってくれたから私は遠慮するけど、以下同文よ。少しは反省しなさいね」
 笑みを含んで腰を地面についたままのハセオの頭をポンと叩き、ルーンも席を外す。
 いわく言い難い表情で立ち上がったハセオに、長は暖かに微笑した。
「良い友人を持っているようだな」
 どんな顔をしていいのか判らなかったが、ハセオは「はい」とはっきり頷いた。
 再び歩き出した長の後についてしばらく歩いた先には、鮮やかで美しい風景があった。
 樹海の中に現れた箱庭のようなその場所には、頭上を覆う梢の隙間から絹のカーテンに似た陽光が差し込み、その小さな日向の下では色とりどりの可憐な花が咲いていた。
 暖かな太陽の光に、緑は鮮やかに輝いている。
「掟か……。ハセオ、掟はいつ誰が作ったと思う?」
 ささやかで美しい光景に見とれていたハセオは、長の言葉に慌てて我に帰った。
「は、はい。女神より、私たちが役目を果たせるように、課されたものだと聞いています」
「違う」
「え?」
「彼女はなにも強制しはしない。掟は樹の民が自ら作ったものだ」
「……どういうことですか?」
「最初の樹の民は、お前のような出自の者が多かった。彼らの中には。人間を恨む者も少なくなかったのだな」
 始めは人間たちに対する忌避から生まれたものだったのが、いつの間にか掟として定着してしまったものなのだと長は語った。
「それならば何故、それを正されないのでしょうか?」
 僭越だとは思いながらも、ハセオは長に問い返す。
 長はハセオの問いに、黙って長衣の前を開く。
 その腕の中では、薄汚れた白髪白皙で、傷の目立つ子供が安らかな寝息を立てていた。
「──彼女は世界を愛していた。彼女のために戦うということは、彼女が愛した世界のために戦うということでもある。だが、彼女が必要としたのは、自分のために戦う戦士では無かった。
彼女に必要だったのは、共に世界を愛し、そのために共に戦う仲間だったのだ。彼女はなにも強要しない。だから私もそれにならい、なにも押しつけはしない。ハセオ、私はお前たちに自ら気づいて欲しいのだ。自らが戦う、その意味をな……」
 淡々と。
 風に揺れる梢が奏でる音のように、過ぎ去った遙か昔を眺めながら長は語り、暖かい微笑をハセオに向けた。
「お前は、もうそれを知っているのだろうがな」
 その視線は、ハセオの右手首に注がれていた。
「それは彼女に認められた証だ。共に、世界を愛する者としてな」
 ハセオは改めて自分の種を見た。
 今ははっきりと自覚はできないが、長の言いたいことは解るような気がした。
「これからのお前の働きに期待する、志を同じくする者よ。……それと、これをお前から返してやって欲しい」
 長は幼子を片手で支えると、もう片方の手でどこからともなく鞘に入った剣を取り出す。
 その独特の美しさを持つ曲線を描く姿に、ハセオは見覚えがあった。
「頼んだぞ」
「……はい」
 頷いて両手で受けとり、ハセオはそれを大事そうに胸に抱える。
 ふと、長の腕に抱かれた幼子が目に入った。
 傷だらけの汚れた顔には、安らぎの表情が浮かんでいる。きっと何年かぶり、ひょっとしたら生まれて初めての、安らぎに包まれた眠りなのだろう。
 あの日の自分がそうであったように。
 幼子の選択が正しかったのか、間違っていたのか。
 ハセオには判断がつかない。
 だが、選択は成されたのだ。
 幼子が、いつか自らの真実に辿り着くこと、ハセオは心から祈らずにいられなかった。
 
      **********
 
 空の高いところを、風を捕まえた鳥が緩やかに旋回している。
 左腕を三角巾で吊ったユキは、フブキの背中に揺られていた。
 港町に続く山道。樹海の道と違い、舗装こそされていないものの、きちんと整備された道の上には青い空が広がり、ユキが流れる雲を眺めながらぼんやりとしていると、ふいにフブキが注意を促した。
 きゅい。
 フブキの声に、ユキがゆっくりと首を巡らせると、山道の端に見覚えのある黒ずくめが経っていた。
「や」
「お久しぶりです」
 軽く挨拶を交わし、フブキはハセオの側までいくと立ち止まった。
「会えて良かったよ。礼を言いたかったんだ」
「礼?」
「最後のあれに巻き込まれて気を失った私を、警備隊まで届けてくれたでしょ」
「いえ、それならば私が謝らなければ。巻き込むつもりはなかったんですが……」
「いいさ、逃げ切れなかったあたしが間抜けなんだ」
 ふう、と一つ溜息をついて、ユキは空を見上げた。
「それにしても、あたしは結局最後まで大したことができなかったね。大きな口叩いてさ。あんたたちがいなければ、あの魔物も退治できなかっただろうし……」
「そんなことはありません!」
 ハセオはムキになって否定した。
「私は、貴女がいたからあそこにいた。最後には貴女に助けてもらいもしました。あの敵を倒した手柄が私たちにあるというなら、少なくともその半分は貴女の手柄です。貴女の行動の結果です」
「……そっか、ありがとね」
 少し弱い笑みを浮かべたユキの右肩には警備隊の紋章は無かった。その綺麗に剥がされた跡を見ながらハセオは尋ねた。
「樹海警備隊を辞められたのですか?」
「うん。第三分隊は数が減りすぎたし、村も壊滅状態だからね。第一分隊に吸収合併されるっていうから、丁度いいんで辞めた。新しい分隊でも、あたしはもめ事の火種になりそうだしね。残るなら色々と便宜を図ってやるとも副官殿に言われたけど」
 正直、クロンがそう言ってくれたのは意外ではあった。だが、ユキが警備隊を離れると決めた旨を伝えると、こう言って見送った。
「隊長のためにも、死ぬな。それと……いろいろすまなかった」
 その時の、どことなく不機嫌そうな顔を思い出して、ユキは少し笑った。
 きっと彼も彼なりに、敬愛するサガム隊長の衣鉢と継ごうと決意したのだろう。不思議に落ち着いた表情をしていたように思う。
「これから、どうされるんですか?」
「とりあえず船で海を越えて、央都にいってみようかと思ってる。就職もなんとかなりそうだしね」
 結局サガムの形見になった手紙の中身は、ユキの身分証明書だった。分隊長のサインと印の押されたそれは、分隊長本人になにか事故があっても、記入された日付から一年の間有効と鳴る。樹海警備隊は多くの団体や国が協力しているので、かなり広い範囲で通じる身分証明だ。
「そういうあんたは……ってのも愚問か。あんたは樹の民なんだから、ずっとここにいるんだよね」
「実はそうでもありません」
「は?」
「海の向こうで、世界樹に関わる事件を追うことになりました。もう少ししたら、私も海を渡ることになると思います」
「へえ、そっか。じゃあ、またどっかで会えるかもね」
「はい。それと、これをお返しします」
「あ、それって……」
 ユキが無くしたと思っていた、世界樹の剣だった。
「ありがとう、礼を言うよ。もう見つからないと思ってた」
 嬉しそうに受けとったユキは、片手だけで少し苦労しながら剣を腰に差す。
「じゃあ、そろそろいくよ」
「お気をつけて」
 行きかけて、ユキは気付いたように振り返った。
「会いにくる時には、土産忘れないようにね」
「覚えておきます」
 ひとしきり、互いに笑顔を交わす。
「またね」
 簡単に手を振り、ゆっくりと遠ざかっていくユキとフブキの姿が、梢の向こうに見えなくなるまで見送り、ハセオも踵を返した。
 
 空へと続く巨大な坂道のような世界樹は、今日もすべてを見つめている。
       
                                      了
 
inserted by FC2 system